ひきこもり10年 発達障害の院生が見つけた「パラダイムシフト」

となりの発達障害

毎日新聞 2025/12/3 11:00(最終更新 12/3 11:00) 有料記事 3097文字
発達障害当事者の拓也さん=東日本で2025年11月、寺町六花撮影

 「弊社の志望度はどれくらいですか?」

 模範解答は「第1志望です」だ。今なら分かる。

 でもそのときは、正直に「まだ迷っています」と言ってしまった。

 言葉をそのまま素直に受け取る自閉スペクトラム症(ASD)の特性が響いた。

 国立大大学院生の拓也さん(33、仮名)は2024年春からの就職活動で30社受け、内定はゼロだった。

 「これからの人生、どうしよう」

 ちょうど年末年始の帰省シーズンが近づいていた。「家族と過ごす時間」という世間のムードを感じ、拓也さんにとっては、不仲だった実家の嫌な記憶や寂しさがよみがえる時期だ。

 風邪を機に体調を崩したこともあり、自宅アパートから出られなくなった。

 そのまま3週間が過ぎた。風呂にも入れなかった。

 そんな時、インターホンが鳴った。

 「生きてる?」

 発達障害の当事者らでつくる大学の仲間たちの「安否確認」だった。

泣きながら部屋を片付け

 拓也さんは、東日本の地方都市で生まれ育った。

 両親との3人暮らし。

 父は母に暴力を振るった。当時幼稚園児だった拓也さんは自ら110番したが、警察はインターホン越しに母と会話した後、再び訪れることはなかった。

 「親戚づきあいもない。行政から支援や介入を受けることもなかった」

 小学生の頃、勉強は得意だった。テストは大体いつも90点以上。でも父は関心を示さず、母は「100点を取って当たり前」と突き放した。

 一方、遅刻や忘れ物は多かった。親からは叱られてばかりいた。

 6畳の自室にはほこりが積もり…

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