中山美穂さんのお別れ会で小泉今日子が弔辞、会場に姿を現さなかった“同期”の悲しき言動(週刊女性PRIME)
小泉が述べた弔辞では、出会った当時から今までの思い出を振り返った。さらに中盤には、 「天国で出会った方たちのために、美穂の取り扱い注意を、箇条書きで記します」 と、5つの“トリセツ”を涙ながらに読み上げ、参列者の涙を誘った。 大粒の涙で溢れた会場。しかし世間はその会場に姿を見せなかったある人物に注目していた。 《工藤静香は参列者になかったね》 《工藤静香、来てないの?》 《亡くなった直後の工藤静香のディナーショーではメンタルやられてたみたいだよ》 《さすがに居たたまれなくなりそうだから会場に行かなくて正解じゃない?》 その人物とは、1980年代、中山美穂を始め南野陽子、浅香唯と共に『アイドル四天王』として知られていた工藤静香だ。 「工藤さんは、1985年に結成された『おニャン子クラブ』の38番としてデビュー。さらに、中山さんも同年歌手デビューをしていて、2人は“同期”だったんです。2人でドライブに出かけるなど、その仲の良さは中山さん自身も公言するほどでした」(前出・芸能ジャーナリスト) 会場には、紅白歌合戦など今まで着用した衣装や、デビューから近年までの写真パネルが展示されていたが、その中にも、中山と工藤の2ショットが飾られていた。 そんな親交の深かった仲間の死は、会場へ足を運ぶことができないほど、工藤にとって受け入れ難いものだったのではないかと前出・芸能ジャーナリストは続ける。 「中山さんの訃報後、工藤さんは“余りにも突然の訃報に、愕然としております。皆さまと同じ様に、まだ信じられない気持ちです”とスポーツ紙わずか1社にだけ追悼コメントを発表。 さらに、ファンクラブの会員には、《ごめん、ショックが強い。。。悲報についてのインスタのコメントは控えてほしい》と別コメントで異例のお願いをしていたんです。お別れ会で写真を展示することは許可できても、自分の目で見に行くことは困難だったのでしょうか……。そっと静かに追悼する形を選んだのかもしれませんね」 “盟友”だった2人の絆は、これからも心にあり続けるのだろう。