【辺野古沖転覆事故】なぜ「反基地団体」は遺族に謝罪しないのか 幹部に直撃すると、驚きの“言い訳”が
前編では、反対協が過去にも起こしていたという危険なアクシデントについて報じた。 地域でも問題視されていた活動で、あろうことか若い命が失われてしまった。にもかかわらず反対協は、だんまりを決め込んだままである。高校側には代理人を通じ、遺族や同校に直接謝罪すべく申し入れ書を送付したというのだが、発生から2カ月近くがたっても、直接の謝罪が果たされていないのは異常事態というほかない。 「反対協を含め、基地反対活動の中枢にいる活動家らは、一般には理解できない“ロジック”でつながっています」 そう指摘するのは、現地在住のジャーナリストである。報道陣の取材に対し、亡くなった武石さんについて、 〈“辺野古の無謀な工事はやめてくれ”という意味で来ていただいたと思う〉 などと発言した抗議活動関係者がいたのだが、 「外部からすれば“他責的”としか映らない振る舞いでも、彼らにはその認識がありません」(同) そうした他責思考について、反対協の事情に詳しい、『沖縄の不都合な真実』の共著者である評論家の篠原章氏が言う。 「反対協の人たちの認識は“すべての原因は政府にある”というものです。つまり政府が辺野古を埋め立てさえしなければ反対運動など起きなかったという理屈。彼らにとっては“政府が県民に理不尽を強いており、自分たちはそれに抗議して撤回させようとしている”という構図なのです。その過程で亡くなる方が出てしまったとしても、それは最終的に政府の責任だという発想に至るわけです」
恐るべき理屈だが、最も大切な遺族側への謝罪についても、 「自分たちが前面に出て謝れば抗議活動に非があったと認めることになるという感覚が、彼らにはある。内心ではやはり“原因をつくったのは政府なのだから政府が謝るべきだ”との思いが強く引っかかっているのだと思います。ただし、それを口にすれば世論の猛反発を招くことは分かっており、結果として“簡単には謝れない”という状況になっているのでしょう」(篠原氏) また沖縄大学・沖縄国際大学非常勤講師の藤原昌樹氏も、 「彼らにとって反対運動は単なる政治運動ではなく、仲間と集まって政府に反対し、未来の子どもたちのために頑張っていると実感できる場であり、いわば最大の生きがいになっている。自分は社会に参加しているという満足感を得ること自体が活動目的になってしまっているので、当然ながら責任という概念が希薄になります。活動の結果に対して真剣に向き合うインセンティブが働かないのです」 さらに、こう断じるのだ。 「自分たちを“正義”とする独自の物語の中に生きており、事故や不祥事というのは、その物語を妨げる出来事でしかない。だから一人の人間として誠実に謝るという発想が欠落してしまっているのでしょう」(同)
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加えて、手前勝手な彼らの“独自理論”を補強してしまうのが、 「本土と離れていることもあり、日常的に接するメディアや言論空間が限られてしまっています。その中で、地元メディアが運動側に寄り添う論調を取ると、それが主流の見方として共有されやすい。本土からの批判や違和感は、あくまでネット上の一部の声として処理され、沖縄の活動家には響かないという状況があります」(先のジャーナリスト) 結果、ますます独善に陥っていく。こうした声に、当の反対協の幹部らはどう答えるのか。会の共同代表である仲村善幸氏と東恩納(ひがしおんな)琢磨事務局長は、口をそろえて、 「弁護士に聞いてください」 と言うばかり。そこで反対協の代理人である三宅俊司弁護士に聞くと、 「反対協としては『すぐ謝らなければ』という気持ちはありました。ただ一方的に押しかけるのは、かえって遺族のお気持ちを傷つけることになりかねない。ある意味“押し付け”になるので、時間をかけて整理していく必要があると考えています」 折しも4月25日、玉城デニー知事は9月の知事選への出馬を表明。それを支えるオール沖縄の一角には、こうした「謝らない」面々が名を連ねているのだ。 前編では、反対協が過去にも起こしていたという危険なアクシデントについて報じている。 「週刊新潮」2026年5月7・14日号 掲載
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