「プーチンの墓で踊ろう」 戦時下のウクライナで今も続く抵抗運動としての「レイブ」

ロシアとの戦争は5年目に入ったが、ウクライナの人たちのレイブを楽しむ姿勢は変わらない/Vladyslav Musiienko/Reuters

キーウ(CNN) 雪と氷に覆われた暗い路地を人影が通り抜け、こもったビートが聞こえてくるコンクリート建てのビルへ向かった。ウクライナの首都キーウ中心部にあるそのビルの中で、赤い薄明かりがぼんやりと照らし出すのは、汗ばんだ体を押しつけ合って踊る集団だ。

赤い照明は軍用の懐中電灯を連想させる。ここから東へ数百キロ離れた前線でロシアと戦う兵士たちは、敵に見つからないように明るさを抑えた懐中電灯を使う。だが、キーウで最も有名なナイトクラブのひとつ「クローザー」に集まった人々にとって、パーティーはたとえ一夜限りでも戦争を忘れさせてくれる手段だ。

「このおかげで私たちは正気を保つことができる」とCNNに語ったのは、ワレリア・シャブリーさん(32)。クローザーで、春の訪れを祝うスラブの祭典「マスレニツァ」のイベントに参加していた。「私たちにとってはウォー(戦争)・ライフ・バランスという感じだ」

ウクライナでは文化生活の大部分が戦争で途絶えた。2022年2月にロシアの全面侵攻が始まってから、多くのコンサートホールが閉鎖され、アーティストたちは避難したり、軍に入隊したりしている。

キーウのナイトクラブ「クローザー」で春の訪れを祝うスラブの祭典のイベントが開催された/Quinta Thomson/CNN

それでも人々はパーティーに集まって来る。元リボン工場の建物で営業するクローザーは、戦争が始まっていったん閉店したものの、8カ月後に再開。それ以来ほぼ毎週、音楽イベントを開催してきた。

シャブリーさんによれば、ミサイルとドローン攻撃の脅威に絶え間なくさらされつつ、たびたびの停電で厳しさを増した冬に耐え抜いた人々にとって、ダンスは戦禍のストレスを発散するはけ口になっている。

「みんな疲れ切っている」と、シャブリーさんは言う。「ここに集まり友人たちと過ごすことで、結束が生まれている」

野外などで電子音楽を流し、夜通し踊るイベント「レイブ」。シャブリーさんによると、その文化はウクライナの各都市で形を変えながらも生き続け、ロシアとの過酷な戦争が続く4年間のうちに一種の力強い抵抗運動として発展してきた。

「レイブは消えなかった」と、シャブリーさんは言う。「私たちはプーチン(ロシア大統領)の墓でレイブを開くだろう」

ウクライナのレイブと抵抗運動

ロシアとの戦争が起きる前から、ウクライナでは長年、電子楽器のダンス音楽シーンが抵抗の概念と結びついていた。

1990年代にソビエト帝国が崩壊した後、同国には独立国家としての新たな時代が到来し、欧米文化の影響を受け入れることが奨励された。ベルリンなど欧州各地にある電子音楽の拠点からの影響も広まった。

クリミア半島を含む国内各地で大規模なパーティーや、廃屋などを占拠して開く「スクワット・レイブ」、音楽フェスティバルが次々に開かれ、表現の自由を主張したり音楽的実験を試みたりする場となった。

こうしてウクライナに芽生えたレイブ文化が頂点に達したのは2010年代半ば。首都キーウの倉庫や橋の下でレイブ集団「Cxema」による大規模なレイブが開かれ、国際的な注目を集めた。

ロシアによる侵攻の前から「Cxema」による大規模なレイブが開催されていた/Slava Lepsheiev/Cxema

Cxemaの設立者、スラバ・レプシェイエフさんがCNNとのインタビューで語ったところによると、イベントの趣旨は「安全で民主的な場をつくり」「若者たちのコミュニティーを構築する」ことだった。ヤヌコビッチ大統領が汚職と職権乱用に対する抗議デモで追放された14年の「マイダン革命」以降、若者たちは経済的不安に苦しみ、不満を抱いていた。

「抵抗運動の矛先は古い体制とソ連時代の名残に向けられた」と、レプシェイエフさんは説明する。「だが全面侵攻後に抵抗のベクトルが変化し、今は敵に向けられている。私たちは強さを保つために集まり、踊る」

レプシェイエフさんは「この戦争の悲惨さを考えると、私たちが楽しい時間を持ち続ける機会を得ること、そうしたいと願うことは特に重要だ」と強調し、パーティーは現実逃避できる場になっていると言い添えた。

だが戦時下でレイブを企画するのは大変なことだ。同氏によれば、夜間外出禁止令が出ているため、Cxemaのイベントは日中に開催される。大規模な集まりに対しては安全上の懸念が指摘されることから、イベントの規模も縮小された。

「とても荒々しいエネルギー」

国内で開かれるほかのクラブイベントの主催者らも同様に、レイブ文化に戦争の影響が及んでいるとの見方を示す。北東部ハルキウでナイトクラブを運営する団体「サム・ピープル」の共同設立者、アントン・ナザルコさんは「パーティーのエネルギーが増した」と話す。「とても荒々しいエネルギーだ」

ハルキウはロシア国境からわずか30キロほどの街だ。ナザルコさんによると、通常2週間ごとに開催される店のイベントにウクライナ兵が参加することもある。

「朝には塹壕(ざんごう)の中で戦っていた仲間が、夜には私たちのパーティーにやって来る」と、ナザルコさんは語る。「かれらは人生最後の日を迎えたかのように踊っている」

ハルキウでナイトクラブを経営するアントン・ナザルコさんは「パーティーのエネルギーが増した」と話す/Anton Nazarko

サム・ピープルの本部はもともとハルキウにあったが、戦争が始まって数日後に爆撃を受けたという。死者は出なかったが、メンバーは持ち物を売って金を借り、23年に「センター・オブ・ニュー・カルチャー」という現在の事務所を開設した。

ナザルコさんは、ハルキウで文化生活の継続を図ることが戦争への貢献になると考えている。

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