ロータス・エスプリ 4世代(1) ジウジアーロの斬新ウェッジシェイプ へセルに集ったレジェンド
「デザインは民主主義と違います」。近年の迎合的な思考と異なる、大胆な発言をするのはカーデザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ氏。1970年代に世間を驚かせた、フェラーリへの挑戦状的なロータス・エスプリを描き出した人物だ。
コーリン・チャップマン氏が率いた異端ブランドにとって、エスプリは画期的なミドシップ・スポーツだった。28年という長い寿命の間に、延べ1万台以上がリリースされている。知性的な訴求力で勝るライバルは、ポルシェ911程度かもしれない。
グレートブリテン島南東部、へセルに集ったロータス・エスプリ 4世代 マックス・エドレストン(Max Edleston)そんなエスプリは、2025年で誕生から半世紀を迎える。4世代を揃えて振り返るのに、またとないチャンスだろう。今回は、各世代へ携わったデザイナーにもご参集いただいた。ジウジアーロご本人にも。
デザイン案に納得しなかったチャップマン
英国編集部が訪れたのは、グレートブリテン島南東部、へセル郊外にあるケタリングハム・ホール。ここはエスプリのデザインが練られた建物で、元ロータスCEO、マイク・キンバリー氏がわれわれを待っていた。このモデルを具現化させた功労者だ。
プロジェクトの発端は、1972年のスイス・ジュネーブ・モーターショーにあったという。会場でチャップマンとキンバリーは、ロータスの新しいコンセプトカー製作へ感心を抱いていた、ジウジアーロと面会したのだ。
ロータス・エスプリ S1(1976〜1977年/英国仕様) マックス・エドレストン(Max Edleston)チャップマンは、アルファロメオ・ジュリア GTやマセラティ・ギブリなどの実績を踏まえ、絶好の機会だと捉えた。ところが、当初は提示されたデザイン案に納得しなかったらしい。それを知っても、ジウジアーロ率いるイタルデザインは作業を止めなかった。
同年のイタリア・トリノ・モーターショーへ出展したイタルデザインのブースには、「シルバーカー」と呼ばれるコンセプトカーが飾られた。先が尖ったウェッジシェイプ(くさび形)は、ヨーロッパの後継でエスプリと呼ばれる、ロータスの原型になった。
ヨーロッパのシャシーを延長しイタリアへ
「モーターショーへ飛行機で向かいました。素晴らしいコンセプトカーで、大勢の群衆が取り囲んでいましたよ。チャップマンさんは、これを進めようと、とても喜んでいました」。キンバリーが振り返る。
イタリアから戻った彼らは、ヨーロッパのシャシーを延長。その中央へ、DOHC直列4気筒のオールアルミエンジン、907ユニットを載せ、イタルデザインへ輸送した。
ロータス・エスプリ S1(1976〜1977年/英国仕様) マックス・エドレストン(Max Edleston)「複合素材のボディは、上下の2分割で作られました。上側で下側を包むように組み合わせることで、望ましい方向の剛性が強くなります。時速30マイル(約48km/h)で、側面や後方の衝撃にも耐えるほど」
それから3年間、ロータスのデザイナーだったオリバー・ウィンターボトム氏を加えた3人は、チャップマンのプライペートジェットでイタリアを頻繁に訪れた。「ジウジアーロさんとの関係は、互いにリスペクトし合い、非常に良好でした」
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チャップマンは、軽量化への強いこだわりがあった。結果的に、量産仕様のエスプリ S1の車重は898kgに留められた。また907ユニットは燃費に優れ、アメリカ・カリフォルニア州の厳しい排気ガス規制をクリア。主要市場での販売も可能になった。
他方、シャープなボディの量産化は簡単ではなかった。キンバリーが続ける。「コンセプトカーのフロントピラーは、18度で倒れていました」。量産に向けた石膏モデルを前にしたチャップマンとジウジアーロは、ジャケットを脱いで自ら表面を削ったとか。
ロータス・エスプリ S1と、元ロータスCEOのマイク・キンバリー氏 マックス・エドレストン(Max Edleston)「白い粉を巻き上げつつ、フラットなフロントガラスが生み出されました。最終的には、スチールフレームへ当たらないギリギリの、22度へ倒されました」。これ以上の角度では、狙った視覚的な効果を得られなかったそうだ。
創造は難しくない 量産化は簡単ではない
果たして、ジウジアーロによる独創的なエスプリ S1へ歩み寄る。1975年のフランス・パリ・モーターショーでお披露目された時のように、筆者の目には新鮮。オーナーは、ジョナサン・ハックフォード氏で、オリジナル度は極めて高い。
キンバリーへ、改めて印象を尋ねる。「生み出す過程では、何か違うことへ挑戦していました。特定のものから、インスピレーションを受けたわけではありません。本能的な刺激を受けた時に、デザインは生まれるのです」
ロータス・エスプリ S1と、デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロ氏 マックス・エドレストン(Max Edleston)お招きした、ジウジアーロも当時を回想する。「創造すること自体は難しくありませんが、量産化は簡単ではありません。プロトタイプでは、最善を尽くします。しかし、例えばテールランプは高価なので、既存品の流用は避けられませんよね」
そう話す彼は、コストによる制約へ以前は不満を抱いていた。自分の名前を記したくないと、口にしていたほど。しかし半世紀を経て、そんな気持ちも和らいだらしい。
この続きは、ロータス・エスプリ 4世代(2)にて。
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執筆
サイモン・ハックナル
Simon Hucknall
- 英国編集部ライター
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撮影
マックス・エドレストン
Max Edleston
- 英国編集部フォトグラファー
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翻訳
中嶋けんじ
Kenji Nakajima
- 1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。
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