「親子別姓だ」「戸籍に旧姓なじまぬ」夫婦別姓3案に反対 衆院委での八木秀次氏陳述全文
選択的夫婦別姓を導入する立憲民主党と国民民主党の各法案と、旧姓の通称使用を法制化する日本維新の会の法案に関する参考人質疑が17日、衆院法務委員会で行われた。このうち麗澤大の八木秀次教授は、立民、国民民主の案を「親子別姓になる」と強く批判。維新案についても「戸籍に旧姓を記載するのはなじまない」として、3案ともに反対する陳述を行った。全文は次の通り。
やるなら内閣提出法案で
まず、こうして国会で議員立法という手法によって民法や戸籍法の改正が審議されているが、果たしてここに合理的根拠があるのか、立法手続きについて疑念がある。
民法や戸籍法のような重要かつ基本的な法律を改正する場合、内閣提出法案とするのがこれまでの慣例となっている。
議員立法での民法改正は民法860条の3の新設の1例のみで、成年後見人が被後見人宛に届いた郵便物開封の権限を付与するという、いわば付随的な法改正だ。
これに対して、今回審議しているような夫婦の氏、子供の氏をどう決めていくのかという家族法制の根幹に関わる重要な規定を改正する場合は、法相の下に法制審議会の部会を設置して、専門家の知見も聞きながら数年かけて慎重に検討して、内閣が責任を持って法案として提出すべきだ。今回、例外的に議員立法で改正するというのならば、それなりの合理的理由が必要だが、それが明らかではない。
また、立憲民主党の法案は民法改正のみで、関連する戸籍法の改正は政府に丸投げしている。立法手続きとして不整合であると思われる。
不便や不都合ほぼ解消された
さて、夫婦別氏の主張は、もともとは婚姻による改氏に伴う不便・不都合の解消という主張だった。
昭和63年、国立図書館情報大の女性教授が職場で婚姻前の氏を通称として名乗りたいとし、大学がそれを拒否したことによって生じた裁判は、その後、平成10年に東京高裁で職場での旧氏使用を認めることで和解が成立して解決した。
民法や戸籍法を改正して夫婦別氏を法制化するという話ではなかった。民法改正や戸籍法改正へは飛躍があり過ぎる。
実際、不便・不都合はほぼ解消されている。
昨年6月に出された日本経団連の提言には具体的な不便・不都合が列挙されていたが、認識不足やデータが古かったことから、誤りが指摘され、改訂を余儀なくされた。
今日、全ての国家資格、免許などで旧氏の使用が認められており、マイナンバーカード、運転免許証、住民票、旅券などにおいても旧氏の併記が可能になっている。
さらに進めて、これらマイナンバーカードなどの公的証明書における旧氏併記を根拠にして旧氏の単独使用、単記を可能にすればよく、そのための法整備をすればよいというだけの話だ。
日本維新の会の法案はその趣旨に沿ったものと思われるが、何も戸籍法を改正して戸籍に旧氏使用の旨を記載する必要はなく、既にマイナンバーカードなどに旧氏の記載があるのであれば、それを根拠にすればよい。必要であれば、それを担保する法律を制定すればよい。戸籍に手を付けるのは戸籍制度を守る趣旨からも賛成できない。戸籍という国民の身分関係を記載する文書に通称の記載はなじまず、また、戸籍の身分事項に旧氏使用を書き込むのと、配偶者欄に婚姻前の氏を戸籍名として書き込むのと果たして質的な差はあるのか、疑問だ。
不便・不都合はほぼ解消され、残るは旅券のICチップとMRZという機械読み取りコードの問題程度になっている。これは国際民間航空機関(ICAO)文書に関わることで、技術的に旧氏の併記は難しいようだが、そうであるなら、外務省は日本国民が渡航先に出入国する際、当該国の出入国管理当局などから不利益を被らないよう外国の政府機関などに事情を説明するなど配慮する必要がある。既に説明文書を発行し、旅券と併せて提示するとしており、トラブルの報告は受けていないとのことだ。
動かされたゴールポスト
こうして不便・不都合が解消されると、次には「旧氏の併記は嫌だ」とか「アイデンティティーが喪失される」などの問題が言われ始めた。ゴールポストが動かされたということだ。
しかし、アイデンティティーは優れて内心の問題であり、主観的で千差万別でもあり、例えば、妻のアイデンティティーを主張するのであれば、夫のアイデンティティーもあり、子供のアイデンティティーもあり、家族のアイデンティティーもあるということになる。
その点、平成27年12月の最高裁判決は「婚姻の際に『氏の変更を強制されない自由』が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない」とし、「婚姻前に築いた個人の信用、評価、名誉感情等を婚姻後も維持する利益等は、憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまではいえない」と述べている。アイデンティティー喪失と称する問題までは完全には救済できないということだ。
それゆえ最高裁判決は「不利益は…氏の通称使用が広まることにより一定程度緩和され得る」としたのであった。
イデオロギーの存在
不便・不都合の解消から始まった夫婦別氏の議論であったが、これが民法や戸籍法の改正という大きな問題に飛躍したのは、そこに生活上の問題を超えたある種のイデオロギーがあったと考えられる。
ある種の思想的傾向を持つ民法学者や弁護士の中には「未完の占領改革」の完遂としての民法改正という考えがあった。昭和22年の現在の民法や戸籍法は、戦前の家制度を廃止して、夫婦とその間の未婚の子から成る「近代的小家族」(核家族)をその構成単位や編制単位としたが、それは中途半端で個人単位にすべきだと考えてきた。平成8年の法制審案を作成した法制審民法部会長の加藤一郎・元東京大総長は昭和34年に既に夫婦別氏を主張している。
夫婦別氏の主張は戸籍の個人籍化の主張とも一体のものであり、当時の法制審民法部会の委員は「氏ごとの編制には無理がある」「本来ならば、戦後の民法改正時に個人別の戸籍に改正されるべきであった」と主張している。
こういった主張の背景には、縦横のつながりを希薄にしたアトム(原子)的存在としての個人を析出すべきとの主張があり、現行の民法・戸籍法の構成単位、編制単位である「近代的小家族」の中に家制度の残滓(ざんし)を見て、それを拘束システムだと捉えて、解体して個人として解放しなければならない、これこそが日本の市民革命だとの考えがあった。
その際、依拠したのが憲法の「個人の尊重」や「個人の尊厳」であり、「個人の尊厳」に言及した憲法24条は「家族解体条項」であり、家族は解体して然るべきだとの主張があった。こうして家族共同体から解放された「個人」の「氏名の自己決定権」として夫婦別氏は主張され、「家族解体」を志向する思想と一体のものだった。
家族を個人のネットワークの一つであるとしたり、家族解散式を公言する人が夫婦別氏の法制化を主張していた。
これらは社会の構成単位を世帯から個人に移行させる主張とも軌を一にしたもので、社会保障や税制などに及ぶ、いわば国のかたちを変える発想であり、私は近代的小家族や世帯を家族法制や社会を構成する基本単位とするのが個々の構成員を保護するためにも適切と考えるが、すなわち夫婦別氏は単に氏をどうするのかという小さな問題ではなかった。
家族共同体の分解に作用
夫婦別氏はこうした体系的な考えの一部分であり、その導入は他の法制度にも大きく波及するもので、いわば国のかたちを変えるものといえる。
平成8年の法制審案はこのイデオロギーを若干丸くしたもので、これは当時の自社さ政権の社会党的な主張が反映されたものと考えてよく、民主党政権時の平成22年に準備された案も同様と思われる。
このように意図して家族解体を図りたいという主張が夫婦別氏の背景にはあるが、意図はせずとも夫婦別氏は結果として家族共同体の分解に作用する。
選択的であれ、夫婦別氏を導入すれば、別氏夫婦の下では必然的に親子別氏となり、現行は1つの戸籍に1つの氏が存在するが、1つの戸籍に2つの氏が存在することになり、家族共通の氏を持たない家族が存在することになる。これにより制度として家族の呼称である氏は廃止され、氏名は氏(うじ)・名(な)ともに純然たる個人を表すものに変質する。これは全国民に当てはまることで、全国民から家族の呼称としての氏というものが消滅することになる。これは平成8年の法制審案を起草した当時の法務省参事官、小池信行氏が指摘するところだ。
これにより全体として家族意識、帰属意識、共同体意識、一体感を毀損(きそん)し希薄化させる効果を持つ。
この点について前述の最高裁判決は「夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称することより、社会の構成要素である家族の呼称としての意義がある」「家族を構成する個人が、同一の氏を称することにより家族という一定の集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できる」と述べている。
氏を「家族の呼称」とした上で、夫婦同氏、親子同氏により家族の共同体意識、一体感が醸成されるとの認識を示している。
民法、戸籍法の改正不要
立憲民主党と国民民主党は3年前の令和4年6月、共産党、れいわ新選組とともに選択的夫婦別氏を法制化する民法改正法案を提出した。子供の氏は出生時に決めるとして兄弟姉妹の氏は父の氏、母の氏という具合にバラバラになることもあるとするもので、先に述べた近代的小家族を個人に分解するイデオロギーに忠実な内容であると思われるが、今回、その案ではなく、実現方法は異なるが、兄弟姉妹の氏は統一するとの案を提出した。平成8年の法制審案をベースにしたとのことだ。
両党が考え方を変えた理由の一つとして、兄弟姉妹の家族としての一体感に配慮したことが推測できるが、そうであるなら、夫婦別氏に伴って親子別氏になることへの懸念はなかったのか。どっちつかずの中途半端な案と思われる。
なお、私はその他の政策では国民民主党に大きく期待する者だが、今回、このような法案を提出されたことを大変残念に思う。
親子別氏には子供の立場から忌避感があることが指摘されている。夫婦別氏を導入した海外の例では、親子別氏となって、誘拐や連れ去りの懸念から親子証明書の携帯が必要になった国もある。
立憲民主党の法案と国民民主党の法案はともに1年間の経過措置期間を設け、その間に既に結婚している全ての夫婦が同氏か別氏かを選択するとしている。その期間での混乱も予想される。国民民主党の案であれば、戸籍の筆頭者を変更するケースも出てくるだろうし、連動して子供の氏の見直しも行われるだろう。戸籍事務の負担も増える。連動して公私のさまざまな書類の氏名の変更が生じる。社会的なコストも大きい。
そうであるなら、世論調査でも国民の7割が支持する現行の夫婦同氏、親子同氏、家族同氏を維持しながら、民法や戸籍法の改正ではなく、婚姻前の旧氏を単独使用も含めて広く社会的に使用できるような法的措置を講ずることの方が合理的であると考えられる。したがって、今回提出された3つの法案にはいずれも反対である。