娘の名前は「美帆」 記号じゃない 「甲」を拒んだ母の決意
自身の名前を明かすことには今も迷いがある。
実名公表には中傷やトラブルの恐れがつきまとうからだ。
でも、娘が生きた証しを残したかった。
世の中に知ってもらいたかった。
だから裁判では娘の「美帆」という名前を明かして闘った。
相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件は26日、発生から10年を迎えた。
美帆さん(当時19歳)は最初の犠牲者だ。
母親(62)はつらい事件の記憶を、開けたくない「パンドラの箱」と表現する。
それでも「奪ってもいい命なんてないと改めて伝えたい」と、取材に10年の記憶をたどってくれた。
全2回の前編です。後編へのリンクは文末に
振り返してくれた小さな手
2016年7月26日未明。やまゆり園の元職員、植松聖(さとし)死刑囚(36)は園に侵入し、居住棟1階の窓ガラスをハンマーで割って中に入った。
美帆さんが眠る居室だった。
巡回中の夜勤職員を結束バンドで拘束し、美帆さんについて尋ねた。
「しゃべれるのか」
職員が「しゃべれません」と答えると、布団をはがして包丁を振り下ろした。
「意思疎通ができない重度障害者は不要だ」という理不尽な考えに基づいた犯行だった。
その後、他の入所者も次々と刺していった。
その2日前、母親は美帆さんと面会している。
居室で美帆さんが大好きな中島みゆきさんの「空と君のあいだに」などドラマ主題歌のCDをかけ、穏やかな表情で聴き入る様子を眺めた。
4カ月前に入所し、ようやく見慣れてきた「いつもの光景」だった。
美帆さんは近くある園の納涼祭で花火をするのを心待ちにしていた。
「納涼祭で花火しようね。来週また来るからね」
帰り際そう伝えて手を振ると、腰のあたりで小さく手を振り返してくれた。それが、最後に見た生前の姿だった。
名前の横にあった「×」印
事件当日の朝。会社員だった一つ上の長男(31)の弁当を作っていると、携帯電話のメールがしきりに届いた。
知人から「美帆ちゃん大丈夫?」と心配する内容だった。
テレビをつけ、ニュースで事態を知り、すぐに車で園へ向かった。
その間、園の職員から「被害に遭われている」と電話口で伝えられた。まだ「被害」という言葉が死と結びつかなかった。
「帰ったら大好きな唐揚げをたくさん食べさせてあげよう」
そう思っていた。
園に着き、規制線やカメラのフラッシュをくぐり抜け、部屋に通された。
机の上にA4サイズの紙が並んでいた。入所者一覧の中に美帆さんの名前があり、横に×印が付いていた。
「遺族の控室はあちらです」
職員にそう言われ、頭が真っ白になった。
ストレッチャーの上で眠る美帆さんに会った。
いつも熱がこもりがちだった手は、冷たくなっていた。
12枚目は骨になった写真
植松死刑囚は殺人罪などで起訴され、20年1月から裁判が始まることになった。
被害者の情報を秘匿できる制度に基づき、死者は「甲」、負傷者は「乙」と呼ばれることを知った。違和感を覚えた。
「美帆にはちゃんと名前がある。記号で呼ばれたくない。一生懸命生きていたことを社会に覚えていてもらいたい」
悩み抜いた末、初公判の直前に「娘は甲でも乙でもなく美帆です」と書い…