神経回路の形成に重要なmRNAのメチル化
理化学研究所(理研)生命機能科学研究センター 脳エピトランスクリプトミクス研究チーム(研究当時)の王 丹 チームリーダー(研究当時)、ロイック・ブロワ JSPS外国人特別研究員(研究当時)、ロヒニ・ロイ テクニカルスタッフⅡ(研究当時)らの国際共同研究グループは、RNA結合タンパク質[1]の一種、APC[2]のメッセンジャーRNA(mRNA)[3]に見られるメチル化修飾[4]が、神経細胞でのAPCのタンパク質合成(翻訳)効率を高め、成長円錐[5]での局所的な翻訳を制御していることを明らかにしました。
本研究成果は、脳の発生におけるmRNAメチル化修飾の意義について理解を深め、軸索[5]形成の異常を伴う疾患の解明に貢献することが期待されます。
神経細胞から伸びる軸索の先端には成長円錐と呼ばれる構造があり、軸索が他の神経細胞と正しく接続する機能を担います。APCは、細胞体の核で転写されたmRNAと結合して軸索内を移動することで、軸索や成長円錐での局所的な翻訳の促進に関わっています。
今回、国際共同研究グループは、多くのAPCのmRNAがメチル化されていることに着目し、APCのmRNAのメチル化を認識してその翻訳を促進するタンパク質YTHDF1[6]を同定しました。YTHDF1の機能を阻害すると、細胞体でのAPCの翻訳効率が低下し、アクチン[7]mRNAの軸索輸送や成長円錐の形成、軸索の伸長が抑制されました。また、ヒトの自閉スペクトラム症[8]や統合失調症[9]に関連する変異遺伝子をマウスで発現させたところ、YTHDF1とAPCのmRNAの結合が阻害され、軸索形成に異常が生じることが分かりました。
本研究は、科学雑誌『Cell Reports』オンライン版(5月20日付)に掲載されました。
YTHDF1による細胞体でのAPC翻訳促進と、APCによる成長円錐でのアクチン翻訳促進
背景
脳の神経回路の形成では、神経細胞から伸びる軸索が重要な役割を果たします。軸索の先端には成長円錐と呼ばれる構造があり、成長円錐が周囲の環境を認識しながら、軸作が正しい場所へと伸びていきます。神経細胞の核は細胞体[5]に存在しますが、軸索は細胞体の直径よりも10倍以上長いことがあり、細胞体でつくられたタンパク質は成長円錐にまで十分届きません。そのため成長円錐は、細胞体からのタンパク質のみに頼るのではなく、その場で局所的なタンパク質合成(翻訳)を行う仕組みを持っています。この仕組みを支える分子の一つが、細胞体の核で転写されたmRNAを成長円錐へと輸送する役割を担うRNA結合タンパク質です。RNA結合タンパク質の一種であるAPCは、細胞骨格を構成するアクチンなどのmRNAを結合して軸索内を運ぶ「カゴ」のような役割をします。APCは軸索や樹状突起の形成に重要であり、ヒトではAPC遺伝子の多型が自閉スペクトラム症や統合失調症などに関係していることが示唆されています。
近年、遺伝子発現の制御にmRNAの転写後修飾が関わっていることが注目されています。中でも、mRNAを構成するアデノシン[4]がメチル化されたN6-メチルアデノシン修飾(m6A修飾)は、真核生物で一般的に見られるRNA修飾であり、ヒト脳内のmRNAの約半分がm6A修飾されています。王チームリーダーらは先行研究で、マウス脳内のmRNAを網羅的に調べた結果、多くのAPCのmRNAもm6A修飾されていることを見いだしていました注)。しかしm6A修飾が神経回路の形成にどのような機能を果たしているかは不明でした。
- 注)Merkurjev, D., Hong, W.-T., Iida, K., Oomoto, I., Goldie, B.J., Yamaguti, H., Ohara, T., Kawaguchi, S., Hirano, T., Martin, K.C., et al. (2018). Synaptic N6-methyladenosine (m6A) epitranscriptome reveals functional partitioning of localized transcripts. Nat. Neurosci. 21, 1004-1014.
研究手法と成果
m6A修飾されたmRNAは、リーダーと呼ばれるタンパク質に認識され、RNAの安定性や輸送、翻訳などの過程で発現制御を受けます。国際共同研究グループは、リーダータンパク質の一種であるYTHDF1が、m6A修飾されたAPCのmRNAの神経細胞での翻訳を促進していることを発見しました。培養した神経細胞でYTHDF1の発現を抑制すると、APCの発現効率が低下しただけではなく、軸索内のアクチンmRNAの量も減り、成長円錐は円錐状の形態が保たれていませんでした(図1)。また、mRNAのm6A修飾を担うRNAメチル化酵素METTL14[10]の発現を抑制した場合も、同様の結果となりました(図1)。さらに、マウス胎仔(たいじ)の脳でYTHDF1の発現を抑制すると、右脳と左脳をつなぐ脳梁(のうりょう)に当たる軸索の長さが短くなりました(図2)。これらのことから、APCによるアクチンmRNAの輸送や成長円錐の形成、軸索の伸長には、APCのmRNAのm6A修飾が重要であることが示されました。
図1 m6A修飾を認識するリーダーYTHDF1に依存するAPCの機能
培養した神経細胞に対して、m6A修飾されたmRNAを認識するリーダータンパク質YTHDF1や、m6A修飾を担うRNAメチル化酵素METTL14の発現を抑制する実験を行った。
- 左)軸索の拡大図。対照実験と比べて、APCタンパク質(マゼンタ)の量が減っている。スケールバーは5マイクロメートル(μm、1μmは1,000分の1ミリメートル)。
- 右)成長円錐の全体的な形態を青で示した拡大図。対照実験と比べて、アクチンタンパク質(緑)の量が減り、軸索から伸びる細胞骨格チューブリン(マゼンタ)の範囲が広がった。スケールバーは1μm。
図2 YTHDFの発現抑制による軸索の短縮
マウス胎仔の大脳でYTHDF1の発現を抑制する操作を行い、生後1日目の軸索の伸長を調べた。対照実験と比較し、右脳と左脳をつなぐ脳梁に当たる軸索の先端(矢印)が十分に伸びていないことが分かる。スケールバーは500μm。
脳が形成される過程で神経細胞同士が適切に接続されないと、自閉スペクトラム症や統合失調症などの原因となることがあります。国際共同研究グループは、ヒト遺伝子変異データベースを検索したところ、RNAメチル化酵素METTL14の遺伝子に生じた2種類の変異が、それぞれ自閉スペクトラム症と統合失調症に関連していることを見つけました。これらの変異により、METTL14タンパク質のアミノ酸配列が1カ所変わりますが、その影響は不明でした。そこで、ヒトの変異METTL14と同じアミノ酸変異を持つマウスMETTL14を海馬に発現させたところ、いずれの場合もYTHDF 1とAPCのmRNAの結合が阻害され、APCの翻訳が抑制されていました。さらに、アクチンmRNAの軸索輸送や、軸索の伸長にも異常が見られました(図3)。これらの結果は、APCのmRNAのm6A修飾の異常が、自閉スペクトラム症や統合失調症に関連する可能性を示唆します。
図3 変異METTL14の導入による軸索の異常
マウス海馬由来の神経細胞にRNAメチル化酵素METTL14の変異体を発現させ、培養6日目の軸索を観察した。対照実験や野生型遺伝子の発現(METTL14WT)と比較して、変異体(METTL14S399L、METTL14I311V)を発現させた神経細胞は軸索が短く、分岐の数が少ない傾向が見られた。スケールバーは50μm。
今後の期待
本研究で、真核生物のmRNAに一般的に見られるm6A修飾が、脳の神経回路形成においてはアクチンmRNAの軸索輸送や、成長円錐の形成に重要な役割を果たしていることを見いだしました。軸索の伸長は細胞骨格のダイナミックな構造変化を伴います。
今回の発見により、成長円錐に備わった局所的な翻訳機構が、細胞骨格のダイナミズムをどのように制御しているかの理解が深まることが期待されます。神経回路形成におけるm6A修飾の生物学的意義を詳細に解明することで、将来的に、特定のmRNAを標的とする新たな治療法の開発につながる可能性があります。
補足説明
- 1.RNA結合タンパク質1本鎖または2本鎖のRNAに結合するタンパク質。mRNAの成熟、安定化、局在、翻訳など、転写後のmRNAの発現制御に関わるものが多く存在する。
- 2.APCチューブリンのmRNAなどと結合することが知られているRNA結合タンパク質の一種。また、伸長中の微小管の先端に結合する機能も持つ。Apc遺伝子は、大腸腺腫症(adenomatous polyposis coli)の原因遺伝子として発見された。
- 3.メッセンジャーRNA(mRNA)タンパク質の配列情報を持つRNA。真核生物では、DNAから転写された直後のRNAに含まれるタンパク質情報を持たない配列(イントロン)を除去して、成熟したmRNAがつくられる。
- 4.メチル化修飾、アデノシンDNAやRNA、タンパク質などにメチル基(-CH3)が付加されることをメチル化修飾と呼び、これら生体分子の機能を制御する仕組みの一つとなっている。RNAを構成するアデニンヌクレオシド(アデノシン)に含まれる窒素原子の一つ(N6)がメチル化されたm6A修飾は、真核生物で一般的に見られるRNA修飾である。
- 5.成長円錐、軸索、細胞体神経細胞は、情報を伝える軸索とそれを受け取る樹状突起、核のある細胞体から成る。成長円錐は、伸長している軸索や樹状突起の先端部に形成される構造体。
- 6.YTHDF1m6A修飾を選択的に認識するYTHドメインを持つRNA結合タンパク質の一つ。他に、YTHDF2とYTHDF3がある。YTHDF1はYTH domain-containing family protein 1の略。
- 7.アクチンアクチンは直径約5ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)の球状タンパク質で、アクチンが集合してひも状になったアクチン線維は、細胞の形や運動、細胞小器官の輸送などに関わる細胞骨格として機能する。
- 8.自閉スペクトラム症主に社会性コミュニケーションの低下、特定の物事への強いこだわりや反復行動を特徴とする。多数の関連する遺伝子変異や胎児期の環境要因が報告されているが、いまだ多くの自閉スペクトラム症は原因が分かっていない。
- 9.統合失調症幻覚や妄想、意欲の低下、感情の平板化などを主要な症状とする精神疾患。
- 10.METTL14m6A修飾を触媒するRNAメチル化酵素の構成因子。METTL14は、methyltransferase like 14の略。
国際共同研究グループ
理化学研究所 生命機能科学研究センター 脳エピトランスクリプトミクス研究チーム(研究当時) チームリーダー(研究当時)王 丹(オウ・タン) (現 ニューヨーク大学アブダビ校(アラブ首長国連邦)教授) JSPS外国人特別研究員(研究当時)ロイック・ブロワ(Loic Broix) (現 ソルボンヌ大学(フランス)研究員)
テクニカルスタッフⅡ(研究当時)ロヒニ・ロイ(Rohini Roy)
ニューヨーク大学アブダビ校 博士研究員 ベラル・サヘブ(Belal Shohayeb)
京都大学 物質-細胞統合システム拠点 特定研究員(研究当時)梅嶋 宏樹(ウメシマ・ヒロキ) (現 徳島大学 医歯薬学研究部機能解剖学分野 助教) 大学院生命科学研究科 博士課程大学院生(研究当時)大本 育実(オオモト・イクミ)
(現 理研 脳神経科学研究センター 基礎科学特別研究員)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業特別研究員奨励費「軸索とシナプス形成時において細胞骨格を動的に制御するRNAメチル化修飾の役割(研究代表者:王丹)」、同基盤研究(B)「神経回路の活動依存的発達におけるmRNA化学修飾の役割(研究代表者:王丹)」、笹川科学研究助成、Mitsubishi Corporation International Scholarship、日本学生支援機構Honor Fellowshipによる助成を受けて行われました。
原論文情報
- Loic Broix, Rohini Roy, Belal Shohayeb, Ikumi Oomoto, Hiroki Umeshima, Dan Ohtan Wang, "m6A RNA methylation-mediated control of global APC expression is required for local translation of β-actin and axon development", Cell Reports, 10.1016/j.celrep.2025.115727
発表者
理化学研究所 生命機能科学研究センター 脳エピトランスクリプトミクス研究チーム(研究当時) チームリーダー(研究当時)王 丹(オウ・タン) JSPS外国人特別研究員(研究当時)ロイック・ブロワ(Loic Broix)
テクニカルスタッフⅡ(研究当時)ロヒニ・ロイ(Rohini Roy)
報道担当
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