【大河ドラマ 豊臣兄弟!】第25回「変事の予兆」回想 「信長を討ち取るべし」 “天下一統”に向け歩み早める信長、苛立つ光秀に届いた手紙は?

「あと1年」に迫った歴史的事件

大河ドラマ「豊臣兄弟!」は一年(全48回)の折り返しを過ぎ、いよいよ後半に突入しました。第25回「変事の予兆」が描いたのは天正8年(1580)~9年(1581)の時期です。ついに「本能寺の変」(天正10年=1582年=6月2日)が目に見えるところにまで迫ってきた、と言えるでしょう。その状況に相応しい不穏な空気が漂うエピソードが次々と展開されました。(ドラマの場面写真はNHK提供)

「信長を討ちとるべし」

ドラマの幕切れ。明智光秀(要潤さん)が、娘婿である織田信澄(緒形敦さん)を通じて受け取った一枚の手紙。そこには驚くべきメッセージがしたためられていました。

「可討取信長候也」

花押は将軍・足利義昭のもの。天正元年(1573)に信長から京を追われて幕府は滅亡。河内、紀伊と点々とした義昭はその後、備後の鞆とも(現広島県福山市)に居を構え、毛利輝元の庇護のもとで暮らしていました。各地の大名に信長包囲網を形成するよう働きかけ、自身の帰洛を狙うなど相変わらず政治活動は活発に展開していました。

一方、光秀は義昭の元から離れて久しくなりました。信長の本拠の安土城を守る要衝の坂本(現在の滋賀県大津市)に巨大城郭を構え、天正7年(1579)には京を守る丹波(現在の京都府中部・北部と兵庫県北東部)の支配を認められるなど、信長家臣団の中でも最も枢要ともいえるポジションに就いていました。

足利義昭との繋がりは光秀にとって唯一無二のもの

とはいえ信長との間で様々な軋轢が生まれ、光秀の心中、穏やかとは言えないタイミングで届いたこの手紙。ドラマではかつて繰り返し、光秀と義昭の強い精神的な繋がりを示すエピソードが強調され、光秀にとって義昭は特別な思い入れのある人として描いてきました。

手紙は本当に義昭が光秀に宛てて書いたものでしょうか。そして光秀の心のスキができた時という絶妙の機会をとらえてきた背景とは?本能寺へと続くミステリーの本格開始を告げる、巧みなストーリーでした。

光秀の居城の坂本城跡(滋賀県大津市)。その巨大な規模が徐々に明らかになってきています。光秀の地位の高さを伺わせます。

クローズアップされる信澄、因縁の兄の子

さらにここにきて、ドラマでその存在ががぜん、クローズアップされてきたのが織田信澄です。

信長の弟の信勝の息子。つまり信長の甥っ子です。

信長と信勝(中沢元紀さん)の因縁については、ドラマでは何度も強調されてきました。幼少期は仲の良い兄弟だったのに、周囲の思惑から徐々に心は離れ、ついには稲生の戦い(1556年)など直接、刃を交える関係に。結局、永禄元年(1558年)11月、清須城に呼ばれた信勝は信長に暗殺されます。ドラマでは、信勝に手を下したのは、かつて信勝と行動を共にしていた柴田勝家(山口馬木也さん)という手の込んだ仕掛けもありました。

自らの判断で命を奪った信勝の亡骸を抱き、号泣する信長のシーンはドラマの大きな見せ場になりました。ご記憶のファンも多いでしょう。信長の弟に対する複雑な心境を表現していました。

そのことは義理の弟、浅井長政との関係性にも影響を及ぼすなど、ドラマの重要なモチーフとなっています。

これからの信澄に注目

因縁の織田信勝の遺児である信澄は、経緯から考えて遠ざけられても不思議はないのに、信長には重用され、自分の子どもたちに準ずる扱いをしてきたという史実をふまえた一連の描写ともいえました。重臣である光秀の娘を嫁に取らせたのも、信澄に対する信長の姿勢を裏書きしています。弟に対する愛憎半ばする思いを見せ、信澄を大切にする信長の行動に説得力を持たせた、という巧みなドラマ作り。そして親のことは差し置き、信長に対する忠誠を誓う信澄ですが、果たしてこれからどんな役割を果たすのでしょうか。

信長、「天下一統」がリアルな状況に

時代の主役であった信長。天正8~9年というこの時期、信長は大いに自信を深めました。

脅威だった上杉謙信は先立つ天正6年に死去。手強い相手だった大坂の本願寺との戦いも毛利からの補給を絶つなどしてようやく決着。播磨の荒木村重らも抑え、畿内を平定することに成功しました。

ドラマでも描かれた京の「馬揃え」は、信長の絶頂を象徴する一大イベントになりました。天正9年2月28日のことです。畿内および近隣諸国の大名らが集い、優駿を集めてパレードしました。正親町天皇が臨席し、公卿たちも参集。庶民たちもこぞって見物に訪れました。

信長も自ら騎乗し、何度も素早く馬を走らせたといい、天皇は勅使を派遣して信長を褒めたたえました。なお信澄も信長の息子たちと同様の扱いをうけ、騎馬十騎を従えてパレードに参加しました。ここでも厚遇ぶりが目立っていました。

中国の毛利や甲斐の武田、関東の北条などこれから対峙を迫られる諸勢力はありますが、都でこれほどの威勢を誇示した信長。天下一統の実現可能性は誰の目にも明らかになっていたでしょう。

古参を一掃、信賞必罰?温情?

信長が古参の重臣と近習の森乱に相撲を取らせ、負けたから重臣たちを追放、という一見、突拍子もないエピソードが放り込まれました。

信長の父の代から仕えた林秀貞。最古参級の家臣でした。

追放されたのは森貞秀、佐久間信盛、安藤守就の親子らという顔ぶれです。「相撲に負けたから」はフィクションですが、この時期、彼らが信長の元を去ることになったのは史実のとおりです。

佐久間信盛は信長から「働きが悪い」とはっきりダメを出されました

信盛については、追放にあたって信長が本人に送りつけたという文面が「信長公記」に記録されています。「五年間、天王寺に在城したが、その間、(対本願寺対策として)格別の功績もなかった」「武力による作戦が進展しなければ、利益誘導などの調略活動をし、なお不十分なところがあれば信長に報告し、指図をうけてしかるべきだった」と相当に激烈な内容。光秀や秀吉、勝家らこの間、戦績を挙げた武将と比較して、「職務怠慢だった」と切り捨てています。

林秀貞、安藤守就については「かつて信長が尾張で苦心していたころ、信長に敵対したから」という理由で追放された、といいます。

ドラマでは小一郎の義理の父という設定になった安藤。追放になったのは、あまりに戦いが続く日々に安藤の息子が嫌気がさし、敵方と通じたというストーリーに。「相撲で負けたのを理由にしたのは、本件で処分とすると命に関わることになるから」と市が信長の心情を代弁していました。

この「豊臣兄弟!」における信長のキャラクターとしては、厳しい中にも温情が混じる、こうした処分が相応しいと思わせました。

父を見送る小一郎夫婦

長宗我部元親の処遇、本能寺の発火点に?

四国の雄である長宗我部元親(磯部寛之さん)も登場、これからの事態に大いに関わってきそうです。

ドラマでも描かれていたとおり、元々は織田方と友好的でした。織田との関係をバックに、長宗我部勢は着々と四国各地に進出していたのですが、信長がこの方針を急に変えます。

本能寺の変について、両者の間に仲介役を果たしていた光秀の立場が苦しくなり、信長の命を狙うことになったという「四国説」が近年、よく話題になります。果たしてこのドラマではどうなることでしょうか。元親の動向、描かれ方も要チェックです。

蜂須賀正勝、ついに城持ちに

「豊臣兄弟!」で織田方、視聴者の双方で指折りの人気者、蜂須賀正勝(高橋努さん)がついに悲願の城持ちになりました。毛利勢をにらむ播磨の拠点である龍野城(現兵庫県たつの市)を与えられました。

「立志伝中の人」が当たり前の戦国絵巻の中でも、とりわけ存在感を誇る正勝。その子孫が一国の主となり、明治以降にまで続く名家となるとは、おそらく本人も夢にも思っていなかったことでしょう。

落合芳幾筆「太平記英勇伝 菅與六正勝(蜂須賀正勝)」 東京都中央図書館蔵

これから待ち受ける兄弟の激動の日々。頼りになる正勝は一層、活躍するはず。その働きぶりにも注目したいです。

(美術展ナビ編集班 岡部匡志、撮影・岡本公樹) 【参考文献】「現代語訳 信長公記 下」(太田牛一著、中川太古訳、新人物往来社)、「人物叢書 織田信長」(池上裕子著、吉川弘文館)、「戦国武将合戦事典」(峰岸純夫、片岡昭彦編、吉川弘文館)、「信長徹底解読 ここまでわかった本当の姿」(堀新・井上泰至 編、文学通信)、「羽柴秀長 秀吉の天下を支えた弟」(柴裕之著、角川選書)、「羽柴秀長とその家臣たち」(黒田基樹著、角川選書)、「豊臣秀長 『天下人の賢弟』の実像」(和田裕弘著、中公新書)、「織田信長合戦全録」(谷口克広著、中公新書) <あわせて読みたい>

◇【徹底ガイド】2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」 キャスト、関連書籍などの情報を幅広く紹介

関連記事: