筋金入りの「ロシア諜報部員」とバーで密会…「海自スパイ事件」自衛官逮捕の決定的瞬間 「別々にテーブル客が一斉に立ち上がって」
そこで過去のスパイ事件を振り返ってみよう。2000年9月7日、海上自衛隊の三等海佐が情報漏洩容疑で逮捕された。当時の世間は20年ぶりの「自衛隊スパイ事件」に沸き、マスコミは「ゾルゲ事件の再来」などと書き立てた。しかし、「週刊新潮」が得た情報筋の証言によれば、どうやらスパイ事件“未満”だったようだ。 「渡った情報に価値はなかった」と証言する専門家たちからは、「こんな事件で大騒ぎするとはスパイに対する感覚がズレている」とあきれる声も上がっていた。それから25年、日本の防諜活動はどうなっているのだろうか。 (全2回の第1回:以下、「週刊新潮」2000年9月21日号「スパイ天国・ニッポン ロシアはどんな情報を欲しがったのか」を再編集しました。文中の肩書等は掲載当時のものです) ***
自衛隊のA三佐が連行されたのは2000年9月7日。都内浜松町駅前のテナントビル7階にあるバーの密会現場へ、警視庁と神奈川県警の合同捜査本部の捜査員が踏み込んだ。 「夕方の6時半頃、口髭をたくわえた外国人が、1人で店に入って来て、“7時から2人の席を予約したい”と窓際のボックス席を指差して言うのです。“お名前は?”と尋ねると“ビクトリー・ユーリ・ボガ……”とちゃんとした日本語でしゃべっていました」 こう振り返るのは、バーの店員である。 予約したのはロシア大使館のボガテンコフ。身長165センチほどとロシア人にしては背が低いが、がっちりした体格で紺色の背広を着ていた。 「7時頃、今度は日本人と2人で店にやって来ました。日本人が奥、外国人が手前に座りました。すぐに、黒ビールと生ビールを混ぜたハーフ&ハーフという飲み物とカクテルのモスコミュール(注=いずれも料金は600円)を注文し、クラッカーの上にウニのテリーヌをのせたお通しを出しました。 すると、およそ10分後、3〜4人ずつのグループ客が次々とやって来た。たしか合わせて男性10人、女性4人で、別々のグループのように見えたのですが、それぞれが2人の席を取り囲むようにして席に座ったのです」
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捜査本部の調べによると、この1年間で2人の密会は13回。都内の居酒屋やすし屋、中華料理店などで会っていた。が、Aが受け取った自衛隊の内部情報の提供料は30数万円。国際スパイ事件にしては、スケールが小さいのである。あげく、この9月9日には、相手のボガテンコフはさっさと帰国してしまった。 逮捕されたAは防衛大の修士課程時代、自衛隊横須賀基地にロシア軍ミサイル駆逐艦が入港した際の歓迎セレモニーに通訳として出席。すぐにボガテンコフと親しくなったという。が、同時に警察からもマークされた。 神奈川県警の公安担当者が打ち明ける。 「内偵捜査は、すでに昨年9月の横須賀基地のセレモニーから始めていた。ボガテンコフがGRU所属の諜報部員だとわかっていたので、神奈川県警外事課の捜査員がパーティで彼が接触した人物を軒並み写真撮影。ボガテンコフの尾行をするうち、Aとの接点が浮かび上がったのです」 前述の通り、捜査本部が確認した2人の密会は13回。一体、ロシアはAからどんな情報を手に入れようとしたのか。 *** 「渡った資料に機密資料はありません」――専門家たちは「大騒ぎするほどの問題ではない」との見解を示した。第2回【「海自スパイ事件」で“ロシアが欲しがった情報”とは マスコミ大騒ぎでも実は「極秘でも何でもなかった」理由】では、渡った資料の詳細や受け取った金額、Aが“泳がされていた可能性”などを解き明かす。 デイリー新潮編集部
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