「高市発言」による国論の分裂は中国を利するだけ!「支持」「不支持」を超えて団結を(Wedge(ウェッジ))
高市発言、それに対する中国の反応については繰り返し報じられている。 11月7日の衆院予算委員会における首相発言で不適切だったのは、自身が反省材料としているように台湾、北京政府など具体名を挙げて例示したことだろう。高市首相は「台湾を完全に中国、北京政府の支配下に置くためにどのような手段を使うか。戦艦を伴うものであればどう考えても存立危機事態になりうる」との見解を表明した。 中国は発言取り消しを要求、「治安に問題がある」という言いがかりに等しい口実をもって国民に日本へ旅行自粛を呼びかけ、再開を決めたばかりの日本産水産物の輸入を事実上停止した。この間、「汚い首を躊躇なく斬ってやる」という駐大阪総領事による常軌を逸したコメントがSNSに投稿された。 日本側は中国の要求を拒否、総領事発言の撤回を求め(投稿は削除)、 渡航自粛については、「人的交流を委縮させるかのような発表は建設的、安定的な関係構築とは相いれない」(木原稔官房長官)と反論した。 中国は国連などの場でもこの問題を取り上げ、日本非難のキャンペーンを展開しており、事態終息の気配はみえない。
日本国内では当初、駐大阪総領事を「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましくない人物)として国外退去にすべきという強硬論が台頭したが、そうした強硬論はいまのところ見送られている。政府の反応、対応は比較的、抑制されている。 それでも、今回の答弁を引き出した立憲民主党、一部メディアは高市批判のトーンを強める。 立憲民主党の野田佳彦代表は11月26日の党首討論で、「総理発言は政府、自民党内で調整されたものではなかった。独断専行で日中関係を悪化させたことにどう責任を感じているか」と、正面切って追及した。 首相は、先の習近平国家主席との会談で「戦略的互恵関係」を確認したことに言及するにとどまり、正面からの返答を避けた。高市首相らしい論点のすり替え、不誠実な逃げだったとしても、首相の〝責任〟を声高に追及する場面ではないだろう。矛先は高圧的な要求を振りかざしている中国にこそ向けられるべきだ。 高市発言を11月7日の衆院予算委員会で引き出した立憲民主党の岡田克也元外相も、「聞いてもいないのに北京政府がどうこうという議論を展開し、理解に苦しんだ。まずいと思って話題を変えた」(11月21日、東京新聞のインタビュー記事)と述べ、問題発言を誘い出すことが意図ではなかったことを強調している。 しかし、氏は質問にあたって、首相が昨年の自民党総裁選の際、今回と同様の発言をしていることに言及、記事の中でも「有事の瀬戸際など厳しい状況になったとき、間違った判断をするのではないかと心配している」(同)とことさら問題視している。岡田氏の説明を額面通りに受け取ることはできないだろう。
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〝敵失〟を誘った野党が攻勢に出るのは、国会論戦の場では日常茶飯事といっていいが、与党内からも首相の責任追及の火の手があがるとなれば、話は変わってくる。 退陣後、動静が伝わってこなかった石破茂前首相が最近のインターネット番組で高市発言を批判。「日中国交正常化以後、歴代政権は注意しながら関係をマネージしてきた。言いたいことを言ってやったぜというものではない」(11月23日、ABEMA的ニュースショー)と強い調子で語った。 石破氏には、高市内閣がコメ増産を転換するなど自らの政策に変更を加えていることへの不快感があるのかもしれないが、外交問題について、前首相が公開の席で後任を指弾するのは、中国をほくそ笑ませるだけだろう。
外交問題は過去、内政にも影を落としてきた。最近の例では、トランプ政権との間で行われた関税交渉だ。 困難な交渉だっただけに一時難航も伝えられ、立憲民主党の野田代表は、参院選のさなか、公然と日本側代表の赤沢亮正経済再生相(当時、現経産相)の更迭を要求した。交渉途中で首席代表が信頼を失うことがどんな意味を持つか首相経験者が知らぬはずがない。その後の展開に影響を与えた可能性も否定できないだろう。 古いところでは、1969(昭和44)年11月、佐藤栄作首相とニクソン大統領(いずれも当時)が沖縄返還で合意した日米首脳会談での共同声明に、「台湾の安全は日本にとって重要な要素」「朝鮮半島の安全は日本にとって緊要」と謳われた。「台湾・韓国条項」といわれる条文だが、冷戦が激しかった当時、革新勢力から格好の標的にされた。 1981(昭和56)年の共同声明事件は今でも語り草だ。この年5月にワシントンで鈴木善幸首相(当時、鈴木俊一自民党幹事長の父)とレーガン大統領(同)との間で行われた首脳会談で、日米の「同盟」という表現が盛り込まれたが、会談後の記者会見であろうことか、鈴木首相は「『同盟』に軍事的な意味合いはない」と説明、周囲を驚かせた。 各国を刺激するのを避けたのか、「同盟」という表現になじみがなかったからだけなのか判然としないが、米側に強い疑念を抱かせ、日本国内では首相官邸と外務省の深刻な対立に発展。当時の伊藤正義外相が辞表をたたきつける騒ぎに発展した。
今回の日中両国の軋轢は、解消、解決への糸口が見通せず、長期化するという悲観的な見方が少なくない。うっかりか、確信犯かはともかく、首相自らがまいた種であることははっきりしているが、いま日本がすべきことは、官民および与野党が一致結束して、中国の不当な圧力に対抗することだろう。 首相の責任追及はそれからでも遅くはない。
樫山幸夫