心にクマの爪痕残した読書 人里に現れる行動を「異常」と呼ぶ前に私たちが考えるべきこと

吉村昭さんの『羆嵐』(新潮文庫)と矢口高雄さんの『野性伝説 羆風』(ヤマケイ文庫)

吉村昭さんの小説『羆嵐(くまあらし)』と矢口高雄さんの漫画『野性伝説 羆風(ひぐまかぜ)』を憑(つ)かれたように読んだ。どちらも大正4年12月、北海道苫前郡苫前村三毛別(現苫前町三渓)六線沢で起きた日本史上最悪の獣害事件(通称三毛別羆事件)を題材にしたものだ。

400キロ近い巨大ヒグマが2日間に6人(胎児を含めれば7人)を殺害し3人に重傷を負わせた惨劇である。電気も通っていない山奥の谷ふところに草囲いの粗末な家がポツリポツリと散在する土地で起きた惨劇は、正確に記録されることも検証されることもなく長く放置されてきた。

事件から46年後の昭和36年ごろ、惨劇の地を管内に持つ古丹別営林署にある人物が配属された。林務官の木村盛武さんである。仕事の合間や休日を利用して、ヒグマに襲われながら奇跡的に生き残った被害者、遺族、ヒグマ討伐隊に加わった人々の元に足しげく通い、徹底した聞き取り調査によって惨劇の全容を記録した。

木村さんの祖父と父も林務官であり、幼いころに2人から惨劇のあらましを聞かされて震え上がったという。そんな人物が成長し惨劇の地を管轄する職場に配属されたわけだ。木村さんはきっと自分に与えられた「使命」を自覚したのだろう。惨劇を正確に記録することこそが、犠牲となった人々の供養になり、かつ惨劇を繰り返さないヒントを残すことになるはずだと。

木村さんは昭和40年、聞き取り調査をまとめた手記を旭川営林局誌『寒帯林』に「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」として発表する。同年、動物文学作家の戸川幸夫さんがこの手記をもとに小説『羆風』を発表することで、埋もれていた惨劇が広く知られるようになった。そうして吉村さんは木村さんの手記を、矢口さんは戸川さんの小説を参考資料に作品を書き(描き)上げたのだ。

深夜恐怖に震えた倉本聰さんの後悔

2冊を読み終え、自分の心にクマの爪痕が残されたような心持ちになってしまった。日記帳代わりに使っているフェイスブックにそのことを書いたら、年下の友人からすぐにレスポンスがあった。

「『おっかあが、少しになっている…』でしたっけ。中学の時に『羆嵐』のラジオドラマが放送されて、震えながら聴いていた記憶があります」

被害者となった女性は自宅から山に連れ去られた。ヒグマは自分の獲物に強く執着し、食べ残しを持ち去って隠す習性がある。空腹になったら再び食べるのだ。女性を取り戻すために5人の射手と3人の大鎌を手にした男たちが山を捜索し、発見した遺体を厚い布に包んで村に戻ってくる。そのときに女性の夫が口にした言葉だ。

脚色を排し、大仰な表現を使うことなく、淡々と事実を伝える吉村さんの筆によって、読者はクマの習性と驚くほど高い知性、そして人間の無力さと傲慢さを知ることになる。読者は暗い谷底に落とされる。

昭和52年に富良野の原生林に小屋を建てて移り住んだ脚本家の倉本聰さんは、『羆嵐』の解説に、移り住んで初めての夜、電気がまだ通じていない夜に襲われた恐怖についてこう記している。倉本さんは移住の直前に同書を読んでいた。

《ローソクの炎とそれがつくる影。何重にも迫って押してくる圧倒的ボリュームの闇の濃度。原生林が立てる様々な物音。それらの中で子供のように脅え、酒を飲んで結局朝まで眠れなかった。その深夜。恐怖に震えている小生の脳裏にどういうわけかつい先頃読んだこの『羆嵐』が浮かんでくるわけで、ああいやなものを読んでしまった、変なものを変な時読んでしまったと後悔の念しきりと起ったのである》

その後、倉本さんはTBSから依頼されてラジオドラマ『羆嵐』の脚本を書く。友人が聴いたのはそれに違いない。

房総半島南部の山を切り開いて造成された住宅地に暮らす私は、この地にクマが生息しないとわかっていながらも、昼間でも山道を歩くのが怖くなってしまった。クマが活動する地域に暮らす人々の不安はいかばかりかと思う。

「釣りキチ三平」で知られる矢口さんの『野性伝説 羆風』は、秋田県に生まれ育った作者の感性が強く感じられる作品だった。ヒグマを単に殺害(駆除という表現に欺瞞(ぎまん)を感じる私はこの言葉を使いたい)されるべき「悪」としてではなく、自然のルールに従う存在として描いているのだ。そして自然のルールを破る者は、人間であろうとクマであろうと必ずや制裁が下される、との自然観が矢口さんと原作の戸川さんの根底にあるように感じられる。

『野性伝説 羆風』の主人公は、冬眠に失敗した「穴持たず」の巨大ヒグマである。胸元に袈裟(けさ)を掛けたような白毛があることから袈裟掛けと呼ばれた。

冬を前に食糧不足に陥った袈裟掛けの独白がすべてを物語っている。

《嫌いな場所だが行ってみるか どうせオラの領土……》

嫌いな場所とは、侵入すれば生命の危険にさらされる可能性もある人間の生活圏である。食糧不足にさえならなければ、人間に侵食されてしまった自分の領土など鷹揚(おうよう)に無視することができただろう。しかし背に腹は代えられない。まずは農作物を荒らし、ついには貧弱な家の囲いを突き破って人間を襲うようになった袈裟掛けは、女性の肉の味を覚えてしまう。

圧倒的な画力で描かれる作品、すなわち自然のルールを踏み外してしまった人間とクマが共存することの限界を示唆する物語は、読み始めたら途中でやめることができなくなる。

人間の「異常」がクマの「異常」を生む

『羆嵐』も『野性伝説 羆風』も、過去の惨劇を通じていまを照らす作品だ。両者が描くのは、クマと人間の闘いではなく、人間が自然との関係をどう誤ったかの記録でなのだ。かつてクマの領土だった森を切り開き、境界を忘れたのは人間の側だった。人里に現れるクマの行動を「異常」と呼ぶ前に、それは私たちが「異常」になった結果ではないか、と問うべきだろう。矢口さんが描いた袈裟掛けの独白、「嫌いな場所だが行ってみるか」は、追い詰められたクマの悲しいつぶやきなのだ。

いま日本各地でクマが人を襲うという報が絶えない。もちろん緊急避難的に殺害は仕方がない。そうは思うものの、もし殺害という行為に対して、私たちの大半が畏れや心の震えを感じないでいるとすれば、そんな私たちに未来などないだろう。自然はそんな存在を絶対に許すはずがない。心に爪痕を残された私は、痛いぐらいにそう思う。(桑原聡)

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