「知覧特攻平和会館」へ13年ぶりに往訪、3時間半で身が引き締まる思い

大学生の頃、知覧特攻平和会館に行きました。以前から史跡には興味があり。

なので今回は2回目の訪問です。隊員の家族に向けた遺書を読むのも2回目です。

やはり今回も、齢18や20にして特攻隊員から「高潔な精神性」を感じました。

年配の女性が隊員のことを「チャラチャラしてないよね」と言ってるのを耳にしました。たしかにそうで、無私の精神を感じます。

彼らの気高い精神性こそが、この知覧特攻平和会館から読み取れる最大の思想信条だと個人的には思います。

生還者の証言映像に、「少しでも日本が有利な講和条件を引き出せるように」「私事よりも、残された家族や民衆のために」といったものがあります。

これは相対する国からすれば、こうした精神性の国民が総一丸となってきたらおそろしいと感じるだろうなと思います。占領政策で精神性を破壊することに心を砕いたとされるのも説得的ではあります。

印象に残ったこと

以下、印象に残った遺書やエピソードを羅列します。

特攻隊員の婚約者への手紙

「あなたの幸せを思う以外に何物もない

徒(いたずら)に過去の小義に拘る勿(なか)れ、あなたは過去に生きるのではない

勇気を持って過去を忘れ、将来に新克面を見出すこと

あなたは、今後の一時一時の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には、もう存在しない」

穴澤大尉(23歳)

特攻隊員の遺書、エピソードより

「現下の戦局をみると、私事に心を奪われているときではありません」

夫が特攻隊員に志願。その際、妻は「妻子がいては(夫が)この世に未練が残り存分に活躍(特攻)できぬだろうから」と、妻子は飛行学校近くの川に身を投げた。

妻子の死を無駄にするわけにはいくまいと、血染めの手書きで特攻志願し特攻隊員に選ばれた。

「特攻隊員は、女学生の前で弱音を絶対吐かない」

当時、隊員は女学生の目にどう映ったかを聞くと

「あの人たちは生きた神様だった」

(奉仕活動をしていた当時女学生だった人の息子さんの講演より)

生還者の証言

だいたい命が惜しい人が戦闘機乗りになるはずがない(笑)

出撃命令をもらうために日参した、許可が降りた時はうれしくて、しかし終戦を迎えとうとう生きながらえてしまった。

飛行兵はいつか死ぬ、どうせ死ぬなら華々しく死ねる特攻隊。

そのほうが国のためにもなる、選ばれてうれしかった。

選ばれなくてすすり泣きしてた連中もいた。

大西瀧治郎中将の割腹自殺の遺書

日本人たるの矜持を失ふ勿れ

むすび

現代日本は前時代と比べれば「平和、自由、個人の幸福を追求しやすい恵まれた時代」だと思います。結果的に「利己的に生きられる時代」とも言えるように思います。

ただしその副作用として、精神性が劣化したのではないかと、つい問いたくなってしまいます。もちろん自分も含めてです。

この思いは、13年前に訪れたときと同様です。当時の若者(といっても、もちろん特攻隊に選抜されるのはいわゆる少数のエリートだったでしょうけども)の成熟した精神性が最も印象に残りました。

検閲もあって書けなかった内容もあるでしょうけども、とにかく辞世の句や遺書に弱音や未練が一切ありません。焦点が自分ではなく、父母や家族、国民なのですよね。

思想の根底に、「だれかのために」という高潔な精神性を共通して感じるのです。

3時間半、幾多の遺書を読み込んで、そのように感じました。

そうした一面を忘れずに持っていたいものですね。

ほか鹿児島には鹿屋航空資料館があります。3年ほど前に行きました。知覧も鹿屋も、ぜひ多くの日本の方々に訪れてほしい施設です。

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