「数日でゼレンスキー政権は崩壊する」ロシアの甘すぎるシナリオを狂わせた、ウクライナの“見えない力”(ダイヤモンド・オンライン)
2022年、ロシアはサイバー攻撃と地上侵攻を組み合わせた電撃的な作戦で、ウクライナを短期間で制圧できると見込んでいた。だが、その構想は開戦直後に崩れ、戦争は長期化する。圧倒的な戦力差を前提に描かれた勝算は、どこで現実と食い違ったのか。※本稿は、東京大学先端科学技術研究センター准教授の小泉 悠『現代戦争論――ロシア・ウクライナから考える世界の行方』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 朝、目を覚ましたら ソ連の戦車が並んでいた 2025年7月、ギリシャのテッサロニキで開催された国際学会に参加した際、印象深い出来事があった。 セッションが終わった後、年配のチェコ人研究者と雑談を交わしていたときのことだ。ロシア軍事の研究をしていると言う筆者に、彼はこう口にした。 「ロシア軍ね!朝、目を覚ましてみたら、うちの前の通りにソ連の戦車が並んでいたのを覚えてるよ」 アレクサンデル・ドゥプチェク率いるチェコ・スロヴァキア共産党が「チェコ共和国共産党行動計画」を発表し、非ソ連型社会主義を目指す方向性を打ち出したのは、1968年2月のことである。いわゆる「プラハの春」だ。 1956年のハンガリー動乱に続き、東欧社会主義国がソ連圏からの離脱を図った戦後2つ目の事例であった。ワルシャワ条約機構諸国は、この動きを抑え込もうとした。 チェコ・スロヴァキアの離脱が東欧社会主義圏全体の崩壊に繋がりかねないと懸念されたからである。政治的説得が不発に終わると、8月、ワルシャワ条約機構諸国はついに軍事介入に踏み切った。
「ドナウ作戦」と名付けられたこの侵攻作戦は、奇襲で始まった。8月20日午前0時、首都プラハ近郊のルズィニエ国際空港をソ連軍と国家保安委員会(KGB)の特殊部隊が突如として占拠したのである。 ソ連軍は同空港を拠点として輸送機で後続部隊を次々と送り込み、首都プラハの政治中枢やラジオ局を一夜のうちに手中に収めた。ドゥプチェクは逮捕され、これと同時に25万人のワルシャワ条約機構軍主力が国境を越えてチェコ・スロヴァキア領内に雪崩れ込んだ。 このように、プラハの占領自体は作戦開始の翌朝には完了していた。件のチェコ人研究者が言うように、「朝、起きてみたら」ソ連軍が市内にいた、というのが一般市民の感覚であっただろう。 チェコ全土の占領にはもう少し時間がかかったが、要した時間は数日に過ぎない。事実上の降伏文書であるモスクワ協定にチェコ・スロヴァキアが署名したのは、侵攻作戦が開始されてからわずか1週間後の8月27日のことであった。 ● 短期間でゼレンシキー政権を 崩壊させる目算だった だが、ソ連やロシアが過去に行った侵攻作戦は空港占拠なくしては絶対に不可能であったというわけではない。 ワルシャワ条約機構軍やロシア軍は、1968年のチェコ・スロヴァキア軍、1979年のアフガニスタン国軍、2014年のウクライナ軍に対して圧倒的な戦力上の優位を誇っていたから、多少の損害を顧みないのであれば、奇襲的な方法を取らずとも最終的には同じような目標を達成できていただろう。 実際に1956年にソ連軍が行ったハンガリー侵攻は、空港占拠なしで成功している。したがって、空港占拠は勝利そのものの条件というよりも、電撃的な勝利の条件であると考えたほうがよい。 第二次ロシア・ウクライナ戦争(編集部注/2022年に始まり現在も続いている戦争を指す)のNPV(編集部注/戦争の最初期段階において、目的を達成するための基盤を作る期間)において、ロシアがホストメリ空港を真っ先に狙ったのは、まさにこうした電撃的勝利を目指してのことであったと思われる。 1968年のプラハと同様、キーウの市民が目を覚ましてみると、家の前の通りをロシア軍の戦車部隊が埋め尽くしているような状況をロシアは欲していたのだろう。