国交省、日航機墜落事故でボーイングに隔壁修理ミスの背景を確認 米側の「新情報」判明で
1985年8月に発生した日航機墜落事故を巡り、中野洋昌国土交通相は8日の閣議後会見で、原因となった後部圧力隔壁の修理ミスについて、米ボーイング社や米連邦航空局(FAA)に対し、背景を明らかにするよう確認を進めていることを明らかにした。日本側にない情報を米側が把握していることが産経新聞の報道で判明したためで、長年の遺族の疑問の追究に国が動くことになった。
事故調終了後は国交省が調査
中野氏は会見で「航空局でボーイング社などの関係者に対し、事実関係の確認を行っている」と述べた。当時の旧運輸省航空事故調査委員会の調査とは別に、国交省が米側に事故原因を聞き取るのは初めて。
事故の原因調査は通常、事故調を前身とする国の運輸安全委員会の所管だが、調査が終了した事故については、航空安全を推進する立場で国交省が参考情報として調べる事例はあり、今回はこれに該当する。
墜落事故の原因を巡っては、圧力隔壁の修理に使うスプライス・プレート(接合板)と呼ばれる部品を本来1枚で使うところ、2枚にして使ったことで隔壁の強度が低下し、当日のフライトで破断、墜落に至ったことは分かっていた。しかし、なぜ2枚にしたのかまでは判明していなかった。
米国と日本、法制度の違いが障壁に
当時の事故調などの調査では、作業ミスをしたボーイングの担当者らに聴取できなかったためだ。過失による航空事故では刑事責任を問わない米国と、日本との法制度の違いが障壁になったとされる。87年6月発表の事故調の報告書には、修理ミスの理由の記載はなく、当時の武田峻委員長は報告書を「70点」と自己評価していた。
しかしボーイングは昨年9月、公式サイト内に航空安全関連のコーナーを設け、この中で日航機墜落事故に言及。ミスの背景について「構造上取り付けるのが難しかったため、2枚に切断した」などと記載していた。このコーナーはもともと社員教育で使用されていたものだが、「さらなる航空安全の強化のため」一般公開したという。
「教訓風化させず、さらなる安全を」
また、ボーイングは事故当時社内調査を行っており、結果は米連邦航空局(FAA)にも報告。同様の記述はFAAのサイトでも公表されていた。
いずれも日本側の事故調査報告書にはない内容で、報道で判明した。今後国交省ではボーイングやFAAに対し、これらの記述が何に基づいたものか、出典を含め、記述以上の背景を深堀りする考えだ。
中野氏は事故から40年が経過することを踏まえ、「教訓のひとつひとつを決して風化させることなく、さらなる安全を築き上げるため、引き続き航空に携わるすべての関係者と一丸となって、安全確保に取り組んで参りたい」と述べた。(織田淳嗣)
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日航機墜落事故
1985年8月12日夕、羽田発大阪行きの日航機123便(ボーイング747)は離陸12分後に、後部圧力隔壁が破断。客室の高圧空気が機体後部に噴出し、垂直尾翼や油圧系統を損傷、操縦不能になった。
機体は羽田への帰還を目指したが32分にわたり迷走し、群馬県上野村「御巣鷹の尾根」に墜落。乗客乗員524人のうち520人が死亡した。
機体は7年前の1978年6月、後部を損傷する別の事故を起こし、ボーイングが修理。ドーム状の圧力隔壁(アルミ合金製、直径4・56メートル、深さ1・39メートル)の壊れた下半分を新品に取り換えた。この際、上下のつなぎ目にあてるスプライス・プレートが、仕様通りの1枚でなく2枚に切断されたものが使われ、強度が本来の仕様より30%低下した。
このミスが見逃されたまま、機体はその後1万2000回以上フライトを重ね、隔壁は与圧による金属疲労が進行。当日の破断に至ったと結論付けられている。