最高年収3000万円の芸人あご勇は今…「ドカドカ笑いを取っている"驚きの職場"と年収と妻と住む家賃と持病」 「昔はマネージャーをアゴで使ってたけど、今はアゴで使われる側に(苦笑)」

鉄板の持ちネタである、あのシャクレた長いあごは今も健在。コミックバンド「ザ・ハンダース」や、桜金造とのお笑いコンビ「あご&きんぞう」などでお茶の間の人気者になった、あご勇さん(67)はバセドウ病の持病を持ながらも、7年前から新しい仕事を始め“観客”に大ウケだという。その現場をフリーランスライターの東野りかさんが取材した――。

写真提供=本人

あご勇――昭和50年代「ザ・ハンダース」というコミックバンドで一世風靡したメンバーの一人を覚えているだろうか? 鉄板の持ちネタにもしているシャクレた長いあご、とても大きな目は相変わらずだ。

そのあご勇(以下あご)さんが現在67歳。「vipツアー」(主催:平成エンタープライズ)という日帰りバスツアーの添乗員をしていると聞き、同乗取材することに。取材当日の午前11時、バスにお客さんたちが乗り込むと、あごさんがまずはバス最前列に立って挨拶。

「本日のツアーの添乗員のあご勇でございます」とマスクを取って顔を出した瞬間、きゃーという歓声が起きた。

撮影=東野りか

マスクをとった瞬間、ツアーの参加者から悲鳴が。

「今日は一日、いい意味で私を“あご”で使ってください〜」と続けると、バス内の空気はどかーんと盛り上がった。

福島からやってきたという女性一人客は、

「こんな有名人の方に会えるとは、感激です!」と笑顔になるし、

福岡からやってきた4人組女性は、

「なんだかあごさんに似ているなとは思ったけど、まさかご本人だとは思わなかった。本当にラッキー!」

とみな興奮気味だ。トイレ休憩で立ち寄ったサービスエリア、立ち寄りスポットでは、あごさんと参加者の撮影大会になる。

「今日のお客様はご年配の方が大半で、私を知ってる方が多いので添乗もやりやすいです」と、つかみは上々のようだ。

撮影=東野りか

山梨県の笛吹市の桔梗屋に立ち寄り。有名な和菓子である桔梗信玄餅の詰め合わせ放題で、参加者にたくさん詰め込むコツを教える。

しかし、いつもそういうわけではない。若い世代はそもそも彼を知らないし、知っていたとしても興味がない、または嫌いな人だっている。そんな時は、

「最初はアウェー感が強いんですよ。でも一生懸命に仕事したり、笑いを提供したりすると、徐々に打ち解けて、バスの中の雰囲気が良くなっていくんです」とあごさんは言う。


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しかし資格を取ったからといっても、添乗員の仕事は甘いものではない。仕事自体は難しくないが、予期せぬトラブルが起こり、ハラハラドキドキすることが少なくない。

例えば、ツアー参加者が集合時間になっても戻ってこない、高速が混んでいて、立ち寄りスポットに行く時間がない、さらに時間が押して帰りの電車に間に合いそうもないなど。あごさんは経験がないそうだが、認知症のお年寄りが一人で参加して行方不明になることも稀にある。

これらは添乗員の過失ではないが、参加者の怒りの矛先が「仕切りが悪い」といって添乗員に向けられてしまう。しかも旅行業界全体で構造的に利益が薄く、自ずと給与も低い。トラブルが起きた時の疲弊感は相当だ。

「最初は、おちぶれた感じがしないでもなかったです。辞めたいと思ったことも何度かありますよ。『自分は何をやってるんだろう』って。私のミスが許せないのかツアーの最後まで怒っているお客様もいたし、クレームに対して謝罪が不十分だと腹を立て『面白ければいいってもんじゃないぞ!』と言ったお客様もいました。そのかたは、どうやら同業の奥さんらしく、彼女から見れば、私はチャラチャラやってるように見えたのかもしれません。この仕事の本分は旅程管理でお笑いではありませんから、その怒りも理解できますが」

しかし経験を積むにつれ、添乗のコツを掴んでいく。はとバスに乗って他の添乗員の仕事ぶりを学んだり、カリスマ添乗員と呼ばれる男性にアドバイスをもらったりした。添乗員の仕事に前向きになれたのは、そのカリスマ添乗員の一言だった。「あごちゃん、添乗は楽しまないとダメだよ」

芸人の仕事も、添乗の仕事も予期せぬことの連続

「その一言が転機になりました。後ろ向きな気持ちでやっていても何もいいことはありません。だったら、自分も楽しんで仕事をしたい。そして添乗で得た経験を芸人の仕事に、反対に芸人の経験を添乗に活かせたらこんないいことはないなって。どちらもライブでお客様と向き合うのが似ていますよね。時には自分の笑いがどーんとウケたり、ウケなかったり。それが直に伝わってくるので怖い部分もあります。だけど、ドッとウケて、さらに皆さんが楽しそうに過ごして、無事に出発場所に戻ってくると達成感はありますよ」

現在のあごさんは添乗員以外にも、芸人として司会をやったり、舞台に立ったりしている。どちらの仕事もお互いにいい影響を与え、無駄なことは一つもないという。

「ウクレレ漫談の故・牧伸二さんが出演したイベントの司会をやったことがあるんです。野外だったんですが、途中から雷がすごくてイベントの続行が難しくなりました。そしたら牧さんは、持ち歌の「あゝやんなっちゃった」を5回繰り返して、舞台袖に引っ込っこんじゃった。それだけで彼のギャラは70万円なんですけどね(苦笑)。司会の私はなんとかその場を収めましたけど、ライブは予期せぬことの連続。添乗も、同じように予期せぬことが起こりますが、冷静に対処できるようになりました」

取材当日も、平日だというのに中央高速道が混んでいた。どうやら事故渋滞が発生したようで、ツアーの最後の立ち寄り場所であるイルミネーション会場に間に合うかどうか怪しくなってきた。参加者は日程を調整してイルミを楽しみに来ている。どんな事態になっても、最善を尽くしてなんとしてでも辿り着きたい……。

そのため、バスのドライバーと頻繁にコミュニケーションを取り、下道を通ったり、また高速を使ったり。途中トイレ休憩をするにも、大型バスが停められる場所を選んだりと、最終判断をするのは、添乗員のあごさんだ。

今回はなんとかクローズ前1時間ちょっと前に滑り込みセーフ。こと無きをえた。

添乗員の本分は旅程管理である。これができないと添乗員がツアーに同行している意味がない。

「私はちょっと目立っている部分はありますが、本来は黒子です。以前、添乗員が足りないからというので、後輩芸人のGも添乗員の資格をとって、ツアーに出ていたことがあるんです。そしたら、彼は舞台衣装のヘルメットとニッカポッカの姿でツアーに乗ってきて(苦笑)。そんなのは非常識だと立ち寄り先からクレームが来るわ、仕事ができないわで、そのうちGは辞めてしまったようです」

先述の通り、参加者からあごさんが怒られたように、面白ければいいってものではないのである。面白さは、あくまでツアーのアクセントでしかない。

それでも、あごさんの盛り上げテクニックは、大爆笑の渦を巻き起こすので、本当に楽しい。


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あごさんのプロフィールを紹介したい。

高校生時代に陸上部の選手として鳴らし、体育教師を目指していたというが、足を怪我してその夢を諦めた。1970年代の素人参加型情報テレビ番組『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」でチャンピオンになり、18歳で芸能界デビュー。同番組でチャンピオンになった6人(のちに5人)でザ・ハンダースを結成。グループはたくさんの有名人のモノマネで歌詞を繋いでいく「ハンダースの想い出の渚」を発表して大ヒット。昭和53年の全日本有線大賞新人賞を受賞した。

当時は月給制だったので、どれだけ売れても収入は1カ月約20万円。その後、グループが解散し、メンバーだった桜金造さんと「あご&きんぞう」(あごきん)というお笑いコンビを組んで再出発。芸能人として隆盛を極める。年収約3000万円、東京都世田谷区の高級賃貸マンションで暮らした。

「その頃は生意気でしたねえ。『おい、次の現場はどこなんだよー?』なんて、マネージャーをあごでこき使ってました。それが今やあごで使われる側になっちゃった(苦笑)。あべこべにマネージャー的な役割をしているわけです」

自分から口説いたことはないけれど、いつもそばに女性がいた

年収3000万円時代は、現金でギャラをもらっていたので、財布に100万円ほど入れて夜の街を歩いた。そしてモテた。とにかく、モテた。

「酒場で酔っ払ってカウンターの上につっぷして寝ちゃって、気がつくと、横に女の子が座っているんです。そしたら彼女が『これからどこに行こうか?』なんて私にしなだれかかってくる。自分から口説いたことはないのに、女の子から寄ってきましたもん。でも、自分は奥手だし、こういう顔なんでもともと女性に対してコンプレックスがある。だからそんなに遊んでないです」

地方のドサ回りに行ったら行ったで、やはり打ち上げに女性が何人か現れる。その場を仕切る人に言われた。「好きなタイプの女の子を連れてっていいよ』と。

「推測ですが、ハンダースの他のメンバーは相当遊んだと思いますよ」

今なら完全アウトの“ザ・昭和”の芸能界夜事情。あごさんは女性には走らなかったものの、酒は浴びるほど飲んだし、高級服も買いまくった。さらには後輩芸人にどんどん奢ったそう。しかしそんな羽ぶりのいい時期は数年で終わってしまったので、貯金はほとんどできなかった。

撮影=東野りか

ツアーの日誌もバスの中で書くのも重要な仕事。

故郷に帰って店を経営するも全くダメ。偶然の出会いから添乗員に

「あごきんが解散した後は、故郷の千葉に帰って焼き鳥屋なども経営しましたが、さっぱりダメでした。自分には経営のセンスがないんですよ。早々に店をたたみました。その点、ハンダースのリーダーだった清水アキラさんはすごい。彼は芸人としても優れているけど、お金を増やす力もあります。相方だった桜金造さんもハングリー精神がすごくて、お金をコツコツ貯めるタイプ。僕がパッパとお金を使ってると、金造さんに呆れられました」

その後、清水アキラさんの事務所に所属して、タレント兼俳優として活動し月給は50万円と、そこそこ安定した生活ができていたが、なぜ添乗員になったのか?

きっかけはやはり清水アキラさんだ。

「清水さんの紹介で、平成エンタープライズの社長と偶然に知り合ったんです。そのうち社長とは飲み友達となりました。体の調子が悪くて芸能の仕事が減ってきたんで、社長に『なんか仕事ないですか?』と聞いたんです。そしたら『じゃ、うちのバスに乗れば?』と言われたんですよ」

社長は、バスツアーに面白い芸人を乗せれば、お客さんも喜ぶだろうと思ったのだろう。あごさんは添乗員になるべく、民間の添乗員(旅程管理主任者)の資格試験を受けて見事合格。60歳の時だった。

以来、VIPツアーの日帰りバスツアーの専属添乗員となった。今年で7年目だが、コロナ禍はツアーがなくなり稼働できなかったので正味4年ほどのキャリア。人手不足ということもあり、資格の年齢制限はなし。定年退職後のセカンドキャリアとして、ハローワークに求人が出るほど、シニアでもウェルカムの職種だ。あごさんの同僚には、80歳オーバーの添乗員がいるというから驚きである。

撮影=東野りか

ジャンケンあごで、バスの中は大盛り上がり。


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出発地に向かう帰りのバスの中では、恒例のあご出しジャンケン大会が行われた。あごさんが「最初はアゴ」と叫びながらあごをクイっと上にあげ、参加者たちとジャンケン。あいこの場合は、「あーごでしょ!」とあごにこだわったかけ声にしている。最後に勝ち残った人が景品をもらえるというもので大盛り上がり。景品の中には、あごさんのサイン入り色紙もちゃっかり混ざっている。

「サインをバスの中に置いていかないでくださいね〜。悲しくなるから」などとあごさんが言えば、またドッと笑いが起こる。もはや動く漫談会場だ。

撮影=東野りか

ジャンケンあごでは、自らのサイン色紙も景品に。

添乗や芸能(司会)の仕事で、現在の年収は300万から400万円。最盛期の10分の1ほどの収入の年もある。現在は埼玉県で家賃6万円のアパートで妻と二人で暮らす。妻も働いているが経済的にギリギリの生活。さらにあごさんは膝の半月板がかなり悪いし、甲状腺機能亢進症の一種であるバセドウ病の持病もあるので、健康不安もある。添乗員をいつまで続けられるかも分からない。

「でも、病気を理由にしていては、前に進めません。実は芸人で再び返り咲きたいと思っているんです。親交がある大村崑さん、なべおさみさん、中尾ミエさんたちは、みなさん私より年上ですが、元気一杯に頑張っていらっしゃいます。先輩方に比べれば私なんか若輩者です。泣き言は言っていられませんよ。自分を信じて己の道を突き進みます」

バスが出発地に戻ってくると、最後に「忘れ物をしないように」と参加者に声をかける。

そして「私は芸人としても諦めません!」とあごさんは締め括った。

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