春夏連覇で「天狗になっていた。社会人で鍛えられました」伝説の“延長18回”投げぬいた石井毅のいま「箕島と星稜の縁はほんまにありがたい」(Number Web)

 和歌山市に本拠を置く住友金属野球団は、1965年と1966年に都市対抗野球で準優勝した社会人野球の強豪だ。1977年には全日本選手権で初優勝を飾っていた。 「入るまでは社会人野球がどういうものかわかりませんでしたが、住友金属は泥臭い野球をするところだと聞いていました。監督は松永玲一さん。甲子園の試合ではテレビ解説をされていて、僕のピッチングをものすごくほめてくださった方です。当時、プロに行くということは考えていませんでした。目標は都市対抗野球に出て優勝すること」  それまで住友金属で主戦投手をつとめていたのは、1976年ドラフト会議でロッテオリオンズの1位指名を拒否して入社した森繁和だった。森は1978年ドラフト会議で1位指名を受け、1979年は西武ライオンズで先発・リリーフとフル回転していた。  石井にかかる期待は大きかった。 「ありがたいことに、どんどん試合で使ってもらいました。チームが目指すのは都市対抗の優勝。そこに向かってやっていました。自分の野球人生を振り返った時、住友金属に入ったことがプラスになったと思います。聞いていた以上に厳しい野球部で、人間的なところを鍛えてもらいました」  あくまで本業が社業である社会人野球であれば、求められるのは野球の技術だけではない。 「高校時代に春夏連覇をして、天下を取ったような気持ちでいましたから、きっと天狗になっていたと思う。先輩方が本当に厳しく接してくれました。社会人1年生として何をやるべきか、やってはいけないことは何かを教えてもらって本当にありがたかったですね。  時には『なんでそんなこと言われるの……』ということもありましたが、のちのち、言葉の意味に気がつきました。チームメイトも、会社の人たちもそう。だから、今の自分があるんだと思います」  1982年に都市対抗野球で初優勝。4勝を挙げた石井は、最優秀選手賞に当たる橋戸賞を獲得し、その秋のドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受けた。  黄金時代の西武で1988年までプロ野球でプレーした。1986年には42試合に登板、5勝1敗2セーブを記録してチームの連覇に貢献した。

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