労働基準法「40年ぶりの大改正」の裏側 IT業界の“名ばかり業務委託”が破綻する理由と対応策:久松剛のIT業界裏側レポート

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DX推進、生成AI技術の進化が加速する今、企業のIT部門は戦略的な役割への変化が求められ、キャリアの転換点に立たされています。この現状を変え、真に企業価値を高める部門となるには新たな戦略が必要です。

本連載では、博士としてインターネット技術を研究し、情シス部長、SRE、エンジニアマネジャーとしてIT組織の最前線を知る久松剛氏が、ニュースの裏事情や真の意図を分析します。一見関係ないニュースもIT部門目線の切り口で深掘りし、IT部門の地位向上とキャリア形成に直結する具体策を提示します。

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 労働基準法の約40年ぶりの大幅見直しに向けた議論が、本格的な制度設計のフェーズに入っています。施行時期が当初の想定より後ろ倒しになる可能性はありますが、労働者の位置付けや働き方の前提そのものを見直すという大きな方向性に変わりはありません。

 今回の見直しは、単なる労務管理ルールの変更ではありません。副業や兼業、テレワーク、業務委託、フリーランスといった働き方が一般化した現在において、企業がどのように人材を雇い、管理し、責任を負うのかという経営判断に影響を及ぼします。

 本稿は、労働基準法大改正の方向性を整理した上で、企業経営、人材戦略、IT基盤の観点から、何が変わり、経営層やIT組織は何を考えるべきかを整理します。

 今回の改正議論は、厚生労働省の「労働基準関係法制研究会」報告書や検討資料をベースに進められています。方向性を大きく整理すると、次の3点に集約されます。

 現行の労働基準法では、労働者は使用者の指揮命令下で労務を提供し、賃金を受け取る者とされています。しかし、副業や兼業、フリーランス、プラットフォームワーカーの増加により、契約書では業務委託であっても、実態としては雇用に近い働き方をしている“名ばかり業務委託”が急増しています。

 研究会では、契約名称に依存せず、実態を重視した判断をより明確化し、「労働者性」の予見可能性を高める必要性が指摘されています。企業にとって重要なのは、判断材料が契約書だけにとどまらない点です。

 今後は、業務指示がされているチャットや電子メールの履歴、勤怠システムや工数管理ツールの記録、業務システムへのアクセスログといったデジタルな証跡が、指揮命令関係の裏付けとして参照される可能性があります。つまり、システムとログが労務リスクに直結する時代に入るということです。

 テレワークの普及により、出社日と在宅日が混在する働き方が一般化しました。一方で現行制度は、ハイブリッドワークを運用する場合、フレックスタイム制や裁量労働制の設計が極めて複雑になるという課題があります。

 今後は柔軟な働き方を前提とした制度整理が進む可能性がありますが、企業の管理責任が軽くなるわけではありません。勤怠データの客観的把握、労働時間の可視化、健康確保措置の実効性といった点でより厳密な運用が求められる方向です。

 これは、「自由に働ける」一方で、「働き方をデータで説明できなければならない」ことを意味します。勤怠システムやPCログ、クラウドサービスの利用履歴など、IT基盤が労務管理の中核になるでしょう。

 副業、兼業について、現行法は事業場が異なっても労働時間を通算するのが原則です。この点については、企業側の管理負担が大きいとの指摘もあり、見直しが議論されています。

 ただし重要なのは、全てが緩和されるわけではない点です。議論の方向性としては、割増賃金などの金銭的な通算負担については整理、緩和を検討する一方で、過重労働防止などの健康管理責任は維持、強化するという整理が示唆されています。

 企業にとって副業は福利厚生ではなく、人材戦略の一部になります。副業を認めるかどうかではなく、どこまで管理し、どこから本人責任とするのかを、制度とデータで説明できるかどうかが問われます。

 労働基準法大改正の影響は全業種に及びますが、IT業界は特に影響を受けやすい領域です。業務委託や副業、テレワーク、裁量的な働き方といった要素が他業種よりも早く、かつ広く浸透しているためです。

 SIerや受託開発企業では、長年にわたり業務委託や準委任、常駐といった形態が広く使われてきました。形式上は委託であっても、勤務時間が固定され、チャットやチケットシステムを通じて日常的な指示がされているケースは少なくありません。

 今回の改正で労働者性の判断が明確化されると、契約書よりも、チャット履歴や勤怠データ、作業ログといった実務の痕跡が重視される可能性が高まります。これまで慣行として成立してきた常駐型の委託モデルは、雇用転換か成果物ベースへの再設計を迫られる局面に入ります。

 SaaSや自社プロダクトを提供している企業はフルリモートや裁量的な働き方が進んでいる傾向があります。一見すると自由度の高い職場に見えますが、実際には「Slack」や「Microsoft Teams」「Jira」などを通じて、稼働状況や作業内容が細かく可視化されています。

 労働時間制度の見直しが進むと、裁量的に働いているように見えるエンジニアについても、実質的な労働時間管理が求められる場面が増える可能性があります。これは個人の自由を制限するというより、企業側がどこまで管理し、どこから自己裁量とするのかを制度として定義する必要が出てくるという意味です。

 情シスや社内SEは、IT業界の中でも特に影響を受けやすい立場です。業務内容が定型化しておらず、突発対応や障害対応が多いため、労働時間が見えにくい一方で、実態としては強い指揮命令下に置かれています。

 また、外部の業務委託や派遣と混在した体制を取っている企業も多く、誰が労働者で、誰が委託なのかが曖昧(あいまい)なまま運用されているケースもあります。改正後は、この曖昧さ自体が経営リスクとして顕在化する可能性があります。

 副業やフリーランスエンジニアの活用は、IT業界では既に一般的です。しかし、業務指示がチャットベースで日常的にされ、レビューや稼働確認が頻繁にされる場合、形式上の委託であっても労働者性が問われやすくなります。

 副業に関しても、煩雑な労働時間通算ルールの見直しが検討される一方で、企業側の「健康確保責任」はこれまで以上に重視される流れにあります。副業人材を単なる「外部リソース」と見なすのではなく、自社の社員と同様にコンプライアンスの枠組みに組み込む設計が不可欠です。

 これらの改正は、IT部門や人事部門だけの話ではありません。経営層が押さえるべき変化は明確です。

 第1に、契約形態の選択は、単なるコスト削減の手段から、法務・労務リスクを伴う経営判断へとその位置付けが変わります。形式ではなく実態が問われる以上、契約や業務設計、システム運用をセットで見直す必要があります。

 第2に、働き方の自由度と説明責任は表裏一体になります。テレワークやフレックスを導入しても、健康確保や労働時間管理の責任は企業側に残ります。そのため、勤怠データ、業務ログ、健康管理の仕組みを含めた全社的な設計が必要になります。

 第3に、副業は採用競争力と直結するテーマになります。曖昧な運用は法令順守リスクを高めるため、副業ルールの明文化とシステム対応が不可欠になります。

 今回の労働基準法大改正は、労務担当者だけの問題ではありません。人材をどう位置付け、どう生かし、どこまで責任を負うのかという経営の前提条件が書き換わる出来事です。

 法改正に追われるのではなく、法改正を前提に組織と働き方を設計し直す。その視点を持てるかどうかが、これからの企業競争力を左右することになるでしょう。

 エンジニアリングマネージメントの社長兼「流しのEM」。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学で大学教員を目指した後、ワーキングプアを経て、ネットマーケティングで情シス部長を担当し上場を経験。その後レバレジーズで開発部長やレバテックの技術顧問を担当後、LIGでフィリピン・ベトナム開発拠点EMやPjM、エンジニア採用・組織改善コンサルなどを行う。

 2022年にエンジニアリングマネージメントを設立し、スタートアップやベンチャー、老舗製造業でITエンジニア採用や研修、評価給与制度作成、ブランディングといった組織改善コンサルの他、セミナーなども開催する。

Twitter : @makaibito

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