【ボートレース】父からは生き方、母からは負けん気を教わった西山貴浩「グランプリを勝てたら、もう引退してもいい」~福岡SGチャレンジカップ
◆SG第28回チャレンジカップ/G2第12回レディースチャレンジカップ(28日・ボートレース福岡・4日目)
ただ、ひたすらファンを楽しませたい―。その一念だけだった。
それは並の決意じゃなかった。でっかい覚悟も必要だった。
しかし、西山貴浩はやり切った。やり通した。そして業界を変えた。流れも空気もまとめて刷新してみせた。そして、新しい世界を作り上げた。
業界一のエンターテイナーは、懐かしそうに若手時代を振り返った。「僕が選手になっておもしろパフォーマンスを始めた理由は、本当にひとつだけなんです。それは少しでもファンに喜んでもらいたかったからなんです。だってさ、朝イチからねお金を払ってレース場に来てくれる人がいるでしょ。自分はそういうファンを大事にしたかった。早くから観に来てくれる人たちをどうやって楽しませることができるか。そればかりを考え、行動してました」
しかし、西山が若手だった当時、このボートレース界は閉鎖的であった。当然のように彼の破天荒な言動パフォーマンスに周囲は困惑した。
「いやあ、それは大変でしたよ。いろいろな方たちからメッチャ叱られましたし、変な目で見られました。この世界はお笑いじゃないんだと厳しく注意もされました。でも、自分はやめませんでした。それは実の父親の姿をずっと見て育ってきたからだと思います」
西山の父は超のつく個性を備えた人間だったという。「この僕がハチャメチャだなって思っていたぐらいですからね(笑)。父は自分の生き方を貫き切る人間でした。酒は飲みまくるし、気ままに行動しまくるし、とにかくデタラメだった(苦笑)。でも、言いたいこと、やりたいことについては、徹底的に貫いてやりきる男でした。それに憧れていたんですかね。そんな父に言われたことがあります。『人に笑われるような人間にはなるな。人を笑わせる人間になれ』と。まさに父がそんな人間でした。だから、人がどんなことを思おうが自分はファンサービスを貫いていきました」
ブレない。めげない。くじけない。本業の走りを極めながら、パフォーマンスも継続し続けた。
「やっぱりね、おかしなことをやったり、言ったりするとレースで結果を出さないとだめなんですよね。ファンにもよう言われましたもん。ふざけるのは成績を出してからだって。そして、だんだん結果を出し始めると、今度はSGを勝ってからやれと、ハードルが高くなる(笑)。でも、ファンの言うことはその通りだなあって思いながら、本業にも取り組みました」
そして、タイトルを取った。ファンのハートをわし掴んだ。周囲を黙らせ、認めさせることも実現した。
「今になって思えば、本当にパフォーマンスをやり通してきて、よかったって思います。ファンもたくさん増えましたし、もう最高っすよね。聞いてくださいよ。この前なんて遊園地に行ったら、周りに気づかれてキャラクターより人だかりができました(笑)。食事に行ったりしても、お店から頼んでいない料理が届くこともあります。ダイエット中にとんかつなんてサービスされた日にはもう大変ですって(笑)。気持ちがありがたいので、何とか食べ切ると、またとんかつが出てきた(笑)。もう、食えんって(爆笑)」
ファンの多大なる支持は全身に浴した。あとは悲願のグランプリ制覇だ。もう一歩のところまで確実に到達している。今年こそ成就の時であることをウルトラ役者は十分に承知している。
「グランプリを勝てたら、もう引退してもいい。それぐらいの思いはあります。実はですね、父は元気なんですが母親の体調がちょっと良くないんです。だから今年こそグランプリを勝って、その姿を見てもらいたい。父親からはやり抜き、貫く生き方を教わった。母親からは負けん気です。うちのかーちゃんはとにかく負けん気がすごくてひとつのことをやる集中力がすごかった。それを母からは学びました。今の僕は両親が作ってくれましたね。あっ、最後に僕は言いたいことを言いまくりますが、陰では絶対に言いません。全部本人の前で正直に話します。ミネリュ~タはアホな人間で~すって、ちゃんと本人に向かって言っちゃいますからね。はははっ」
彼がいてくれて、本当に良かった。今、そう思っているファン、関係者が何人いることか。神さまがボートレース界にプレゼントしてくれた代えがたき宝物。それが、西山貴浩です。
(淡路 哲雄)