「出勤するのが怖い」「手術後の薬をもらえなくなる」 トランプ米大統領就任で米国内に広がる絶望

1月20日の大統領就任式当日、ホワイトハウスの大統領執務室で大統領令と恩赦発令の文書に署名するトランプ米大統領(写真 ロイター/アフロ) この記事の写真をすべて見る

 トランプ氏が米大統領に就任した。公約実現に向けて早速、多くの大統領令に署名。移民排除や多様性政策撤廃などの施策を打ち出し、米国内でもショックが広がっている。

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「MAGA(Make America Great Again=アメリカ合衆国を再び偉大な国に)」が実現する「黄金時代」に向けて、破壊された米国をリセットする――。第60回米大統領就任式が1月20日、ワシントンで行われ、トランプ新大統領は就任演説で将来を語った。

 式場で見守った主賓には、世界一の億万長者であるイーロン・マスク氏ら3位までの億万長者が顔をそろえた。しかも、トランプ氏は相次いで大統領令に署名し、不法移民の強制送還などを打ち出し、即日、米国内では工場や職場に出勤しない移民が続出。「物価高から解放し、米国を住みやすくしてくれる」と期待してトランプ氏に投票した労働者階級の願いとはかけ離れた億万長者が支配するオリガルヒ(寡頭政治)に突入している。

この瞬間も捕まえにきたら

「今日、出勤するのが怖かった。毎晩のように、南米の故郷にいる夢を見る。そこで、ニューヨークに帰りたい、ペットのがどうなったのか、健康保険はどうしたらいいのか、と考えている夢。今、この瞬間も僕を捕まえに役人が来たらどうなるのか」

 と話すのは、米国に20年住み、レストランでバーテンダーとして働く男性。トランプ氏が就任式直後に不法移民の強制送還と国境の警備強化を命じる大統領令に署名したため、不安な日々を送っている。

「毎日、教室に行って、生徒が何人残っているのか心配で心が痛む」

 と暗い表情を浮かべるJ・C氏はニューヨーク市内の公立高校で歴史を教えている。生徒の多くは、移民1世の子どもや、最近市内に移り住んだ亡命越境移民の子どもだ。しかし、トランプ氏は、「両親が不法移民であっても米国で生まれた子どもは米市民権を持つ」という司法判断を反故(ほご)にする大統領令にも署名した。

「同性愛者が結婚できなくなるのか。私たちトランスジェンダーは、手術後の薬をもらえなくなるのか」

 と、ソーシャルサービスワーカーのソーニャさん。男性から女性に性別変更して3年。処方される薬がないと体調が安定せず、精神安定剤も服用している。トランプ氏は就任演説で「政府の公式方針では、ジェンダーは女性と男性だけにする」と述べた。米国でようやく市民権を得てきたLGBTQなど性的マイノリティーの市民には、絶望的なショックが広がった。

 就任式の翌朝、米国内のニュース番組では、メキシコとの国境で、声を上げて泣く女性の映像が何度も流れた。南米の故郷で身の危険を感じ、亡命を希望して米国境にたどり着いたものの、亡命申請書を受け付けてもらえないことを知った女性の姿だ。22日には、トランプ氏が対メキシコ国境を通じた外国人の入国を一時停止する大統領令に署名。国境の事実上の封鎖だ。


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 筆者は2009年のオバマ元大統領のときから就任式の取材を続けてきたが、これほど多くの人を不幸にした就任式は初めてだ。トランプ氏1期目に比べて、「アメリカ・ファースト」の名の下、移民差別、排他主義、白人至上主義などを前面に出した大統領令を連打している。

 就任式の当日も異例ずくめで、大きな「分断」を感じた。いつもは人通りの多いワシントンのダウンタウンは、赤いMAGAハットやスカーフをまとった支持者の姿以外は、閑散としていた。ワシントンは、約9割が民主党大統領候補カマラ・ハリス前副大統領に投票したリベラル派支配の選挙区であり、近隣住民らしき姿は皆無。犬を散歩させている人に近づくと、トランプ支持者だった。

 米紙ワシントン・ポストによると、トランプ氏に反対する意見をメディアに話したり、反トランプ集会に参加したりして、トランプ支持者に攻撃されることを市民が恐れ、外出を控えたという。同紙にコメントした市民はみな、匿名だった。パキスタンからの移民の筆者の友人も、就任式の日はワシントンの自宅ではなく、フロリダ州の友人宅で過ごしていた。トランプ派に反対できない環境や自己検閲がもう始まっている。

特等席に並ぶ億万長者

 一方、ワシントンの外からやってきたトランプ支持者は、「人生で一度のイベント」と就任式当日を楽しんでいた。零下5度という極寒のため、通常は連邦議会議事堂(キャピトル)のテラスで行われる就任宣誓式は、屋内で行われた。キャピトル前のナショナル・モール公園の大スクリーンでそれを目撃しようとした数十万人の人のうち、公式観覧会場のアリーナに入れたのは2万人超だけ。宣誓を見たい人々が、スポーツバーに駆け込んだり、カフェや歩道などで各々のスマホで見守ったりする姿が目立った。

 異例だったことの一つは、宣誓するトランプ氏の後ろの特等席に並んでいた億万長者らだ。電気自動車(EV)大手テスラCEOで、トランプ政権でも要職に就くマスク氏、メタCEOのマーク・ザッカーバーグ氏、アマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏など億万長者らが画面に映る。筆者がいたスポーツバーでは、支持者から「イーローン!」などの歓声が上がる。トランプ氏が聖書に手を置かない異例の宣誓をした直後、「U.S.A.、U.S.A.!」の掛け声が長くわき起こった。


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ドナルド・トランプ大統領2期目の就任を祝うイベントでナチスの敬礼に似たジェスチャーをして物議をかもしたイーロン・マスク氏(写真 ロイター/アフロ)

 異例な事態は、就任式後も続いた。公式観覧会場に現れたマスク氏は、「みんなに感謝!」と言って、「ハイル・ヒトラー」のような敬礼を2回行った。600万人ものユダヤ人が犠牲になったホロコーストの張本人であるヒトラーを崇拝するかのようなジェスチャーに、世界が震え上がった。

 トランプ氏は、同じアリーナの会場で、大統領令に署名する異例の「パフォーマンス」も行った。かつては、ホワイトハウス内で行われていた就任直後の大統領令署名。署名はお気に入りの油性ペン。複数そろえられた油性ペンを自ら観客席に投げた。通常は、大統領令や法律の成立に貢献した議員や活動家などにペンを大統領が手渡しして感謝と尊敬を示していたものを投げてエンタメに変えた。

民主主義のルール超えた

 さらに、トランプ氏は、2021年1月6日にキャピトルを襲撃し有罪となった約1600人に恩赦を与えた。事件で有罪となったほぼ全員で、中には野球バットなどで警官を負傷させた人物も含まれる。事件で警官が100人以上負傷し、事件後にショックから自死した警官もいる。

 この恩赦をめぐっては、民主主義の象徴である議事堂を襲ったにもかかわらず、犯罪者が釈放されることから、「法を超越する者はいない」という民主主義のルールを超えたと非難が上がっている。暴力を肯定すれば、その先にあるのは、暴力がまかり通る独裁につながる。

 他の大統領令では、「連邦職員は直ちに対面職務に戻る」とする。新型コロナウイルスによるパンデミック以降、定着していたリモートワークは、トランプ氏に急接近したマスク氏が嫌悪し、経営するテスラなどで出勤を強制していた反映だ。

「多様性・公平性・包括(DEI)」もトランプ政権の攻撃対象だ。多様な人種やジェンダーの積極的な雇用を進めるDEI担当の連邦職員は22日から有給休暇に入ると、ホワイトハウス報道官がX(旧ツイッター)に投稿した。就任式直後には、DEIを推進してきた女性の米軍幹部が「クビ」になっている。

 これはほぼ恐怖政治ではないか。一連の大統領令は「アメリカ・ファースト」を印象付けるもの。しかし、その集中射撃は、米国内にいる人々の多くが涙する内容だった。オリガルヒ、そして独裁政治はかつて、ロシアの専売特許だったが、今や米国もそれに加わりつつある。

(ジャーナリスト 津山恵子〈ワシントン〉)

※AERA 2025年2月3日号

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