クマは明確に「人間を食べるため」に住宅街に現れている…80年間の新聞を分析して判明「令和グマ」の異常さ 北海道の猟師が「小さいクマ」を警戒するワケ
今年度クマに襲われて死亡した人が7人となり、過去最多を更新した。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「約80年分の北海道の地元紙を通読し、人喰い熊出没の兆候を分析した。その結果、平成令和期のクマは、それまでとはまったく異なる傾向を見せ始めていることがわかった」という――。
写真=時事通信フォト、写真提供=北海道斜里町
北海道斜里町の市街地に現れた親子とみられるヒグマ。
今年もクマによる被害が相次いでいる。
10月4日付の「読売新聞」によれば、全国のクマによる死者数は「過去最悪だった2023年度の6人を上回る7人になった」という。環境省によると、けが人を含めた人身被害の件数は108人に上った(4~9月)。
特に本州ではツキノワグマによる死亡事故が多発し、岩手県北上市では、7月4日、屋内に侵入したクマが81歳の老婆を殺害し、10月7日には同じ北上市で、キノコ狩りに出かけた男性が襲われ、遺体がバラバラになるほど食い荒らされるというショッキングな事件が起きた。さらに16日にも、同市内の瀬美温泉で従業員男性が行方不明となり、17日に遺体となって発見、付近にいたクマが駆除された。
筆者が何度か既報した通り、ツキノワグマによる食害事件は、次の一文が示すように、長らく「あり得ない」と言われてきた。
「それはよほど前のことだそうであるが、福井県下で、あるおばあさんが山菜とりに山に入ってクマにやられて死んだ事件があった。そこでその犯行の主とおぼしいクマを射殺して解剖したところ、被害者の片足が、胃の中から出たそうで、これが現在知られる限りの、わが国でツキノワグマが人を食った、唯一つの珍らしい事例だということである」(『くま』斉藤基夫 農林出版 昭和38年)
しかし1988年の「山形県戸沢村事件」(3人死亡)、2016年の「秋田県十和利山事件」(4人死亡)など、食害をともなったツキノワグマによる襲撃事件が相次いでいる。
一方で北海道でも、7月に福島町で新聞配達の男性が喰い殺され、8月に知床の羅臼岳を下山中の男性が襲われ食害されるなどの重大事件が起きた。
人喰いグマ事件は「新しいフェーズ」に入った
筆者は今夏、福島町を訪ねたが、事件現場は国道沿いのコンビニエンスストアから、わずか100メートルほどの空き地で、付近には民家が建ち並び、目の前は老人ホームという、どこにでも目にする、ごく普通の住宅街であった。
事件は午前3時頃に発生し、加害熊は被害者の身体をくわえて、付近の草むらに引きずりこんでいったという。現場の雑草はすでに刈り取られていたが、襲撃当時は腰高以上に生い繁っており、捕らえた獲物を安全圏に引っ張り込むヒグマの習性にも合致する。
しかも事件の4日前から、被害者男性がヒグマを何度も目撃していたという証言があり、以前からつけ狙っていたことがわかる。
さらに4年前に同じ福島町で農作業中の女性が食い殺された事件の加害熊であることも判明した。
これらの事実に、筆者は極めて異質なものを感じた。
確かに本州でも、ツキノワグマがスーパーマーケットに入りこんだり(秋田県秋田市・群馬県沼田市)、立体駐車場にクマが居座ったり(福島県福島市)している。
しかしこれらはエサを求めて人里に迷いこんだ結果であって、人間に危害を加えるために下りてきたわけではない。
福島町の事件の加害熊は、これらとはまったく異なる。この個体は、明確に、人間を喰うために山を下りてきた。そして執拗に被害者を追い回し、ついに住宅街のど真ん中で凶行に及んだのである。
ツキノワグマは人間を喰らうという新しい習性を体得し、ヒグマは人間を喰らうために平気で住宅街に出没しはじめている。
人喰い熊事件は、新しいフェーズに入ったと言ってもいいかもしれない。
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この傾向は大きく以下の三つに分類できる。
一つは渡島半島への回帰である。
渡島半島では、明治大正期に事件が集中したが、昭和期には大幅に減少する。しかしそれが平成令和期になって再び増加し始める。特筆すべきは、食害をともなう凶悪事件が多発していることである。
もう一つは道東の白糠町から厚岸町にかけての一帯である。
この地域では、明治大正昭和と、断続的に人喰い熊事件が散発している。一昨年に話題となった「OSO(オソ)18」による一連の事件も、この地域で発生した。
最後に、定山渓から千歳、苫小牧に至る勇払原野一帯である。この地域では昭和に入って、にわかに事件が続発し始めるが、渡島地方同様、食害をともなう襲撃が多いのが特徴である。
もう一つの特徴は、これまで開拓の手が入っていない山岳地帯に隣接する地域で事件が多発していることである。具体的には知床半島、北見山地、日高山脈などで、定山渓や渡島半島も、行ってみるとわかるが非常に山深い。
これらの地域で個体数が増加し、いわばヒグマの「人口圧力」によって押し出された個体が里山に下りてくると考えられる。
深山幽谷の安全なエサ場は、大型の個体が独占し、体格的に劣る個体や若いオスグマが縄張りを作れずに里山に下りてくるのである。
その証拠に、人を襲うクマには、比較的小型の個体が多い。
ベテラン猟師が筆者に語ったこと
福島町の加害熊こそ身長2メートル体重200キロとやや大型であったが、羅臼岳で登山客を襲ったクマは体長1.4メートル、体重117キロのメス。23年に朱鞠内湖で男性を食い殺した個体は体長1.5メートル。同じ年に道南の大千軒岳を登山中の北大生が襲われた事件の加害熊はオスで体長1.25メートル。
1970年に日高山脈で起きた「福岡大学ワンダーフォーゲル部遭難事件」(3人死亡)の加害熊は「日高山脈山岳センター」(中札内村)に剝製となって展示してあるが、写真の通り驚くほど小柄だし、1976年に起きた「風不死岳事件」(2人死亡・3人重傷)の加害熊も体長1.6メートル、体重80キロのメスであった。
筆者撮影
「福岡大学ワンダーフォーゲル部遭難事件」の加害熊の剝製
北海道の猟師の間では「なりの小さいのに気をつけろ」と言われる。大型のクマはエサに満ち足りているせいか悠々としている個体が多いが、小型のクマは空腹を抱え、常に周囲を警戒している。
知人のベテラン猟師も、小さいクマの方が「逃げるか、襲うか」の決断が早く、「やられる前にやる」となったら猛然と襲ってくるのだと語る。
今年は北海道でも、ドングリなどヒグマの主食となる果実の不作が報じられている。
生息地からはじき出された個体が人里に下りてくる確率は高まっていると言えよう。
ヒグマが冬ごもりに入る11月末頃までは警戒が必要だろう。