13年の空白を埋める――『ワルプルギスの廻天』を(再)鑑賞する上で押さえておきたい『マギアレコード』の基礎知識|北出栞 siori kitade

※本記事は『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』を2回目以降に鑑賞する方に向けて、アプリゲーム『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』の設定や物語の基礎知識――すなわちこのゲームが原典である『魔法少女まどか☆マギカ』の設定や物語をいかに解釈し、その世界観を押し広げたのかを解説することを目的としています。『廻天』はもちろん、『マギレコ』をはじめとした、現時点でのすべての『まどマギ』コンテンツに対する重大なネタバレが含まれているとお考えください。

前作『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』から実に13年ごしに公開された、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』。この間、『魔法少女まどか☆マギカ』を冠するコンテンツは止まっていたわけではありません。その中心をなしていたのが、2017年~2024年の約7年間運営されていたアプリゲーム『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』です。ゲーム内のアニメーションはすべてそれまでのシリーズ同様シャフトが制作。同じくシャフト制作によるアニメ版も、2020年~2022年にかけて3シーズンに分けて放送されました。2011年の『まどマギ』テレビシリーズにおいては「異空間設計」の役職にとどまっていた劇団イヌカレー(泥犬)氏は原作とアプリの橋渡し役として、またアニメ版『マギレコ』においては物語の舵取りを担う「総監督」として、単なるビジュアルデザイナーを超えた役割を見せていたのも特筆すべき点です。

『廻天』はあくまでテレビシリーズ(の総集編劇場版)~『叛逆』から連なる続編であり、『マギレコ』と直接的な物語上の繋がりはありません。しかし、『まどマギ』シリーズの根幹となる設定をこの13年間、『マギレコ』へのコミットを通じて最も深く解釈してきた人物と言える劇団イヌカレー(泥犬)氏が『廻天』でも引き続き関わっていることを考えると(異空間設計に加え「脚本協力」にもクレジットされています)、氏を中心に『まどマギ』世界の可能性を押し広げてきた『マギレコ』について知っておくことは、『廻天』を鑑賞する上でも大きな助けとなることでしょう。

とはいえ、『マギレコ』には7年間で蓄積された膨大な量のストーリーがあり、そもそもサービスが終了していてその全貌を正規の手段で把握することができません(主軸となるメインストーリーは、後継アプリである『魔法少女まどか☆マギカ Magia Exedra』の公式YouTubeチャンネルに動画形式でアップされています。ちなみにサムネイルは同アプリのOPからの引用です)。アニメ版は各種サイトで配信されていますが、後述するようにアプリ版とは異なる世界を描いており、やはり7年という長い年月をかけて行われてきたアプリ版における『まどマギ』世界の掘り下げを知ることが、『廻天』の作風を理解する上での最も有力な補助線になると思われます。

以下、『廻天』におけるさまざまなトピックを辿りながら、関連する『マギレコ』の設定や物語について解説を行っていきます。

【本記事中での言葉の定義】

  • 世界:ほむらのn周回のバリエーションのそれぞれ、あるいはアプリ版/アニメ版『マギレコ』といった発表媒体ごと、そのすべてが一つひとつの「世界」である(『まどマギ』世界、『マギレコ』世界などと呼称)。

  • 宇宙:いわゆる「アルティメットまどか」が観測する、複数の「世界」からなる総体。

  • 現実:私たちの生きる地球、そして宇宙。「アルティメットまどか」(フィクションの中の存在)の観測外にある領域。

『マギレコ』世界はほむらがループを繰り返した結果『まどマギ』世界の内側からバグとして生じた、『まどマギ』世界からは完全に独立した世界である

最重要の前提です。実はほむらがn周回したいずれの世界においても、『マギレコ』主人公の環いろはは魔法少女になる前に交通事故で命を落とす運命にあります(加えて、環うい、里見灯花、柊ねむの三人も必ず病死)。

ただし、『マギレコ』世界が生じたたった一度の周回においては、ほむらの時間遡行が何の因果か作用して(これ自体に特に理由はありません)、いろはは命を落とさずに済むのです。これが第2部のラストで明かされる、いろはの本当の固有魔法が「対象の時間を巻き戻す」であることの理由となります。

アニメ『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON -浅き夢の暁-』第1話より。いろはの固有魔法は、病身の妹・ういの快復を願ったことによる「回復魔法」であると、第1部時点(アニメ化部分相当)では見なされていた

こうして生まれた『マギレコ』世界はほむら‐まどかを軸とする因果のループから完全に外れてしまい、かのアルティメットまどかもスクリーンに映った映像作品のように外から眺めるしかできないようです。しかし逆に言えば「眺めること」はできる。これが第二の点に繋がってきます。

アニメ『マギレコ』は「宇宙のどこにもない世界」である

アニメ版『マギレコ』の総監督を務めた劇団イヌカレー(泥犬)氏は、アニメ版『マギレコ』は「円環の理」と化した(という言い方をするのが正確なのか、『廻天』以後においては微妙なところがありますが)アルティメットまどかが、アプリ版『マギレコ』の世界を元に映し取った一種のシミュレーション世界であると明言しています。

アニメ版マギレコ は、アプリ版マギレコ という唯一宇宙を 円環内にその一部分を映し取って補完した形になります。アプリ版マギレコ に出てくる黒江は、現在開催中のイベントでいろはと初対面になり、今後もアニメとは違う道を歩んでくれます。たぶん(f4さん次第)。

— 劇団イヌカレー (@gekidaninucurry) April 4, 2022

つまりアプリ版『マギレコ』の世界が(『廻天』のほむらたちとは接続の切れた世界なのだとしても)アルティメットまどかの観測範囲である「宇宙」には実在しているのに対して、アニメ版『マギレコ』の世界はそのアルティメットまどかが本のように読んでいるだけの、全くの非実在な世界であるということです。

アニメ『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON -浅き夢の暁-』最終話より

しかし、ここでの本当のポイントは、アルティメットまどかが観測する「宇宙」の外側――すなわち「現実」に生きる私たちには、それをひとつの「世界」として観測できたということにあります。

アニメ『マギレコ』2期第1話では、魔女化の真実を知り様子のおかしくなったマミの処遇をめぐって、ほむら、まどか、さやかが議論を重ね、最終的にマミを救い出すべく手を取り合って立ち上がるという展開が描かれました。「宇宙」のどこにも存在しない世界であったとしても、その外側の「現実」に生きる私たちは、アニメ『マギレコ』という映像作品フィクションを通じて、何かが噛み合えばあの三人が絆を結ぶ可能性を目撃したのです。「鹿目まどか」「暁美ほむら」「美樹さやか」は、アニメ『マギレコ』2期第1話のように協力し合い、前を向いて「魔法少女になる」ことができたかもしれない。キャラクターの「名前」とは、アニメの「宇宙」と私たちの生きる「現実」を繋ぐ、そのような可能性の収束点としてあるのではないでしょうか。

アニメ『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd SEASON -覚醒前夜-』第1話より

そして、この「名前」についての論点は、後の〈名塚底根〉についての考察にも繋がっていきます。

「魔女図鑑」は『マギレコ』初出の概念である

泥犬氏はアプリ版『マギレコ』にも魔女や異空間のデザインなどで深く関わっており、『まどマギ』の設定をアニメサイドからゲーム開発スタッフに伝える、実質的なスポークスマンの役割も果たしていたようです。アニメ版では「総監督」の肩書きで脚本まで執筆し、『叛逆』から『廻天』までの13年間を通じ、単なるビジュアルデザイナーの枠を超え、誰よりも深く『まどマギ』世界の設定を読み込んできた人物だと言えるでしょう。

『廻天』のパンフレットには虚淵氏が泥犬氏からアイデアを受け取る形で脚本を執筆したという旨の情報もあることから、「魔女図鑑」という共通の設定が存在するのは、『まどマギ』世界と『マギレコ』世界の繋がりを示すものというより(身も蓋もない言い方になりますが)「泥犬氏という同じ人がおそらく考えた設定だから」ということに尽きます。

画像は『マギレコ』サービス終了時に既存プレイヤーに向けて配布された「アーカイブアプリ」のもの。運営中もほぼ同じUIから「魔女図鑑」にアクセスできた

むしろここで重要なのは、『マギレコ』の「魔女図鑑」は作中には存在しない、ユーザーが参照するためのゲームUI上の機能だったという事実です。そして、これは「魔女図鑑」を収めた書庫=〈名塚底根〉が「宇宙の外」にあるという『廻天』の設定とも呼応する。

つまり、宇宙=アニメ・ゲームの外側の現実にいる私たちが、「魔女図鑑」を通して魔女の名前を知ることができたということです。「名前」を認識することによって、初めて個性を持った対象として認識されるようになる。それがマルグリート=ワルプルギスの夜が絶望の淵で見出した「救済」の形でした。

さて、私たちは「暁美ほむら」「鹿目まどか」「美樹さやか」といった名前から、どのような人物像を思い浮かべるでしょうか? アニメ・ゲームという宇宙の内部において救済されなくても、その外側=現実にいる私たちによって記憶されることで、アニメ『マギレコ』2期第1話のように、「まどか」「ほむら」「さやか」が協力し合う可能性が描かれるようになる。「名前」を持つことによって、それが可能になるのです。この意味で、ワルプルギスの夜=マルグリートの「名前を与える」という行いはまったく正しいと言えるでしょう。それが魔女に対するものでなければなお良いのですが……

といったところで、「魔女図鑑」が集まる〈名塚底根〉とは何だったのか? という本質的な問いに進むことができます。

〈名塚底根〉と〈マギアレコード〉

アプリ版『マギレコ』第1部において、ワルプルギスの夜はユーザー参加型のレイドバトルによって撃破されます。アニメ版では救われなかった環ういも救い出し、その後、第2部ではういがコアとなっていた「自動浄化システム」(アニメでも描写された、グリーフシードに穢れが溜まると魔女化する代わりに「ドッペル」が出現するというもの)を世界中に広げるための模索がなされます。

アプリ『マギアレコード』第1部第10章(最終章)後編より。神浜の魔法少女と見滝原の魔法少女が協力し、ワルプルギスの夜を撃破する様子がシャフト制作のアニメーションで描かれた

いろいろあって(本当にいろいろあって)環いろは(と環うい、里見灯花、柊ねむ)は自動浄化システムの管理者として宇宙空間へと飛び立ちます。一見アルティメットまどかと似たような立ち位置に見えますが、その違いを図式的に説明するなら、アルティメットまどかが(「世界」の総体としての)「宇宙」という次元に存在しているのに対して、彼女たちは『マギレコ』世界(=地球)のみを見守る立場と言えるでしょう(たとえるなら前者の「宇宙」が概念的なものであるのに対して、いろはたちがいるのは物理的な意味での宇宙空間という違い)。

アプリ『マギアレコード』メインストーリー第2部第12章(最終章)後編より

彼女たちは地球内部の穢れを回収し宇宙空間にエネルギーとして放出する役割の他に、その副産物として知ることになる「魔法少女の生き様(物語)」を記録するという使命を帯びています。これはキュゥべえの言ういわゆる宇宙のエネルギーの帳尻合わせ的な話とは別に、『マギレコ』第2部での一連の事件(後述)を経て、独自にいろはたちが自らの使命と定めたもの。その記録の集積に、彼女たちは自ら〈マギアレコード〉と名づけます。

そう、〈マギアレコード〉は「魔法少女一人ひとりの物語の集積」であり、魔女の情報を記録した「魔女図鑑」の集積である〈名塚底根〉と対をなすものなのです。

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』本予告より、〈名塚底根〉

こう考えるとワルプルギスの夜をレイドバトルで撃破できたのも、極めてロジカルな帰結だったことが理解できます。〈マギアレコード〉とは魔法少女の物語を私たちが「名前を持つ一個人の物語」として記録していくこと。名前を呼ばれなかった魔法少女たちの無念の集積であるワルプルギスの夜を、プレイヤーが一人ひとり愛着をもって記憶した魔法少女たちの力が上回ったという構図になるからです。『マギアレコード』というアプリは、名もなき存在で終わるはずだった魔法少女たちに名前を与え直すアプリでした。

(ちなみに魔法少女一人ひとりの物語は、アプリ『マギレコ』では「魔法少女ストーリー」として入手・育成を進めることで読めるように実装されていました。この「魔法少女ストーリー」は、アプリ自体のサービス終了に伴い正規の手段で参照することができなくなってしまっています。魔女の記録の集積である〈名塚底根〉の存在が明らかになったこのタイミングで〈マギアレコード〉に私たちがアクセスできなくなってしまっている状況は、何とも皮肉なものです……)

魔法少女が一般人に知られない謎と、「宇宙の意思」の存在

『マギレコ』では、ついぞ『廻天』でも掘り下げられなかった謎、「なぜ魔法少女は一般社会に認知されず、歴史的な文献にも残っていないのか?」を真正面から扱います。魔法少女の願いが叶えた奇跡や、魔女が引き起こす事件の数々がまったく一般社会や人類史において深く掘り下げられないのは、『廻天』で杏子が言っていたように、「一般人と魔法少女は住む世界が違う」から自主規制的に距離を置いていたというだけでは説明がつかない。

アプリ『マギアレコード』メインストーリー第2部第9章後編より

メタ的には「作劇の都合」の一言で済んでしまうこの謎を、『マギレコ』では「宇宙の意思」として問題化します。キュゥべえが語る宇宙のエネルギー問題は事実存在している。彼らはその調整をする端末でしかなく、宇宙そのものが熱的死を回避するために、魔法少女の存在を一般社会に周知させようとする行動を見えない力でブロックしているという仮説が出されるのです。曰く、魔法少女という救世主的な存在が一般に周知されると、いざとなれば魔法少女に頼ればいいのだと、人類が安心を得てしまう。容易に安心の得られない世界だからこそ奇跡にすがる魔法少女も生まれるのだから、「宇宙の意思」は一定の不安定性を世界にもたらすために、魔法少女を一般に周知させないようにしているのだ、と。

左の男性は里見太助という人類学者。魔法少女である娘の那由他(右)のために各地をフィールドワークした結果、「宇宙には意思がある」という結論に辿り着く

アプリ『マギレコ』第2部ではそんな人知れず奇跡を叶え、魔女と戦い続ける魔法少女という存在を、一般社会に周知させようとするとどうなるのかという思考実験が展開されていきます。そうして起きる排斥・分断・革命――それらが第2部の物語を牽引する要素でした。

魔法少女は社会の中で居場所を持てなかった……つまり「名前」のある個人として認識されなかった少女たちが、願いを叶えることで生まれてしまう。であれば魔法少女(になるかもしれない少女)を、まず社会の中にきちんと包摂することが必要である。

アプリ『マギレコ』第2部のラストで「自動浄化システム」は完成を迎えますが、魔女化の心配がなくなったとはいえ、いやむしろ長く生き続けることができるようになったからこそ、魔法少女を構成員として迎え入れるようになった社会全体がより良いものになっていくことが必要でしょう。そのためにいろはたちは宇宙空間で、魔法少女たちの物語を記録し続けるのです。

プレイヤーの分身である「小さなキュゥべえ」には、アプリ版ではユーザーが「名前をつける」ことができた

『廻天』のラストはキュゥべえの台詞で締め括られます。それをもって「何かいい感じで着地したのに、またコイツは何かを企んでいる。続編求む!」のように言っている方もSNS上でお見かけしたのですが、筆者は最後のキュゥべえの発言は本当に言っている以上のことは含意しておらず、ゆえに作り手が配置した、2011年のテレビシリーズから続いた『まどマギ』全体のテーマを純粋に総括した台詞として受け取っていいと考えています。

つまり本記事でもずっと話してきた、「名前をつけることによって、存在は個として確立する」ということですね。

実はこれはアプリ版『マギレコ』において、ゲームを開始した本当に最初の時点でプレイヤーに突きつけられる命題でした。アプリでプレイヤーの分身となるのは「小さなキュゥべえ」と呼ばれる、「自動浄化システム」が作られた際に副産物的に生まれた無害化されたキュゥべえなのですが(この経緯についてはアニメ版と同一です)、ユーザーはこの「小さなキュゥべえ」に対してゲーム内のソーシャル機能で表示される、いわゆるユーザー名を入力することになります。まさに「名前をつける」という行為によって、「小さなキュゥべえ」は私たちが思い描く「あの」キュゥべえからは分かたれた個体になったのでした。

アプリ『マギアレコード』メインストーリー第1部第1章より。画面上で「小さなキュゥべえ」となっている箇所に各々のユーザー名が表示された

キュゥべえは2011年のテレビシリーズの頃から「自分たちは母星から送られてきた端末のような存在で、個という概念がない」ということを語っていました。単なる生態のようにさらっと説明されていて、その割に私たちは「キュゥべえ」という固有の名前を持ったキャラクターとして彼らを認識しがちなのでなかなか意識しづらかったのですが、そもそも彼らが呼ぶ「鹿目まどか」「暁美ほむら」といった名前は、感情エネルギーの始点と終点を繋いでグラフを描くための、タグのようなものでしかなかったのではないでしょうか。さまざまな物語の収束点として「名前」はあり、逆に言えば「名前」を通じて「この人ならこういう時こういう行動をするだろう」という、さまざまな可能性を思い描くことができる。『廻天』での一連の事件を通じてキュゥべえはそのことを改めて知り、「素晴らしい発見だ」と感嘆したのだと思われます。

名前というのは日常的すぎて、私たちにとってもそれが自分の人生にとってどういう意味を持つのか、深く考えることはないですよね。「名前とは何か」というテーマを作品を通じて現実に持ち帰ってほしいからこそ、制作サイドはラストにキュゥべえのあの台詞を置いたのだと私は考えています。

「呪いのような願い」を叶えた魔法少女がいる

作中では魔女と魔法少女の関係として、前者には「希望」が、後者には「絶望」が象徴されるため考えが及びにくいところですが、他者や世界、あるいは自分自身を呪うような「願い」というのもあり得るはずですよね。わかりやすいところだと、憎い誰かの死を「願う」であったりとか……。

実は『マギレコ』にはそんな願いで魔法少女になった者が複数登場し、そういった者は直接の戦闘力を持たない(=魔女を狩ることができない)魔法少女となるというハンデを背負う設定が存在しました(アニメにも登場した、魔法少女のメンテナンスを行う代わりにグリーフシードを対価として得る「調整屋」八雲みたまは、まさにその一人です)。

八雲みたま。その願いは「神浜(『マギレコ』の舞台となる都市)を滅ぼす存在になりたい」というもの

今回新たに登場した紫丁香しちょうかとセルマ・テレーゼという二人の新しい魔法少女は、そのような「願い」で魔法少女になった者たちなのではないでしょうか(二人は戦闘能力を持っていましたが、ここで重要なのは設定の整合性ではなく、『マギレコ』を介することで「呪いのような願い」があり得ることに私たちが気づけるということです)。「死してなお絶望が消えなかった」と丁香は表現していましたが、〈名塚底根〉から這い上がってくるには、そもそも希望を抱いたことなど、魔法少女になる前にも後にもまるでなかった者であるという条件があったと思われるのです。

この仮定と作中の描写を踏まえると、たとえば丁香の願いは目の前で転落した父親を助けたのではなく、瀕死の状態を目にしたことでようやく虐待されていた事実を認識し、むしろ「このまま死んでくれ」とでも願ってしまったのではないか……などといった想像ができます(本当に嫌な想像ですが)。

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』本予告より、紫丁香

こういった「願い」で魔法少女になった者は『廻天』に連なる『まどマギ』世界をベースにしたシリーズには登場していなかったので、ほむらの零した「私の知らない魔法少女……?」というのは、「私の知らない(タイプの)魔法少女……?」ということでもあり、『マギレコ』をプレイしていない視聴者の驚きにも重なったことでしょう。

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』本予告より、セルマ・テレーゼ

作中ではセルマの「キュゥべえを全面的に信奉する」という思想が悪役的に強調されていましたが、私たちが問題にするべきは彼女の思想そのものではなく、セルマという魔法少女のあり方が、「魔法少女は希望を願い、絶望して魔女に落ちる」という私たちの『まどマギ』世界の基本的な解釈の盲点に存在していたということです。この盲点はキュゥべえのいつもの「説明不足」によるものというより、むしろ「願いとは、すべからく希望にあふれたものだ」という、他ならぬ主人公・まどかのモノローグによって生じたものだと言えるでしょう。本編で「主人公らしいこと」をしていないと時に言われるまどかですが、この強力な「魔法少女の定義」をしているという一点において、彼女は正しく「主人公」なのです。物語がその人物の視点で描かれることによって、それ以外の可能性を受け手にマスキングすることにもなる存在、そのようなキャラクターを人は「主人公」と呼ぶからです。

筆者の『廻天』に対する考察と所感

最後に筆者の『廻天』という作品に対する所感を述べたいと思います。個人的には、ほむらは結局どうなったのか、まどかと永遠の別れをしたのか、再び出会うことができたのか、世界の、宇宙の仕組みは結局どうなったのかなどにはあまり関心がなく、「(キャラクターの)名前」をめぐる問題が可視化され、それにひとつの決着をつけた作品として『廻天』は、テレビシリーズから続いた一連の『まどマギ』シリーズの終着点として、極めて美しい結末を描いたものだと思っています。

最後、「私はここにいるよ」というまどかの声を電話ごしに聴いて満足そうに口元に笑みを浮かべるほむらは、仰向けに寝転がりながら目を閉じています。「見える」ものの存在ではなく、自分の心の中に「聴こえる」存在を「まどか」として信じた。アニメという視覚的な媒体を通じて、現実に生きる私たちはたとえば「まどか」というキャラクターを、ピンクの髪を赤いリボンで束ねていて……という視覚的な特徴のリストによって捉えます。さまざまなグッズ展開、メディアミックスが繰り返されることによって、そういったリストさえ満たしていれば「まどか」なのだという認識の転倒がいつしか起きて、またそうした商業展開を自分に言い聞かせるように、「世界線」のような言葉を使って受け入れようとする。あるいはそれらを束ねるものとしての「IP」という言葉ですね。

でも、それはやはり認識の転倒なのです。視覚的な……つまり簡単にコピー&ペーストできる形式ではない、一対一で繋がる電話のような、極めて個人的なメディアで、自分の中にだけ聴こえる「声」。それが本来の意味での、「かけがえのないあなた」を表す唯一の「名前」と結びつくものなのだということを、見事に美しくあのラストシーンは示していました。まどかは『魔法少女まどか☆マギカ』に始まる一連のシリーズの終わりに、「声」だけの存在にならなければならなかった。その「声」は『まどマギ』というフィクション宇宙の壁を突き抜けて、現実に生きる私たちのもとにまで、かけがえのない「まどか」のものとして届いたのです。

関連記事: