【大河ドラマ 豊臣兄弟!】第29回「天下への道」回想 間違ったこの世を「わしが変える」 天下一統を自らに課した秀吉、ストーリーの一大転換点を迎える

「おれたちの手で世を変える」 転換点迎えたドラマ

大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第29回は、ストーリーの重要な転換点を迎えました。明智光秀(要潤さん)を討ち、秀吉(池松壮亮さん)と小一郎(仲野太賀さん)の兄弟が戦国時代の主役級に躍り出るという節目の回でしたが、むしろ力を入れて描写されたのは2人の内面の変容です。これまで一貫して「恩義ある信長に誠心誠意仕え、信長の望む世を実現するために尽力する」という主従関係を基本に行動してきた兄弟だったのが、とりわけ秀吉について「おれたちが中心になって世の中を変える。他の人間には任せない」という、主体性を持った意識に変わっていく過程が丁寧に描かれました。過去の数々のエピソードは、この回のために用意された、と言ってもよいかもしれません。(ドラマの場面写真はNHK提供)。

交通の要衝で展開された天下分け目の戦い

電光石火で備中の戦いから戻ってきた秀吉や池田恒興、高山右近、中川清秀らと光秀が激突した山崎の戦い(天正10年6月13日)。天下分け目の戦いとしてあまりに名高い一戦は、現在の京都府大山崎町周辺で展開されました。 大坂方面から京に入る入り口にあたる部分。現在の東海道新幹線・京都ー新大阪間の沿線です。合流して淀川となる桂川、宇治川、木津川と丘陵地に挟まれた狭隘な地域で、名神高速、京滋バイパス、JR京都線、阪急京都線などが一気に車窓に迫ってきます。

天王山(山崎城)の展望台から合戦跡を望みます。東西南北を結ぶ交通の大動脈がまとまって通過し、要衝であることが一目分かります。

新幹線の車中でも「このあたりかな」とすぐに分かります。秀吉勢を京に入れるわけにはいかない光秀。ギリギリのこの場所で迎え撃ちました。

大山崎町にある古戦場の碑 「山崎大合戦之図」 月岡芳年画 慶応元年(1865年) 東京都中央図書館蔵

光秀との対話を演出、ドラマの白眉の場面に

頼りにしていた畿内の諸将の多くが味方になってくれず、兵力差が歴然としていた戦いは短時間で決着しました。天下をひっくり返した6月2日の本能寺の変からわずか11日あまりで敗残の将となった光秀。戦場からは逃れたものの、農民らの落ち武者狩りに遭遇して命を落とした、というエピソードがよく語られます。

今作ではそこに秀吉との面会という思い切ったフィクションの場面を加えました。「天下一統」に向けた秀吉の決意を固めるための場として演出されたのでしょう。ドラマの大きなクライマックスになりました。

「信長に奪われたものを今一度取り戻したかった」

問答無用で首を取られて当然の状況です。そこであえて光秀を生け捕りにした秀吉の意図とは何だったでしょうか。光秀はこう考えました。秀吉が信澄を救おうとしたことが、信澄と光秀の共謀を後押しし、結果的に信長の命を奪うことになったのでは?という主君に対する罪の意識に苛まれ、真相を知ろうとしたのではないか、と。「なぜ?」を聞かれて光秀は「こたびのこと(謀反)はわしがひとりで決めたこと。好機に巡り合っただけ。お前(秀吉)など関わりない」と明快に説明しました。相手が強い信頼関係で結ばれていた秀吉だけに、死ぬことが決まっている自分が余計な負担をかけたくないという思いもあったでしょう。

しかし、秀吉が聞きたかったのはそういうことだけではありませんでした。「天下を自分の手で統一する」という気持ちを固めつつあった秀吉。図らずも自分を天下取りの道へと導く形になった光秀には、「信長様の天下一統が目前に迫っていたのに、なぜおまえはあえて天下を狙ったのか」という明確な動機付けを聞きたかったのでしょう。

理の人である光秀。ここでも明快でした。「上様(信長)が作る世を信じたいと思った。しかしダメであった。わしが見たかったのは足利義昭様の世。私が生涯お仕えしたのは公方さまただひとり。信長に奪われたものを、今一度取り戻したかった」。

謀反の動機は「義昭」

義昭(尾上右近さん)と光秀の深い縁を繰り返し描いたこのドラマ。光秀の謀反の動機として、「義昭」をはっきり語らせました。信長の理不尽に対する怒りがピークに達する中、義昭に取るべき進路を問うたところ、返ってきた答えは「もう、わしを巻き込むな」だったことが最後の引き金を引きました。まさに「信長に奪われた」夢を取り戻そうとする、切ない勝負でした。

光秀の本心を聞かされ、秀吉も納得しました。ある意味、尊敬する光秀の残した思いも取り込みながら、「天下一統」への道を進みはじめたのかもしれません。これまで、大河ドラマでも様々な形で描かれてきた光秀像。今回は義昭と信長の間で絶えず揺れ動く、理と情の人としての繊細なキャラクターが印象的でした。要潤さんの好演が光りました。説得力のある、新たな光秀のイメージがドラマ史に書き加えられました。

「顔」が変わった秀吉

一方、光秀の言葉を聞いた秀吉。光秀の首を取りましたが、「落ち武者狩りに遭って取られた首が届けられたことにせよ」とし、自陣営の手柄にすることさえしませんでした。光秀の死を喜ぶ気持ちになれなかったということでしょう。長浜に戻っても、歴史的な戦いを終えた安堵の様子ひとつなく、与一郎を失ったことを姉のとも(宮澤エマさん)に責められても、言葉少なです。喜怒哀楽を率直に表現する、これまでの秀吉の姿ではありません。権力の頂点という次のステージに向けて、いよいよ最終形態に進んだ秀吉なのかもしれません。

与一郎の死、「変わらぬ現実」を兄弟に突き付けた

初陣の与一郎(大空利空さん)が儚くも戦国の露と消えました。

小一郎の子である与一郎に関しては文献上の記載が少なく、早世で本能寺の変が起きた天正10年(1582)までには死去していたとみられます。ここから想像力豊かにドラマでは大きな役割を彼に与えました。父を慕って自ら望んで初めての戦いの場へ。そこで敵に狙われた織田信孝(結木滉星さん)を身をもってかばい、矢を受けてしまいました。

もっと楽しき世を「父上たちが…」

家族の懸命の看病や祈りもむなしく、危篤状態に陥った与一郎。最期の言葉が象徴的でした。父を戦場で失い、母・慶(吉岡里帆さん)と引き離され、祖父(奥田瑛二さん)から「父の仇の織田を討て」と恨み事ばかり聞かされた与一郎の幼少期。そこに現れ、救ってくれたのが小一郎でした。

「父上、ここにきてから私の知らぬ面白いことがたくさんありました。もっともっと楽しみとうございます」。

「そうした世を父上たちが…」。

人々がもっと楽しく暮らせる世を父上たちが実現してほしい。そういう願いを言葉にしてこの世を去った与一郎。息子を守ってやれなかった後悔と無力感に苛まれた小一郎の胸の内に、また中村のシーンが蘇ってきたのではないでしょうか。

中村の人々の死、直の最後のメッセージ

中村で百姓をしていた当時、村は野武士の集団に襲撃され、仲間たちが虫けらのように殺されていきました。

さらに最愛の人だった幼馴染の直(白石聖さん)。小一郎と過ごした幸せな日々もつかの間でした。中村に里帰りした際、農民同士の水争いに巻き込まれ、子供をかばって若くして帰らぬ人となりました。誠実に生きてきたのに、世の不条理の極みのような最期でした。

彼女も死の直前、父の坂井喜左衛門(大倉孝二さん)と一献交わした時、「小一郎は、いつかこの世から無駄な殺し合いを無くしてくれる」。小一郎がいつかこの世を平穏にしてくれるはず、と固く信じて疑っていませんでした。

「何のために侍になったのか」

「平和な世の実現」。与一郎と直の願いを実現することは、おれにはできないのかも。その絶望的な気持ちを、長浜に戻ってきた兄にぶつける小一郎でした。「わしらはいつの間にか偉くなって、いいものを着て、うまいものを食って。けど、何も変わっておらん。あの頃から何も変わっておらん」。

直の遺体にすがって絶叫する小一郎。あの時の記憶がまた蘇ってきました。

中村の百姓の仲間たちを失い、さらに直を失った「あの頃」と比べても、終わることのない戦闘の日々に何の変わりもありません。「わしらは何のために侍になったのじゃ」。小一郎がそう言いたくなるのも当然でした。

「わしがこの間違った世を変える」

これに答えた秀吉の言葉に迷いはもうありません。「この世の何かが間違っている、とお前がわしに言った」「だから小一郎、わしが変える」ときっぱり。

「(織田)信雄さまでもなく、(織田)信孝さまでもない。このわしが上様の思いを継ぐ」。

天下一統に向けた兄弟の戦いがいよいよスタートします。

(美術展ナビ編集班 岡部匡志、撮影・岡本公樹) 【参考文献】「現代語訳 信長公記 下」(太田牛一著、中川太古訳、新人物往来社)、「人物叢書 織田信長」(池上裕子著、吉川弘文館)、「戦国武将合戦事典」(峰岸純夫、片岡昭彦編、吉川弘文館)、「信長徹底解読 ここまでわかった本当の姿」(堀新・井上泰至 編、文学通信)、「羽柴秀長 秀吉の天下を支えた弟」(柴裕之著、角川選書)、「羽柴秀長とその家臣たち」(黒田基樹著、角川選書)、「豊臣秀長 『天下人の賢弟』の実像」(和田裕弘著、中公新書) <あわせて読みたい>

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