タバコを一度も吸わなかった私が、なぜ肺がんに──長谷川一男さんが語る「持っていきようのない気持ち」(石田雅彦)

 タバコの害について、筆者はこれまで疫学データや客観的な調査研究、産業の内部資料などをもとに記事を書いてきた。だが、統計学的な数字をいくら示しても、タバコを吸っている人、その煙のそばにいる人になかなか自分ごととして届かない。数字の向こう側にいる一人ひとりの声を伝えたい。そう考え、肺がん患者の会「ワンステップ」代表の長谷川一男さんに話を聞いた。

タバコの匂いで気持ち悪くなる

 長谷川さんは、1971年生まれ。2010年、39歳のときにステージ4の肺腺がんと告知され、余命は10か月と告げられた。そこから複数の抗がん剤、放射線治療、手術を重ねて長期生存を果たした。

 長谷川さんは、人生で一度もタバコを吸ったことがない。年齢的には同世代の多くが喫煙者だったが、その理由をたずねるとヘビースモーカーだった父親の存在に行き着くという。

 子どもの頃、吸い殻がたまった灰皿をひっくり返してしまった際、なぜ他人のゴミを片付けなければならないのかと思った。家族で車に乗れば、車内はタバコの煙が充満し、決まって酔って吐いたという。

「大人になって免許は取りましたけど、車に魅力を感じたことがないんです。車というのが、タバコの匂いで気持ち悪くなるところ、という印象がトラウマのようにあるのかもしれません」

 長谷川さんが大学生になったのは1990年前後、バブルの頃だ。同世代の男性の多くがタバコを吸っていた時代である。そうした環境で吸わなかったのは、よほど嫌だったからだろうと本人は振り返る。

 だが、大学卒業後に就職した放送業界は喫煙者が多く、タバコの煙の中で働くことが常識だった。受動喫煙という言葉は知っていても、それが自分の健康を本当に害するのかを深く考えたことはなかったという。

 子どもが、家の中や車の中で親のタバコの煙を吸わされ、大人になっても他人のタバコの煙にさらされる。当時は珍しい環境ではなかったし、筆者の家も父親が喫煙者だった。だが、今でも家庭内や一部の業種業態では起こり得る。

健康診断のCTには何も映っていなかった

 肺がんが見つかったとき、すでにステージ4だった。長谷川さんの肺腺がんは、肺の奥のほうにできることが多く、自覚症状がほとんど出ないことが多いという。

 症状が出たときにはすでに進行している。喫煙者に多いタイプの肺がんは、気管に近い中心部にできやすい。症状から比較的早く見つかることもあるが、肺腺がんはそういかないことも多い。

 しかも長谷川さんは、見つかる1年余り前に人間ドックで胸部CTを受けていた。そのときは何も映っていなかったという。つまり、わずか1年半ほどの間に、ステージ4まで進んでしまったことになる。

 ここには、がん検診の網の目の問題もある。長谷川さんによれば、CTによる肺がん検診で有効性が示されているのは、喫煙歴のあるハイリスクの人で一般的であり、非喫煙者にはCTを推奨できるだけのエビデンスがない。

 また、当時の長谷川さんは40歳未満で、フリーランスだったため職場の健診もなかった。若い世代はがんのリスクが低く、検診自体、推奨されることは少ない。

「その中でなってしまう人は、こぼれ落ちるんですよね。必ず自覚症状が出てからになるので」

父と同じ肺がん、なぜ自分が

 告知を受けたとき、長谷川さんの頭に浮かんだのは「なぜよりによって肺がんなのか」という思いだった。肺がんといえばタバコ、という印象は強い。タバコを吸わない自分がなぜ、という思いだ。

 だが、父親が肺がんで亡くなっていた。長谷川さんが発病する3、4年前に見つかり、やはり進行した状態で、1年ほどで亡くなった。父親の肺がんは、組織型からみてタバコとの因果関係が強いとされるタイプだったという。

「ヘビースモーカーだった父が肺がんで亡くなるのは、ある意味で納得できます。でも、どうしてタバコを吸わない私が同じ肺がんになるんだって、やっぱり思いますよね」

 それでも原因を考えれば、父親の顔が浮かぶ。仕事先でタバコを吸っていた同僚や友人の顔も浮かぶ。

「ヘビースモーカーだった父やタバコにいい思い出はないと言いましたけれど、たった一人の父親なので愛着はあるわけです。喫煙者の同僚や友人も含めて、責める気にはならない。でも、自分がもしかしたら受動喫煙でこうなったのだと考えると、このもやもやした気持ちをどこにも持っていけなくなるんです」

 もちろん、受動喫煙が原因と確実にわかっているわけではない。肺がんの中でも扁平上皮がんや小細胞肺がんはタバコとの関連が非常に強いが、腺がんはそれらに比べれば関連が弱いとされる。だから、長谷川さんは「疑いを持っている」と表現する。

「原因は正直わからない。でも、受動喫煙もあるんだろうな。あんなにいっぱい煙の中にいたし、という感じでしょうか」

 これまでの研究によれば、受動喫煙と肺がんの関係について、受動喫煙のある人の肺がんリスクは、ない人に比べて1.2倍から1.3倍と推計され、受動喫煙は明らかに肺がんのリスク因子と評価されている。

 もちろん、個人の病気の原因を何か一つに特定することはできない。だが、集団としてみれば、煙にさらされることがリスクを押し上げることは、科学的に確かめられている。

「遺伝子変異のないタイプ」の肺腺がんと闘う

 肺腺がんの治療は、他の肺がんとは異なる発展をとげてきた。長谷川さんの説明はこうだ。

 肺腺がんの多くは「ドライバー遺伝子」と呼ばれる、がんの発生に強く関わる遺伝子の変異が原因になる。一方、タバコとの関係が強い扁平上皮がんや小細胞肺がんは、有害物質によって遺伝子が何度も何度も傷つけられて生じると考えられている。

 がん細胞は免疫細胞から異物と認識されやすく、そのため免疫療法がよく効く。対して腺がんは遺伝子が一か所変わっただけなので、免疫システムが異物と認識しにくい。

 その代わり、原因遺伝子と発がんの関係がわかっているので、その仕組みをブロックする分子標的薬が次々に開発されてきた。現在、保険適用で調べられる遺伝子変異は9種類ほどあり、薬は20〜30種類にのぼるという。

「一般的に、免疫療法と分子標的薬という、がん治療の二大潮流の最先端が両方とも適用できるようになっているので、肺がんの予後はものすごく良くなっています」

 ところが、長谷川さん自身はそのどちらも使っていない。16年前の発病当時、調べられる遺伝子は1種類だけで、その後に調べた遺伝子でも変異は見つからなかったからだ。

 免疫療法が登場したのは、治療が落ち着いた後だった。長谷川さんの治療は、約30年前からあるプラチナ製剤を含む、昔ながらの殺細胞性抗がん剤から始まったという。

 標準治療での生存期間中央値は約1年。データを見れば、最初の薬が効くのは半年、次が3か月、その次は1か月……と、残された時間の配分まで見えてしまう。実際、最初の薬が効いたのは半年だった。

「ああ、自分は本当に肺がんなんだな、と身に染みてわかりました」

 僥倖だったのは、その半年の間に腫瘍がほとんど消えるほど縮小したことだ。それを見て、全身に広がった進行がんには通常行わない放射線治療を「やってみましょう」と言ってくれる医師がいた。

 当時はまだ、進行がんへの放射線による局所治療は標準ではなかった。その後、外科的治療を引き受けてくれる医療機関を探して右往左往しながら、抗がん剤、放射線、また別の抗がん剤、そして手術と、治療をつないでいった。

 使った薬は8種類ほど、放射線治療が2回、手術が1回。5年ほどたって、ようやく落ち着いた。語られる言葉の裏に、治療の苛烈さがある。

 そして長谷川さんは今、分子標的薬も免疫療法も使っていなかったことを「もしまた悪くなっても、まだ弾(たま)、次の治療法がある」と前向きに捉えている。

税金を払っているからで納得していいのか

 筆者はジャーナリストとして、タバコ会社やタバコ産業、タバコ税収に依存する政府・自治体の問題を追ってきた。タバコ産業は、その害を自らの内部資料でずっと昔から把握しながら、害のあるものを偽って売り続けてきた。水俣病、アスベスト、PFASなど、企業が原因をつくり、人が病に倒れた例は少なくない。

 長谷川さんはタバコについて、特に言葉にしにくい違和感があるという。

「喫煙者の方はよく『税金を払っているから』と言います。それを聞くと、『だからといって健康への被害に納得していいのだろうか』と思う。でも、この違和感をちゃんと言葉にして言い返せないんです。タバコには、そういうところがすごく多い気がします。誰かを糾弾するということではなく、物事を考えていくための事実や視点があればいいと思っています」

 筆者自身、2024年8月に大腸がんが見つかり、直腸を約12センチ切除した。現在も経過観察中で、CT検査のたびに緊張する。

 かつて喫煙者だったこともあり、なぜがんになったのかと考えたこともある。だが、原因をいくら探しても、なってしまったものは仕方がない。それでも、避けられるリスクは避けたほうがいい。

 長谷川さんの考えも、それに近い。

「生活習慣で予防ができるなら、やったほうがいい。でもそれは確率を下げるだけで、絶対じゃない。だから検診に行く。でも検診も完璧ではありません」

 厚生労働省の資料によれば、病期Iの肺がんを発見する割合は胸部X線で30%から40%、低線量CTが60%から80%とされている。60%なら、5人に2人は見逃されることになる。

 それでも、集団としてみれば寿命を延ばす効果があるから検診は行われている。個人の立場からすれば、見逃されたら怒りもする。

 それでも、検診には命を延ばす力があるのだから、その仕組みに入っておいたほうがいい。そして、網の目からこぼれ落ちたなら、そのときに治療をすればいい。

「予防する、検診に行く、治療する。物事は全部、完璧じゃないんですよね。前向きに捉えていくしかないと思います」

 がんは運だと言う医師もいる。いくら予防しても防げないという話も聞く。

 統計で語られる集団の話と、自分という個々人の話は、どうしても混ざり合い、わかりにくくなる。長谷川さんも「難しいなと思います」と言う。

 だからこそ、長谷川さんの言葉は重い。一度もタバコを吸わなかった人が、父親や同僚の煙の中で育ち、働き、そして肺がんになった。その原因を誰かに押しつけることもできず、持っていきようのない気持ちを抱えながら、16年を生き抜いてきた。

ロボット好きはロボットで啓発する

 患者会の活動を続ける中で、長谷川さんが「やっていてよかった」と感じる瞬間がある。

 最近では、がん啓発イベントの広報を兼ねて、AI動画コンテストを開いた。16作品の応募があったという。家族をがんで亡くしたAIクリエーターは、その記憶をもとに映像をつくり、がん患者でなければ描けないような小さな仕草を織り込んできた。

 驚いたのは、がんとはあまり関係のないと思われるAIクリエイターが、自分の言葉で啓発を語ってくれたことだ。ロボットアニメが好きな人は、ロボットで「どう患者に声を掛けたらいいか・どう支えるか」を描いていた。

「がん患者が言うと『検診に行ってね』とか『命は有限です』とか、どうしても真面目な言葉になってしまう。でも、全く知らない人が主語になって、自分の好きなことに乗せて啓発している。見たことのない、全く新しい形でした」

 がんは生涯に2人に1人がかかる病気だ。それぞれが事情を抱えながら、がんと隣り合わせに生きている。そのことを改めて感じたという。

 タバコを吸う人を責めるために、この記事を書いたのではない。長谷川さん自身、父親も同僚も責めていない。

 問われるべきは、煙が当たり前だった社会をつくり、その害を知りながら売り続けてきた産業であり、税収を理由にそれを容認してきた行政のほうである。吸う人も、吸わない人も、タバコの煙の中にいた。この事実を、もう一度考えてみてほしい。

※2026年10月4日(日)、10時より、神奈川県がん患者団体連合会などが主催する「がんを知る日 in みなとみらい─命と健康のためにできること─」というイベントが開催される。場所は、横浜みなとみらいクイーンズサークル(クイーンズスクエア横浜1階)、入場無料・申し込み不要。がん患者らによるトーク、地元の高校生らによるパフォーマンスや演奏などが行われる。

長谷川一男(はせがわ・かずお)

大学卒業後、フリーのテレビディレクターとして映像の現場で働いていた2010年、39歳のときにステージ4の肺腺がんがわかる。その後の治療を経て、2015年に患者会ワンステップを立ち上げた。日本肺癌学会のガイドライン委員、国のがん対策推進協議会委員などを務め、患者発案による医師主導治験(KISEKI Trial)の実現にも関わる。2016年、世界肺癌学会のペイシェント・アドボカシー・アワードを受賞。

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