筒井康隆さん原作、映画「敵」公開へ…老いと幻想 70代の日々
作家の筒井康隆さん(90)が、自らの長編が原作の映画「敵」(吉田大八監督)の公開を前にインタビューに応じた。昨年東京国際映画祭でコンペティション部門最高賞を受けた作品は、老いと幻想の中で生きる70代の元大学教授の日々を描く。映画の感想と、老いに向き合う自らの日々を語った。(文化部 川村律文)
「日常のこまごましたことを書いたから、これでは映画にならないだろうと思った。今では、だからこそやった方がいい、最適な作品だと思っています」
「私は90代だけど、枯れてない」
かつての教え子の靖子(瀧内公美さん)と語らう長塚京三さんが演じる儀助(右)(c)1998 筒井康隆/新潮社 (c)2023 TEKINOMIKATA車いす姿で取材に応じた作家は 饒舌(じょうぜつ) に語った。本作は1998年1月に刊行された。ごはんの残りを集めて 杜仲(とちゅう) 茶でお茶漬けにする。レバーは牛乳に浸して臭みを取る。映画は小説と同様に、主人公の渡辺儀助の日常を丹念に積み重ねていく。
モノクロ作品だったことにも好感を抱いた。「カラーじゃ考えられない。家庭の庭やお茶の間にしても、モノクロであれば小津安二郎をはじめ、お手本になる映画がたくさんある」
儀助は預貯金と残りの寿命を計算し、ささやかに人生を 謳歌(おうか) する。その日々を、かつての教え子の靖子と、ナイトクラブで出会った女子大生の歩美、亡き妻の信子の幻想などが彩る。やがて折り目正しい生活の中に、幻想と妄想が入り込み、 渾然(こんぜん) 一体となっていく。吉田監督には映画化にあたり、儀助は認知症ではなく“夢と妄想”の人だとアドバイスしたという。
「儀助は自分のお金の使える範囲内で、享楽的に生きている。幻想はお金がかからないからね。70代は枯れていませんよ。私は90代だけど、枯れていない」と笑った。
書き下ろし長編として本作が刊行されたのは、1996年に断筆を解除してほどない時期だった。刊行当時、63歳だった筒井さんは、自らより10歳以上も年上の儀助の老いをイメージしながら書いた。この作品をきっかけに、刑務所帰りの祖父と孫娘のふれあいを描いた99年の『わたしのグランパ』(読売文学賞受賞)や、政府の人口抑制策として老人同士が殺し合いを繰り広げる2006年の『銀齢の果て』など、筒井流の“老年文学”を手がけていく。「『銀齢の果て』は『敵』の裏返し。書いていて楽しかったのはそっちかな。『敵』は真面目になりすぎた」
この時期に「老い」と向き合った理由を「年をとることが怖かったからでしょう」と語った。「もっとみみっちくていじましくなるのか、ブサイクになるんじゃないかと色々考えた」。とはいえ、文字通りの老いはなかなか訪れなかった。「年寄りだと思い始めたのは80歳を過ぎてからですが、若い時と変わらなかった。酒は飲める、歩き回れる、金は入ってくる。同じことですから」
転機になったのは、昨年春に 頸椎(けいつい) を痛めて 麻痺(まひ) が残り、車いす生活になったことだ。「一瞬にして年寄りになってしまった。まだ、年寄りになって1年しか 経(た) っていないんです。もう既に老いているから、これからどういう老いになるのかは、よくわからない」
現在は妻とともに有料老人ホームで暮らし、持ち込んだパソコンで雑誌「波」のエッセーと文芸誌「文学界」の自伝の連載を書き継いでいる。「案外ちゃんとした文章になっている。でも、小説を書く気にはならないですね」とさらっと語った。
「書き尽くしたんですよ。リハビリをしてベッドの中にいると、 否(いや) が応でも過去のことを考える。どれもこれも、既に書いたことばかり。まだやっていないというものが一つもない」
取材の後半では、筒井作品を愛読してきたという吉田大八監督も話に加わった。「もし20年前に『敵』を映画化して、主演をオファーしていたら」と監督が尋ねる。新潮文庫の『敵』では、儀助に 扮(ふん) した筒井さんの写真がカバーを飾っているのだ。「主演と言ってくれるのはうれしいけれど、やったかな……」と面はゆそうに考え込んだ。
「やっていないと思います。ドタバタがないから」。この作家らしい答えだった。
映画は17日から、テアトル新宿などで全国公開される。