高市首相の真の狙いは「自民で単独過半数」ではない…批判覚悟で「異例の解散総選挙」に踏み切ったワケ(プレジデントオンライン)

高市首相が通常国会冒頭で衆議院を解散したことに、野党から「なぜ今なのか」「政治空白ができる」などと批判が相次いでいる。評論家の白川司さんは「今回の衆院選は、単なる政党同士の勢力争いではなく、当初予算編成の主導権を争う選挙になる」という――。 【写真をみる】典型的な「一点集中突破型」だった首相 ■予算編成を官僚主導から政治判断へ  日本の戦後政治において、「財政改革」や「行政改革」を掲げた首相は何人もいた。  中曽根康弘は「行政改革」「国鉄などの民営化」「官僚機構への政治的圧力」をおこない、橋本龍太郎は財政構造改革を断行し、小泉純一郎は聖域なき構造改革を実行し、民主党政権は「政治主導」を標榜した。  だが、当初予算で政治が優先順位を決め切る方式へ制度として転換した政権はなかった。  それは、予算編成プロセスそのものを、官僚主導の積み上げ型から、選挙を起点とする政治判断に切り替えることである。  なぜ誰もそこに手をつけなかったのだろうか。  予算編成は官僚制の中枢であり、ここに踏み込めば、官僚側と激しく衝突することにもなりかねないからだ。そのため、成果が出るまでに時間がかかり、失敗すれば選挙では評価されず、公約も実現できなくなる。  首相にとっては、最も「割に合わない改革」だったから、というのが、最も無難な答えではないだろうか。  その誰もが避けてきた領域に、正面から踏み込もうとしているのが高市早苗総理である。  だからこそ、今回の総選挙は、単なる政権継続を問う選挙ではない。高市首相自身が「政治生命」を賭ける選挙になりうるのである。

■補正予算が日本政治を縛ってきた  日本の予算制度は長年、当初予算を前年踏襲型の積み上げで組み、年度途中に補正予算を重ねるという運用を続けてきた。  この仕組みの下では、たとえ政権交代が起きても、予算の大部分はほぼ自動的に残る。政権が自らの思想や政策を反映できるのは、補正予算という限られた領域にすぎない。  その結果、日本では「誰が首相をやっても同じ」と感じるような政治環境が常態化した。選挙で政権は選ばれるが、国家の資源配分の全体像はほとんど変わらない。選挙と予算の間に、深刻な断絶が生じていた。  この制度の下では、当初予算の大半は官僚機構による積み上げで事実上確定し、政権は年度途中で補正として実現する形で自らの意思を反映できなかった。  語弊を恐れず言えば、日本の予算は「官僚の集合意思」に政府や議会が修正を加えたものではないだろうか。  そのため、政権は選挙公約は実現しにくく、政策が失敗した場合でも、政治と官僚のどちらに責任があるのかが曖昧である。  政権は予算について最終責任を負うが、予算全体を動かす権限は十分には与えられていない。その結果、政権の力は目玉となる人気取り政策に注ぎ込まれることになりがちだ。  これが、長年続いてきた「自民党長期政権」の現実である。 ■省庁が再編されても官僚主導は変わらず  中曽根政権(1982〜1987年)以降で、予算改革に最も近づいたのが橋本政権(1996年〜1998年7月)だった。橋本政権は行政改革と財政構造改革を掲げた。省庁再編や財政構造改革法の制定は、その象徴である。  ただし、橋本改革の本質は、歳出総額にルールをかける「縛り」であって、予算編成プロセスを政治主導に切り替える抜本的な改革ではなかった。  予算は依然として官僚主導の積み上げで作られ、政治はその枠内で抑制を試みるにとどまった。  橋本政権下で省庁再編などいくつもの改革が実現されたが、予算を政治の手に戻すという目的には至らず、「予算の作り方」そのものは変わらなかったのである。  また、小泉政権(2001年4月〜2006年9月)は、「聖域なき構造改革」を掲げ、官僚機構と正面から対峙した。ある総務省の部長(当時)によると、「小泉首相は官僚の使い方がうまかった。自分の政策を実現するのに、官僚をフル活用できた首相だった」という。

プレジデントオンライン
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