アングル:アルゼンチン最高裁の地下にナチス資料、よみがえる「重い歴史」の記憶
[ブエノスアイレス 15日 ロイター] - 今年の初め頃、アルゼンチンの主要なユダヤ人施設に務めるラビ(ユダヤ教指導者)、エリアフ・ハムラ氏のところに同国最高裁判所の職員から電話がかかってきた。その職員は、誰にも明かしていない秘密を打ち明けようとしていた。
裁判所の地下にある倉庫で、ヒトラーの写真や、第三帝国の「かぎ十字」が押されたナチス労働組織の赤い会員証数千冊など、ナチス関連の文書が十数箱見つかったというのだ。裁判所長官の首席補佐官であるシルビオ・ロブレス氏はどう扱うべきか、ハムラ氏に助言を求めてきた。
アルゼンチンは南米最大のユダヤ人コミュニティーを抱える国でありながら、第二次世界大戦後には多数のナチス戦犯の逃亡先にもなった。それだけに、アルゼンチンにとっては都合の悪い発見だった。
ハムラ氏はナチス関連の資料が地下にあった経緯について「裁判所は厄介な質問を受けることになるかもしれない」とロブレス氏に伝えた。その上で「この件が裁判所の汚点になりかねない」と警告した。
2人の対話がきっかけとなり、最高裁とユダヤ人コミュニティーの指導者らは協力して、資料の公開に向けた取り組みを始めた。
発見当時、アルゼンチンは戦時中のナチスとの複雑な関係に向き合おうとしていた。ユダヤ教に関心を持ち、イスラエルを強く支持しているミレイ大統領は4月、機密解除された文書数百点をインターネット上で公開。政府報道官は「アルゼンチン政府はこうした問題の解明に尽力している」と述べた。
アルゼンチンは第二次大戦中は中立を維持していたが、1945年3月にドイツに宣戦布告した。
連合国の勝利後、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で生き残った多くの人々がアルゼンチンに移住した。大量虐殺の中心的役割を担った元ナチス親衛隊将校のアドルフ・アイヒマンや、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所で人体実験を行ったヨーゼフ・メンゲレも、当時のペロン政権によって入国を許可された。
何十年もたった今でもこの歴史は重く、最高裁はこの発見について慎重な対応を取った。ロイターからの書面による質問に対する回答を拒み、かぎ十字が押された赤い小冊子の閲覧も許可しなかった。
最高裁は、新しい最高裁博物館の準備を進める中でこの箱を発見したと説明している。だが事情に詳しい私立弁護士1人と裁判所関係者3人によると、ナチス関連の資料は1970年代から裁判所の倉庫で何度か目撃されていたという。
なぜこれらの資料が今まで公開されなかったのか、ロイターは明らかにすることができなかった。
「アルゼンチンにいたナチス関係者の存在は、人々にさまざまな感情を抱かせる」。同国の歴史家ヘルマン・フリードマン氏はこう語った。
<「触れるな」>
アルゼンチン最高裁の大きな石造りの建物の地下には、何十万冊もの法的な裁判記録が保管されている。そのため、何かが見逃される可能性は十分にあり得る。
ナチス関連の資料は壊れた家具を保管していた部屋で見つかったと、2人の司法関係者は語った。
知らせを受けたロブレス氏は、ハムラ氏に連絡を取った。そして5月9日、ハムラ氏、地元のホロコースト博物館館長で生存者の孫でもあるジョナサン・カルゼンバウム氏、ホラシオ・ロサッティ最高裁長官が集まり、作業員が木箱を開けるのを見守った。
「その瞬間、私は自分の感情すら記録できなかった。あまりにも異様な出来事だった」とカルゼンバウム氏は語った。
最高裁は2日後にこの発見を発表した。その後、ドイツ労働戦線や労働組合連合というナチス労働組織の会員証5000冊が含まれていると明らかにした。
だが倉庫で働いたことのある一部の人々は、ナチス関連の資料が入った箱についてずっと以前から知っていた。
ある職員は10年前に同じ部屋で箱を見かけたと話す。箱の一部は開いており、ドイツ語の名前が書かれた会員証がのぞいていたという。
1970年代初め、現在はブエノスアイレスで弁護士を務めるアルベルト・ガライ氏が倉庫で働いていた友人を訪ねた際、かぎ十字が押された赤い冊子がひもで束ねられ、床に置かれているのを見かけた。
「驚いて『これは何だ』と尋ねた」とガライ氏。「友人は言った。『触るな』と」
<船と家宅捜索>
最高裁によれば、この資料は1941年に東京のドイツ大使館から送られた83個の荷物の一部で、日本の貨物船によってアルゼンチンに到着した。同国の中立的立場を損なう可能性があるとして税関で押収されたと最高裁は説明している。
だが地元の歴史家フリオ・ムッティ氏は信ぴょう性が低いと分析。5月15日の記事で、裁判所が1カ月違いで起きた2つの出来事――日本船の到着と、ナチス地下組織の摘発――を混同している可能性を指摘した。
第二次世界大戦当時、アルゼンチンには約25万人のドイツ語話者が住んでいた。ヒトラーがオーストリアを併合した1938年、1万人以上がブエノスアイレスのスタジアムで祝賀行事を行い、地元住民を驚かせた。
アルゼンチンの大統領は1939年にナチスの現地支部を解散させ、その2年後には議会が党員による国内活動を調査する委員会を設立した。当時の人気日刊紙「ラ・プレンサ」はこの年、日本の「南阿丸」がブエノスアイレスに到着した際、委員会は外務省に介入を依頼したと伝えている。
検査員は5つの荷物を開け、ナチスのプロパガンダ資料を発見したと報じられた。残りの78個の荷物は大半が子ども向けの本や雑誌、戦争写真が入った封筒で、会員証は見つからなかった。
ロイターは押収された荷物がその後どうなったかを確認できなかった。
その頃、委員会はナチスやドイツ労働戦線が地下活動を続けていないか調査していた。
7月23日、ナチス労働組織とその関連団体の事務所が家宅捜索され、赤い会員証が数千冊押収されたと「ラ・プレンサ」紙は報じた。会員証は最高裁が保管したとしている。
ムッティ氏は2016年に倉庫の調査を通じて家宅捜索の情報を知り、最高裁の建物でノートを探した末、焼却されたとの結論を出した。
赤い会員証が地下室で発見されたというニュースが流れると、同氏は「どこにあったものかすぐに分かった」という。
6月、最高裁は資料をデジタル化し、整理していると説明した上で、作業員がマスクとヘアキャップを着用して資料を調べる写真を公開した。
現在のところ、発見された会員証でどのような情報が明らかになるかは不明だ。4人の歴史家はロイターに対し、戦時中の委員会によって既に明らかにされている情報以上のことが判明する可能性は低いとの見方を示した。
独ケルン大学の歴史家ホルガー・メディング氏はアルゼンチンにおけるナチスの活動に関し、見つかった会員証により歴史家の解釈が劇的に変わることはないと予想している。だが「歴史家にとっては、どんなに小さなピースでも重要だ」と述べた。
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