ネタニヤフの対抗馬、アイゼンコットとは何者か?…「初のミズラヒ首相」がイスラエルの歴史を変える日(ニューズウィーク日本版)

イスラエルでは10月27日、4年ぶりの総選挙が行われる。2023年10月のハマスによる大規模テロ攻撃以降、戦時下で幾多の政治危機を乗り越えたネタニヤフ首相は、数十年ぶりに任期を全うして選挙戦に臨むイスラエルの首相となる。 【動画・曽我太一が解説】イラン戦争で中東再編へ 焦点はネタニヤフが続投するかだけではない。建国以来初めて、中東・北アフリカ系ユダヤ人「ミズラヒ」の首相が誕生する可能性があることだ。 その政治家がガディ・アイゼンコットである。同氏は軍の精鋭歩兵部隊「ゴラニ旅団」の出身で、15年から19年までイスラエル軍の参謀総長を務めた後、政界へ転じた。 軍トップ経験者が政界入りするのはイスラエルでは珍しくなく、オスロ合意を主導したラビン元首相や、パレスチナとの和平交渉を進めたバラク元首相も同じ道を歩んでいる。 一方、アイゼンコットを特別な存在にしているのは、その出自である。モロッコにルーツを持つミズラヒ出身でありながら軍の頂点に立ち、25年には中道政党「ヤシャル」を結成。最新の世論調査ではネタニヤフ率いる強硬右派リクードと第1党を争うまでに支持を拡大している。 連立交渉次第では、新政権が誕生する可能性が十分にある。その意味は単なる政権交代にとどまらない。イスラエル社会に長く存在してきた、目に見えない階層構造に風穴を開ける出来事となるからだ。 イスラエルのユダヤ社会は歴史的なルーツによって分類される。東欧系は「アシュケナジ」、イベリア半島系は「セファルディ」、中東・北アフリカ系は「ミズラヒ」、エチオピア系は「ベタ」と呼ばれる。 国家は平等を理念に掲げてきたが、政治や官僚機構、経済界、学術界など国家の中枢を担ってきたのは主にアシュケナジである。48年の建国以来、歴代首相14人全員がアシュケナジ系なのも、その証左だ。 教育や所得をめぐる格差は縮小しつつあるとはいえ、ミズラヒを含めたその他グループとの間には今なお社会経済的な差が残っている。 この構図は軍社会とも共鳴する。徴兵制を採るイスラエルにおいて精鋭部隊出身という名誉は、除隊後に政財界のエリート入りするための特急切符だ。 だが、精鋭部隊の多くは長らくアシュケナジが占め、ミズラヒは後方支援部隊などに配属されてきた。出自ではなく能力で評価されるはずの軍ですら、見えない階層構造を完全には克服できなかったのである。 イスラエル軍の歴史に詳しい専門家は、「かつては軍内で『アシュケナジ』や『ミズラヒ』という言葉を口にすること自体がタブーだった」と指摘する。 そうした時代を経て、ミズラヒ出身のアイゼンコットは参謀総長にまで上り詰めた。もし首相に就任すれば、建国以来続いてきた「ガラスの天井」を破る象徴的な出来事となるだろう。 もっとも、今のイスラエルでは誰が首相になっても課題は多い。22年の第6次ネタニヤフ政権発足以降、司法制度改革をめぐる対立やハマスとの戦争、人質問題を背景に社会の分断は深くなっている。 国の民主的な未来を楽観視する国民は4割に満たず、18~34歳の若い世俗派の6割以上が海外移住を検討しているとの調査結果もある。 次の総選挙は、ネタニヤフ政権の継続を問う選挙であると同時に、戦争と分断を経験した国民が今後どのような国家像を目指すのかが問われる歴史的な選択となる。 ミズラヒ系という、この国の見えない壁を越えて軍の頂点に立った元参謀総長は、難局に直面するイスラエルに新たな風を吹き込むことができるのか。中東情勢が不安定化するなか、国際社会は今、イスラエル国民が下す選択を見守っている。

曽我太一 (ジャーナリスト)

ニューズウィーク日本版
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