【速報中】「核武装安上がり」発言に危機感 首相は核禁条約に触れず

【動画】広島市の平和記念公園では、日が昇る前から原爆死没者慰霊碑の前で手を合わせる人が相次いだ。原爆投下時刻の午前8時15分には、黙とうが捧げられた

 広島は6日、米国による原爆投下から80年を迎えました。世界で紛争が相次ぎ、核兵器を使ってはならないとするタブーが脅かされている今、私たちに何ができるのか。犠牲者を悼み、平和を願う営みを詳報します。

 欧州連合(EU)の外相にあたるカラス外交安全保障上級代表は6日、広島への原爆投下から80年を迎えるにあたり、声明を発表した。カラス氏は「世界はあの悲劇を決して忘れてはならず、二度と繰り返してはならない」と強調。一方で、現在の国際情勢について「無責任な核に関する言説や、不可解な核兵器の増強に直面している」との懸念を示した。

 EUとして、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効を求めるとともに、米ロ間に唯一残る核軍縮条約「新戦略兵器削減条約(新START)」の失効が危ぶまれていることを受け、新たな戦略対話など具体的な措置が必要だと訴えた。

 「軍縮と不拡散は選択の問題ではなく、国際社会全体の責任だ」と述べ、多国間秩序を守り、外交努力を重ね、広島や長崎のような惨禍が二度と起こらぬよう努めるとした。

19:06(バチカン12:06)

ローマ教皇レオ14世「原爆で苦しんだすべての人々に祈り」

 ローマ教皇レオ14世は6日、バチカンで行われた水曜日定例の一般謁見(えっけん)で、80年を迎える広島と長崎への原爆投下で起きた被害について「核兵器による破壊に対する普遍的な警告だ」と述べ、核廃絶の必要性を訴えた。

 ローマ教皇庁によると、レオ14世はサンピエトロ広場に集まった信者らに対して、今年が広島と長崎の原爆被害から80年目にあたると説明。「原爆投下による身体的、精神的、社会的影響に苦しんだすべての人々に祈りを捧げたい」と述べた。

 その上で、「強い緊張と血まみれの紛争が蔓延(まんえん)する現代の世界で、核兵器の脅威に基づく幻想的な安全保障が、正義や対話、信頼に取って代わられることを願っている」と訴えた。

 世界に14億人の信者を抱え、平和主義外交を進めるバチカンはこれまでも核兵器に反対する立場を取ってきた。4月に死去したフランシスコ前教皇は2019年11月に長崎と広島を訪問し、核廃絶を強く訴えた。

原爆投下から80年となり、原爆ドーム脇の元安川で行われた灯籠(とうろう)流し=2025年8月6日午後7時50分、広島市中区、有元愛美子撮影

 広島市南区マツダスタジアムでは、平和への願いを込めた映像が夜のスタンドに出現した。

マツダスタジアム内に浮かび上がったハトのイラスト=2025年8月6日午後7時21分、広島市南区南蟹屋2丁目、相川智撮影

 「8.6プロジェクションマッピング」と題した企画。平和の象徴であるハトと、被爆80年をあらわす「80」の映像が、内野席に映し出された。この映像に重ねるように、原爆ドームと同じ地上25メートルの高さを示す緑色のライトが照らされた。

 見る人に平和について考えてもらおうと広島カープが実施した。スタジアム横を走る新幹線の車窓から見られるようにしたという。

18:00

クメント氏、パーク氏らパネル討論

 平和記念資料館で、広島平和文化センターが主する「被爆80周年特別国際シンポジウム」が開かれた。

 パネル討論で、オーストリア外務省のアレクサンダー・クメント軍縮局長は「核兵器を国の安全保障ではなく、地球全体の安全保障の観点から見るべきだ。被爆者の経験、人間のストーリーが大切だ」と強調。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメリッサ・パーク事務局長は「核保有国が支配してきた核をめぐる議論は、核兵器が人間や環境に与える現実が、被爆者らの証言により世界に知られることで変化してきている」と述べた。

パネル討論するオーストリア外務省のアレクサンダー・クメント軍縮局長(左から2人目)ら=広島平和記念資料館、田井中雅人撮影

 谷史郎・広島平和文化センター副理事長は「ヒロシマは、核兵器は絶対に人類と共存できないというメッセージを伝えていく」と話した。

17:00

核廃廃絶求め「対話が心の底から必要だと」

 原爆ドーム前では「市民による緊急集会 【STOP】私たちの知らないところで核戦争の準備を勝手に進めるな!」に約150人が参加した。有事を想定した日米両国の机上演習で米軍が核兵器を使う議論があった、との報道を受けて開かれた。

原爆ドーム前に集まった市民たち=2025年8月6日午後4時58分、広島市中区、興野優平撮影

 東京から参加した哲学者の永井玲衣さんは「対話が心の底から必要だと、すさまじい切迫感を感じている。核兵器をなくすために力を尽くしたい」。ソーシャルブックカフェ「ハチドリ舎」店主の安彦恵里香さんは「今年こそ米国に原爆投下責任を問うてもよいのではないか。核兵器の使用がどれだけ非人道的かを彼らが認めていけば、その脅威を多くの人たちが知る」と話した。

 NPO法人「ANT-Hiroshima」理事長の渡部朋子さんは「これは広島の問題ではなく、日本の、そして世界の問題。命に勝る宝はない。どうしたって戦争をしてはいけない」と呼びかけた。

16:20

万博にも平和を願う折り鶴

 大阪・関西万博に設けられた、戦後80年の広島県の復興と平和の歩みを紹介するブースでは、来場者が平和を願う折り鶴を壁一面に貼り付けていた。

 広島県呉市から訪れた女性(63)は「平和が恒久に続いてほしい」という思いを込めて鶴を折った。

来場者が平和を祈る折り鶴を壁に貼り付けていた=2025年8月6日、大阪市此花区

 被曝(ひばく)から80年がたち、語り継ぐ世代が減っていることに危機感を持っているという。「外国人排除とか『自分さえ良ければ』という主張に、若い人が反応していることが怖いな、と感じた。みんな仲良くしてほしい」

 6日の午前8時15分には、いつもは広島で黙禱しているが、今年は万博に出かける前、大阪市に住む娘の家で、7歳と4歳の孫たちと黙禱した。「親から聞いたことを、子や孫に話すいい機会でした。それぐらいのことしかできないけど、少しでも伝えていきたい」

16:00(テニアン17:00)

ココナツ流し

 米軍B29爆撃機が原爆を積み込んで飛び立った北マリアナ諸島テニアン島の南部で、テニアン市議会事務局や市長室などが主催する平和追悼式典が開かれた。

 原爆部隊が駐在した島北部のノースフィールド跡地で午前にあった式典に参加した米軍人たちも、制服を脱いで市民らに交じった。会場の目の前に広がる海に、みなでココナツを流した。日本の灯籠(とうろう)流しに当たるという。表面に「80回目の平和追悼祈念」と書かれたものもあった。寄せては返す穏やかな海に、ココナツが浮かんだ。

犠牲者を悼み平和を祈り、ココナツを海に投げ入れる人たち=現地時間2025年8月6日午後5時12分、北マリアナ諸島テニアン、花房吾早子撮影

 広島大学が世界の主要大学に呼びかけた「平和学長会議」が6日、広島市中区広島大東千田キャンパスで開かれた。米欧やアジアなど9カ国・地域から12大学の学長が参加し、平和学長宣言を採択。世界平和に向けた大学の役割を議論した。

平和学長会議に集った世界の学長ら=2025年8月6日午後2時31分、広島市中区、副島英樹撮影

 米国のコロンビア大、アリゾナ州立大をはじめ、ドイツのライプチヒ大、インド工科大学ボンベイ校、台湾の国立中央大などが参加した。

 広島大の越智光夫学長は「世界に複雑な課題が山積する時代だからこそ、大学が国境を超えてつながる必要がある」とあいさつ。平和学長宣言には、平和と、社会の持続可能性の実現に向けた大学間連携の強化や、学生と若手研究者の交流機会の充実などが盛り込まれた。

 被爆者の証言を広島市立基町高校の生徒が聞き取り、制作した絵を展示する「原爆の絵画展」で、作品を解説するギャラリートークがあった。絵画展は20日まで広島市中区の広島国際会議場の地下2階で開かれる。

制作した絵について説明する木原結愛さん=2025年8月6日午後1時0分、広島市中区、佐藤慈子撮影

 会場では今年完成した絵を含む35点が展示。生徒と卒業生7人が思いを語った。大やけどをした人が水を飲む場面を描いた本多芽依さんは「この絵を見てもう一度原爆が落ちてもいいと思う人はいないはず。その思いを絶やさないで欲しい」と伝えた。

12:10

共産・田村委員長、核武装論に「重大な政治の劣化」

 共産党の田村智子委員長は、平和記念式典に出席した後、記者団の取材に応じた。参政党が抑止力として核武装の検討が必要だと主張していることについて「唯一の被爆国の日本で、そういう議論を起こそうということは重大な政治の劣化だ。かつてないような危機が生まれてきていると思う」と述べた。

 続けて「これは決して大勢の声ではないし、声高に国民の前で主張できるかといったら、そうではないだろう」と指摘。国民は核武装を求めていないと訴えた。

 参政党の神谷宗幣代表は、抑止力の観点から「核武装は検討すべきだ。でもすぐに保有するといった考えはない」と主張し、国会でも議論を進める必要があると訴えている。

 立憲民主党野田佳彦代表は平和記念式典後、記者会見に臨んだ。7月の参院選で、抑止力として核武装の検討が必要だと主張する参政党が広島でも伸長したことをめぐり、「これだけ平和教育をやってきた広島で、なぜ『核武装安上がり論』を主張するような人たちが評価をされるのか。しっかり分析しなくてはいけない」と述べた。

 また、政府が消極的な核兵器禁止条約締約国会議のオブザーバー参加について「唯一の被爆国として(オブザーバー参加)するべきだ」と改めて主張。広島選出の公明党斉藤鉄夫代表に対しても「もっと強く主張した方がいいのではないか」と苦言を呈した。

11:00

首相「非核三原則を堅持、見直す考えない」

 石破茂首相は平和記念式典後の記者会見で、「非核三原則を政策上の方針として堅持しており、見直す考え方はない」と述べた。核不拡散条約(NPT)について、核兵器国と非核兵器国が広く参加する「唯一の枠組み」とし、この枠組みのなかで「核兵器のない世界」を目指すと強調した。

 また、平和記念式典での首相あいさつで引用した「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」という歌人・正田篠枝さんの歌に言及。80年前の原爆投下が「どれほど悲惨なことであり、どれほどの悲しい思い、つらい思いがそこにあったか」と述べ、「(戦争の)記憶を継承する努力はさらに深めていかねばならない、強めていかねばならない」と語った。

広島平和記念公園付近に立つ原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑。裏には歌人・正田篠枝さんの短歌が記されている=2025年8月6日午後0時24分、広島市中区、興野優平撮影

 ロングボトム駐日英国大使が平和式典参列後に会見した。「英国は、核兵器のない世界という長期的な目標に対して強いコミットメント(責務)を持つ」と述べる一方、ウクライナ情勢を踏まえ、「欧州の核保有国として欧州大西洋地域の安全保障強化に特別な責任を担っている」と語った。

 大使としての式典参加は4回目。会見は日本語で応じた。「広島と長崎の人たちの尽力を私も個人的に支援したいし、続けて欲しい。観光客が日本に多く来るなか、彼らもぜひ広島と長崎に来て、原爆の資料館やここの歴史を学んでほしい」

記者会見する英国のロングボトム駐日大使=広島市、石合力撮影

 一方、昨年はイスラエル大使が招かれなかったことを理由に米大使らとともに長崎の式典への出席を見送った。朝日新聞記者に対し、「長崎の式典には、大使の代理が出席した。こうした式典には、だれも(どの国も)が出席し、平和のメッセージに耳を傾けることが重要だ」と語った。

10:30

公明・斉藤代表、首相に理解示す

 公明党の斉藤鉄夫代表は広島市内での記者会見で「核の使用や威嚇、共有、保有には断固反対する。非核三原則の堅持、核兵器禁止条約の署名批准に向けた環境整備を行っていく」と述べた。核兵器の廃絶は「唯一の戦争被爆国としての使命だ」と強調した。

 また、参政党の参院選候補者(その後当選)が選挙期間中に「核武装は最も安上がり」と発言したことを念頭に、「『安上がり』というような言葉は全く現実を理解していない言葉だ」と批判した。

 石破茂首相が戦後80年に合わせた首相個人のメッセージの発出に意欲を示していることについては、「日本被団協日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞し、被爆者の声こそが世界規範の根拠になる。節目の80年に首相が自分の見解をおっしゃることに、なんら違和感はない」と述べ、理解を示した。

10:05

核禁条約会議へのオブザーバー参加求めたが…

 広島市内で6日、「被爆者代表から要望を聞く会」が開かれ、被爆者7団体の代表らが石破茂首相らと面会した。「核兵器禁止条約こそ核軍縮を進める実効性のある唯一の場」とする要望書を出し、来年にある条約の第1回再検討会議へのオブザーバー参加を求めた。

「被爆者代表から要望を聞く会」を終え、参加者と握手する石破茂首相(右)=2025年8月6日午前10時50分、広島市中区、小宮路勝撮影

 要望書は石破首相に「持論の核共有論は国是の非核三原則を壊す」と指摘し、石破首相は「非核三原則はきちんと守る。自衛権の行使しかしない。ただ、核をどういう時に使うのか、核を持つ国が全部決めていいのか、(日本も)何らかの関与をすべきではないか」などと持論を述べた。核禁条約には触れなかった。

 終了後、広島被爆者団体連絡会議の田中聡司事務局長は取材に「対話の場は今日で終わりではなく、今後の機会を検討するという首相の言葉に希望を感じた」。一方で、石破首相が条約に全く触れなかったことを「残念だった」と語った。

朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社は合同でアンケートを行いました。被爆者たちが私たちへ託した言葉をみる。

10:00

「韓国のヒロシマ」でも追悼式

 原爆の犠牲になった韓国人らの追悼式が6日、韓国南部の慶尚南道・陜川(ハプチョン)で開かれた。陜川には広島で原爆の被害を受けた人が多く、「韓国のヒロシマ」と呼ばれる。

 韓国原爆被害者協会が主催した式には、協会のメンバーや地元自治体の関係者、日本から来た韓国人被爆者支援団体の代表、在韓日本大使館の公使らが参加した。

韓国慶尚南道・陜川で2025年8月6日、原爆の犠牲になった韓国人らの追悼式が開かれ、参加者らが黙禱(もくとう)した=貝瀬秋彦撮影

 あいさつに立った李圭烈(イギュヨル)韓国原爆被害者協会会長(79)は「精神的、肉体的な苦痛と社会的偏見の中でも、被爆者や遺族は懸命に生きてきた」とし、一方で「世界の至る所で起きている戦争で核兵器の使用禁止や世界平和を叫んできた」とも述べ、非核・平和運動の重要性を訴えた。

 李会長は母親が被爆した後に生まれた胎内被爆者だ。

 また、陜川出身者が被爆した経緯や実情などを伝える「陜川原爆被害者由来碑」が新たに建立され、追悼式に先立って除幕式があった。

09:50

社民・福島党首「危機感」 参政党候補の「核武装安上がり」発言に

 社民党福島瑞穂党首は平和記念式典後、記者団の取材に、「戦後80年の今こそ核兵器廃絶を政治の場面で力強くやっていかなければならない」と述べた。

 また7月の参院選期間中に、参政党の候補者が「核武装は最も安上がり」と発言し、その後当選したことに言及。「すさまじい危機感がある。核武装なんてものすごくリスクが高くなるし、あり得ないと言いたい」と語った。

 福島氏と並んで取材に答えたラサール石井参院議員は、戦争や被爆の経験者が年々減っていることに触れ、「時が経つほど語り継いでいかなきゃいけない」と語った。

09:30

ドイツから来日、高校生と語り合う

 広島市の姉妹都市であるドイツ・ハノーバー市から、平和記念式典に2人の高校生が参加した。 同市のギムナジウムに通うドイツ生まれの田口明さん(17)と、クラスメートのコルジャン・エイギュンさん(18)。同行した明さんの母・理穂さんは通訳者で、同市の市民グループ「広島同盟」の一員だ。広島の被爆者の故・米沢鉄志さんの証言の翻訳もしてきた。

ハノーバー市から広島を訪れた田口明さん(中央)と、母の理穂さん(左)=2025年8月6日午前9時48分、広島市中区、副島英樹撮影

 初めて広島を訪れた明さんは「ここで実際どういう出来事があったのか、この場に来てやっと実感できました」。5日は平和記念資料館を見学し、6日の式典後は原爆ドームそばの川岸で、地元の高校生と平和について語り合った。明さんとコルジャンさんは広島と長崎で式典や交流の様子、平和への取り組みを撮影し、ドイツの若者向けのビデオを作成するという。いいものができればハノーファー市庁舎で上映を予定している。

09:15

供養塔前で犠牲者の名前読み上げ

 広島市の平和記念公園にある原爆供養塔の前では、「納骨名簿」に記されている812人の名前を読み上げる集いがあった。約30人が参加した。

 供養塔には名前のわからない約7万柱の遺骨のほか、名前がわかっていながら遺族の見つからない遺骨が812柱、安置されている。

 企画者の一人は、今春に大学を卒業した高垣慶太さん(23)。母方の2人の曽祖父がそれぞれ広島、長崎で被爆しており、高校時代から核兵器廃絶運動に携わってきた。

「原爆供養塔納骨名簿」を読み上げる集い発起人の高垣慶太さん=2025年8月6日午前9時22分、広島市中区、浅野哲司撮影

 大学時代に2度、「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」に参加したことをきっかけに今回の集いを初めて企画した。高垣さんは取材に対し、「遺族が見つかるきっかけになってほしい。原爆により亡くなった方々の名前からその人の人生を感じ、一人の人間として捉える試みにできたら」と語った。

09:05

国民・玉木代表「オブザーバー参加の発信なく残念」

 国民民主党玉木雄一郎代表は、広島市内で記者団に対し、米国による原爆投下から80年を迎えたことについて「一つの節目だと思う。ただ、核を使った威嚇をするような国も出てきている中、核廃絶に向けた歩みは一層厳しさを増している」と指摘。「だからこそ唯一の戦争被爆国として、苛烈(かれつ)な実相を世界に伝えていく役割、核保有国と非保有国をつないでいく役割を果たす重要性はより高まっている」と語った。

 石破茂首相の平和記念式典でのあいさつについては、「日本が(核兵器禁止条約の締約国会議へ)オブザーバー参加するという主体的な発信がなかったことは非常に残念だ」とした。石破氏が首相就任前に米シンクタンクに寄稿した論文で「米国の核シェア(共有)」を検討しなければならないと主張したことに対しては、「極めて実現可能性が低い。導入することによる政治的、財政的なコストも極めて大きい」と述べた。

平和記念式典であいさつをする国連の中満泉事務次長=2025年8月6日午前8時47分、広島市中区、有元愛美子撮影

 米軍の原爆部隊が駐在した北マリアナ諸島テニアンのノースフィールド跡地で、「太平洋における平和な80年:破滅から希望へ」と題した式典が始まり、約200人(主催者発表)が参列した。

 テニアンのエドウィン・アルダン市長(55)は「かつて原爆が積み込まれたこの場所はいま、対話、学び、そして団結の場所へと生まれ変わろうとしている」とあいさつ。「この追悼の行事は、失われた命や学んだ教訓をしっかり記憶するだけでなく、太平洋諸国にとって、世界にとって、結束や希望ののろしとなるだろう」と締めくくった。

広島に落とされた原爆「リトルボーイ」を米軍B29爆撃機に積み込んだピットの近くで式典が開かれ、テニアン市長や議員らが花輪を捧げ、記念撮影をした=現地時間2025年8月6日午前11時32分、北マリアナ諸島テニアンのノースフィールド跡地、花房吾早子撮影

 グアム北東部のアンダーセン米空軍基地から参列したアンソニー・フォンタナタ大佐(47)は、朝日新聞の取材に「非常に厳粛な式典で、軍人として謙虚な気持ちにさせられ、心に響いた」と語った。原爆投下の正当性について質問したが、「答える気にはなれない。太平洋戦争で亡くなった人びとを追悼し、現在のパートナーシップを確認する行事だと考えたい」と話した。

08:40

知事あいさつ、サーロー節子さんの言葉引用

 平和記念式典で、広島県の湯崎英彦知事があいさつした。広島の被爆者、サーロー節子さんの言葉を引用し、核兵器廃絶へと諦めずに向かうよう訴えた。

 平和記念式典で、昨年10月に就任した石破茂首相が初めてあいさつに立った。2年前に平和記念資料館を訪れたことを振り返り、「人々の夢や明るい未来が瞬時に容赦なく奪われたことに言葉を失いました」と述べた。

平和記念式典であいさつをする石破茂首相=2025年8月6日午前8時35分、広島市中区、有元愛美子撮影

 広島市の小学6年生、関口千恵璃さんと佐々木駿さんがこども代表として、「平和への誓い」を読み上げた。

平和記念式典で「平和への誓い」を述べる佐々木駿さん(左)と関口千恵璃さん=2025年8月6日午前8時27分、広島市中区、有元愛美子撮影

 2人は「記録として被爆者の声を次の世代へ語り継いでいく使命が、私たちにはあります」「たとえ一つの声でも、学んだ事実に思いを込めて伝えれば、変化をもたらすことができるはずです」と訴えた。

平和記念式典で平和宣言をする松井一実・広島市長=2025年8月6日午前8時18分、広島市中区、有元愛美子撮影

 広島市の松井一実市長が平和宣言を読み上げた。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員だった故・坪井直さんが口にしていた「ネバーギブアップ」の言葉を引用し、あきらめずに対話を続けるよう訴えた。

 日本時間で広島に原爆が落とされた時刻、歴史家のデボラ・フレミングさん(67)は「私たちなりのやり方で追悼する」と言って、米軍が原爆を積んで飛び立ったノースフィールド飛行場で自家用車のクラクションを鳴らした。

デボラ・フレミングさんが鳴らした自家用車のクラクションに合わせ、目をつむり犠牲者を悼む人たち=現地時間2025年8月6日午前9時15分、北マリアナ諸島テニアンのノースフィールド跡地、花房吾早子撮影

 フレミングさんが幼い頃、毎年8月6日午前8時15分、島のどこにいようとサイレンが鳴り響くのが聞こえたという。人びとが手を合わせ、目を閉じ、祈っていた姿を覚えている。だが、サイレンは故障中で、代わりにクラクションを鳴らすことにした。

 フレミングさんは「過去から学ばなければ、人は同じ過ちを繰り返す。子どもたちが同じことを繰り返さないよう、世界の平和を祈った」と話した。

「原爆の子の像」前で黙禱(もくとう)する学生たち=2025年8月6日午前8時16分、広島市中区、上田潤撮影

 平和記念式典で、原爆投下時刻の午前8時15分、参列者らが1分間の黙禱(もくとう)を捧げた。

平和記念公園の慰霊碑に向かい黙禱(もくとう)する人たち=2025年8月6日午前8時15分、広島市中区、小宮路勝撮影

原爆投下時刻に黙禱(もくとう)する山田紗優梨さん(7)。初めて8月6日に平和記念公園を訪れた。「世界が平和になるように祈りました」=2025年8月6日午前8時15分、広島市中区、上田潤撮影

 広島市中区の平和記念公園で、平和記念式典が始まった。この1年で死亡が確認された広島被爆者4940人の名前を加えた原爆死没者名簿が奉納される。死没者は計34万9246人となる。

原爆死没者慰霊碑前で手を合わせる子どもたち。5日の登校日で被爆体験を聞いた小学生は、「亡くなった方にお祈りをした。これからも平和を学んで知っていきたいです」=2025年8月6日午前4時55分、広島市中区、上田潤撮影

 米軍の原爆部隊が駐在した北マリアナ諸島テニアンのノースフィールド跡地。長崎に落とされた原爆「ファットマン」を積み込んだピットの前で、トロイ・ヘンリー・マングローニャさん(5)は父のトロイ・マングローニャさん(43)に質問を繰り返した。父は「良いことと悪いこと両方が起きた。戦争は終わったけど、日本でたくさんの命が奪われた」と息子に説明。「過去に何が起きたか知って、1歳の妹にも伝えてほしい」と願った。

長崎に落とされた原爆を積み込んだピットに訪れた親子=現地時間2025年8月6日午前8時47分、北マリアナ諸島テニアンのノースフィールド跡地、花房吾早子撮影

 親戚でテニアン高校の元校長、フロリン・ハイフシュナイダーさん(74)はトロイ・ヘンリーさんに「人は大きくなると、時々ばかなことをする。他の人を殺すこともある」と優しく語りかけた。

05:00

日が昇る前から原爆死没者慰霊碑の前に

 広島市の平和記念公園では、日が昇る前から原爆死没者慰霊碑の前に立ち、手を合わせる人たちがいる。

慰霊碑前で手を合わせる94歳の男性。原爆投下当時は町外れの軍事工場に行っていたが、被爆で家族全員が亡くなった。「悲しくて、悔しくて、しゃべれない。この世から原子爆弾がなくなってくれたらこれほどうれしいことはない」=2025年8月6日午前3時44分、広島市中区、有元愛美子撮影

 広島市安佐北区の横山大城さん(42)は祖母のヨシエさん(96)と訪れた。横山さんによると、80年前の朝、女学生だったヨシエさんは現在の広島市安佐南区にあった勤め先の工場におり、難を逃れた。しかし、ヨシエさんの両親は市中心部で被爆して亡くなったという。

 横山さんは「今年もともに手を合わせることができてよかった。祖母の両親のことを思いながら平和を祈りました」と話した。

未明から原爆ドームの絵を描く画家の鷹取昌史さん(63)。15年前から毎年描き続けている。「平和を考えることが絵からであってもいいと思っている。その入り口を作り続けたい」=2025年8月6日午前3時50分、広島市中区、上田潤撮影

 米国務省のブルース報道官は5日の記者会見で、米国による広島への原爆投下から80年を迎えることをめぐり「広島の人々と、その平和と希望のメッセージに敬意を表する、厳粛な内省と追悼の日だ。80年にわたり、彼らの強靱(きょうじん)さは世界を鼓舞し、その和解の精神は日米同盟を強化してきた」と述べた。

 またブルース氏は「80年前、米国と日本は太平洋での壊滅的な戦争を終結させた」「今日では日米両国は緊密な同盟国として団結し、ともに未来を見据えている」とも語った。

 米国からは、グラス駐日大使が広島市で開かれる平和記念式典に参加する。

平和記念式典の開始前、ジョージ・グラス駐日米国大使と話す湯崎英彦・広島県知事(右)=2025年8月6日午前7時42分、広島市中区、有元愛美子撮影

 ブラジルの首都ブラジリアの国会議事堂のホールで5日、原爆展示会「ヒロシマとナガサキの80年」が始まった。原爆の被害を写真や動画でブラジル人に向けて伝えている。

 開会式では出席した約100人が黙禱(もくとう)を捧げた。ブラジリア在住の被爆者、東海林(しょうじ)俊恵さん(84)があいさつした。東海林さんは4歳の時に広島市内で被爆し、1960年に家族でブラジルに移住した。原爆が落ちた後、伯母の体に刺さったガラスの破片をいくつも抜いた記憶を振り返り、「核兵器禁止条約に多くの国が参加して欲しい」と訴えた。

 ブラジル外務省のスーザン・クリーバンク氏は、「核兵器がもたらした破壊的で受け入れがたい結果を記憶に刻み、ブラジルは核兵器のない世界を目指す決意を改めて表明する」と話した。

ブラジルの原爆展示会の開会式であいさつをし、手を合わせる東海林(しょうじ)俊恵さん=2025年8月5日午後3時25分、ブラジリア、河崎優子撮影

 被爆から80年目の8月6日を迎え、広島平和記念資料館(広島市中区)にある「地球平和監視時計」の日数が切り替わった。「広島への原爆投下からの日数」は「29220」を表示。「最後の核実験からの日数」は、2024年5月に米国が行った臨界前核実験からの日数「449」を示した。

深夜0時を回り、地球平和監視時計の原爆投下からの日数が「29220」、最後の核実験からの日数が「449」に切り替わった=2025年8月6日午前0時15分、広島市中区

 原爆ドームの横を流れる広島市中区の元安川で5日夜、原爆の犠牲者らを慰霊するかがり火がともされた。

原爆ドームの横を流れる元安川でともされた、原爆の犠牲者を慰霊するかがり火=2025年8月5日午後7時30分、広島市中区、浅野哲司撮影

 平和記念公園の「平和の灯」から採られた火が燃え上がるなか、参加者らは尺八などを演奏して犠牲者を悼み、平和への願いを届けた。

17:30

イラン大使「核兵器は決して保有しない」

 イランのペイマン・セアダット駐日大使は、任期3年目で初めて式典に出席する前に広島市内のホテルで会見した。「平和記念資料館を訪れ、原爆が落とされた都市で実際に空気を吸うことで、いかに人々が苦しんだかを思い、悲しみで胸がつぶれる」と語った。

記者会見するイランのペイマン・セアダット駐日大使=広島市、石合力撮影

 イスラエルと米国が、イラン攻撃の理由に掲げた自国の核兵器開発疑惑について「核兵器を含め、いかなる形の大量破壊兵器も我々は決して保有しない。宗教指導者の教義上も完全に禁じられている」と否定した。

 イラン攻撃時にトランプ米大統領が、広島、長崎に言及したことについて「無意味で非人道的な発言で、被爆者の尊厳に反するものだ。攻撃は完全に違法で国際法に違反する」と批判した。

17:00

パレスチナ駐日代表「世界は団結を」

 広島市から式典開催の通知を受け、初めて参加する駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム常駐総代表(大使に相当)。平和記念公園での献花の後、朝日新聞の取材に応じた。「広島の犠牲者に追悼の意を表し、パレスチナを支援してくれる人々に感謝を示すために来た」

駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム常駐総代表=広島市、石合力撮影

 式典には、ガザでパレスチナの市民ら6万人以上を殺害したイスラエルの大使も出席する。「ガザでジェノサイド(大量殺害)を続ける彼らは、何年も広島を訪れているが、より多くの人を殺害すること以外、何の教訓も学んでいない」と批判した。広島に同行した妻はガザ出身で、2日前にいとこが持病の薬が手に入らず、病死した。食料の搬入が制限されるなか、ミルクの値段は10倍以上になっているという。

 「ジェノサイドに対抗するために世界中の人々は団結すべきだ。過激な考えを持つ指導者の声ではなく、人々の声こそが届くべきだと思う」

17:00

核禁条約 国会議員ら議論

 被爆者や与野党8党の国会議員らが5日、広島市内で「被爆80年、日本はどのように核軍縮を主導するか」をテーマに討論した。

 政府は、核兵器の開発や使用などを全面的に禁じる核兵器禁止条約に参加していない。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(てるみ)代表委員(93)は「速やかに参加してほしい」と訴えた。

 政府は3月の核禁条約第3回締約国会議へのオブザーバー参加も見送ったが、与党・公明党の斉藤鉄夫代表は「(来年の第1回再検討会議への)日本のオブザーバー参加を粘り強く働きかけたい」。自民党寺田稔衆院議員も参加に理解を示した。

 国民民主党の玉木雄一郎代表は、核保有国も非核保有国も加入するNPT(核不拡散条約)第6条の「核軍縮義務」に触れ、「義務に改めて思いを致すことで、核禁条約をNPTの中に位置づけられるのでは」と提言。社民党の福島みずほ党首は「(核禁条約会議への)オブザーバー参加ではハードルが低すぎる。条約批准に向け超党派で議論を進めたい」と述べた。

15:00

核実験禁止条約の準備委事務局長が会見

 包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効に向けた準備にあたる、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO、ウィーン)準備委員会のロバート・フロイド事務局長が5日、日本記者クラブ(東京)で記者会見した。被爆80年となる今年について、核兵器のない世界に向けて「決意を新たにする年だ」と訴えた。

記者会見する包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会のロバート・フロイド事務局長=2025年8月5日、東京都千代田区の日本記者クラブ、佐藤達弥撮影

 フロイド氏は、6日に広島、9日に長崎で開かれる平和式典に出席する。会見では、核兵器をもつロシアのウクライナ侵攻などを念頭に「高まる地政学的な緊張の中、憂慮すべき兆候がみられる」と指摘した。

 その上で、CTBTに178カ国が批准していることから「CTBTはほぼ普遍的な(各国の)支持を得ている」とし、核実験や核兵器のない世界に向けて「たゆまぬ歩みを続けていく」と力を込めた。1996年に国連総会で採択されたCTBTは、核兵器を持つ米国や中国、インドなどが批准しておらず、いまだに発効していない。

14:00

「広島には、いまも遺体が…」

 広島市で開催中の原水爆禁止世界大会広島大会の一環で、被爆者の切明千枝子さん(95)が広島市中区で体験を語った。

 米軍が原爆を投下した1945年8月6日当時は15歳だった。大やけどを負って女学校まで戻ってきた下級生たちは全身に水ぶくれができ、それが破れると皮膚が垂れ下がった。

被爆体験を証言する切明千枝子さん=2025年8月5日午後2時7分、広島市中区、興野優平撮影

 下級生がこと切れると、切明さんは校庭に穴を掘って遺体を焼いた。金縛りにあったような感覚でその場に立ち続け、標本のようなきれいな遺骨が見えて初めて、涙がこぼれたという。

 「広島のまちには、いまも遺体が埋められたまま」と切明さん。「時々でいいから、ちょっと心の中で思い出してみてください。無残な死を遂げた人の思いが、みなさんの心の中で生き返ると思うの」と話した。

13:30

「命を守る」共同声明

 被爆者団体と日米韓のカトリック教会の司教らが5日、核兵器廃絶をめざす平和集会を、広島市中区のエリザベト音楽大学セシリアホールで開いた。昨年の日本被団協のノーベル平和賞受賞を祝い、「すべての命を守るための連帯」をめざす共同声明を発表。核兵器禁止条約の批准拡大を後押しするとうたった。

 声明では「対話と協働による平和と連帯を追求する非暴力の基礎」を国際社会に求めた。

 ローマ教皇庁駐日大使のエスカランテ・モリーナ大司教はこれまでの教皇の核兵器廃絶への取り組みを振り返り、「戦争は人間のしわざです」というヨハネ・パウロ2世(1978~2005年在位)の言葉を紹介した。

10:30

韓国人犠牲者を慰霊

 広島市の平和記念公園にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の前で5日、朝鮮半島出身の原爆犠牲者の慰霊祭があった。碑が建てられた1970年から始まり、今年で56回目。在日本大韓民国民団広島県地方本部が主催した。

韓国人原爆犠牲者慰霊祭で慰霊歌を歌う女性たち=2025年8月5日午前10時57分、広島市中区の平和記念公園、上田潤撮影

 韓国の釜山から来た釜山情報高2年の曺材源(チョジェウォン)さん(17)は平和記念資料館をみて原爆で何が起きたかを初めて知ったという。「原爆を使用して市民を大量殺戮(さつりく)したのは絶対よくないと考えます」

 1歳のとき広島で被爆した在韓被爆者の鄭源述(チョンウォンスル)さん(81)も参列し、「核兵器は使ってはならないし、あってはならない。核のない朝鮮半島、核のない世界が早く実現して欲しい」と語った。

10:00

韓国大統領がメッセージ 韓国人被爆者に

 韓国の李在明(イジェミョン)大統領は5日、広島への原爆投下から6日で80年を迎えるのを前に、SNSへの投稿で韓国人の被爆者について「故国でもない他国で歴史の荒波を二重三重に経験し、苦痛を受けた原爆被害の同胞と遺族の皆様に深い哀悼と慰労の言葉を申し上げる」と書き込んだ。

 また、韓国に戻った被爆者のための「原爆被害者支援特別法」によって実質的な支援基盤が整ったが、まだ不足している部分が多いとし、「原爆の傷痕を癒やすために引き続き努力していく」とした。

 そのうえで「戦争による惨状が繰り返されないよう、平和の価値をより強固に守っていく」とした。

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