【エヌビディア⑤】ノーベル賞学者、ジェフリー・ヒントンが証明したGPUの底力<Buy&Hold STORIES-5->
※株価単位はドル。株式分割を反映後の修正値
「CUDA」に懐疑の声、GPUにも不具合がGPU(画像処理半導体)という半導体の新たなカテゴリーを生み出し、この分野では他社を寄せ付けないトップシェア企業となったエヌビディア<NVDA>。2007年にソフトウェア開発基盤、「CUDA(クーダ)」の提供を開始し、GPUの持つ潜在能力を生かして画像処理以外の用途の拡大を志向した同社だが、そのまま順調に、AI(人工知能)の盟主となった現在の姿へと成長していったわけではない。
「CUDA」がリリースされてから数年の間、その評価はゲームの開発者や汎用コンピューティングに興味を持つ技術者からは「一度使いこなせば、もう離れることはできない」と言われるほど評価が高かった。だが、技術者であってもGPUと接点がなければその価値を知る機会はなく、「CUDA」の意義が多くの人々に理解されていたとは言い難かった。 特に株式マーケットの反応は鈍かった。07年7月、「CUDA」の提供が始まった時期は、のちに未曽有の金融危機、リーマン・ショックにつながるサブプライム危機に世界が見舞われている渦中にあった。同年10月18日に0.99ドル(その後の株式分割反映値、以下同)の高値を付けた同社株は、その後は下落の一途を辿り、1年後の08年11月21日には0.14ドルまで下落。わずか1年で7分の1になってしまったのだ。株価下落の原因は金融危機だけではない。同社CEOのジェンスン・フアンは、「CUDA」の開発を「GPUをスーパーコンピューター並みの性能に引き上げるため」のものだと主張していたが、「大衆がそんなものを望んでいる様子は全く見られなかった」(『ザ・ニューヨーカー』23年11月27日付)という。それでも「CUDA」によってスーパーコンピューターの市場自体が拡大すると確信していたフアンは、シミュレーション用アクセラレーターの技術力に定評があった新興企業を買収するなど、周囲の懸念の声をよそにこのソフトウェア開発基盤の進化に数十億ドルの投資を継続した。
だがこの時期、同社は主力のGPUでも大きなトラブルを抱えていた。08年になって同社の一部のモバイル向けチップやGPUなどに「異常な故障率」が見られるようになり、パソコンユーザーなどから集団訴訟を起こされる事態となったのだ。GPUは少数のコア(演算回路)で構成されるCPU(中央演算装置)とは異なり大量のコアが必要となる。そのため、他の半導体チップと比べて、大量の熱を放出するという特徴があるのだが、この制御が不十分だったようだ。 フアンは「私たちには顧客に対する責任があり、問題の解決に取り組む」と声明を出したが、事態はそれだけで収まらず、2010年に和解が成立するまでGPUの不具合は業績の足を引っ張ることになった。当時のGPUを取り巻く状況を振り返ると、07年6月にアップル<AAPL>が「iPhone(アイフォーン)」を発売し、スマートフォン時代の到来を告げていた。マイクロソフト<MSFT>の「Windows(ウインドウズ)」はさらに機能を高め、90年代まではゲーム機が独占していた高精度の3Dグラフィックス機能は、どのパソコンにも搭載されるようになっていた。
さらにアドバンスト・マイクロ・デバイセズ<AMD>傘下のATIテクノロジーズに加えて、パソコン用CPUで圧倒的なシェアを持つインテル<INTC>もGPU開発に参入し、競争は激しさを増していた。そこに金融危機が重なるという非常にタフな時代だったのだ。
この事業環境は、ナスダック上場以来順調に成長してきたエヌビディアの業績にも暗い影を落とした。GPUの補償費用の計上などもあって、09年1月期と10年1月期には赤字に転落、売上高も12年1月期まで30億ドル台で伸び悩んだ。08年の急落以降、同社の株価はしばらく0.2ドルから0.4ドルと低位のボックス圏で推移することになる。同時期の業績を考えれば、妥当な株価推移と言えるかもしれない。エヌビディア2009年~2013年の業績推移(単位:1000ドル)