石器で虫歯を削ったネアンデルタール人 痛みは現代人以上か
新たな発見により、ネアンデルタール人が痛む歯を治療する器用さを持っていたことが明らかになった。ロシア科学アカデミー考古学・民族学研究所の研究チームが、最近、シベリアの洞窟で発見された5万9000年前のネアンデルタール人の臼歯にあいた奇妙な穴を詳しく調べたところ、石器で歯に穴をあけ、化膿(かのう)した歯髄を慎重に取り除いていたことが示唆された。この先史時代の処置は、現生人類が虫歯を治療した最古の証拠よりも約4万年も古い。論文は5月13日付けで学術誌「PLOS One」に掲載された。
「今回の発見は、ネアンデルタール人への古い偏見に決定的な一撃を与えるものです」と論文の共著者であるアンドレイ・クリボシャプキン氏は語る。「単なる衛生管理の域を超え、積極的な医療処置の領域に入ります」
私たち現生人類(Homo sapiens)は、最も近い親戚であるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)を、思考ではなく本能で行動する、こん棒を振るう野蛮な穴居人として描写することが多い。けれども近年の証拠は、約4万年前の更新世後期に絶滅したネアンデルタール人が、芸術的な表現をし、死者を追悼する知的な生きものだったことを示唆している。
この発見は、ネアンデルタール人の認知能力についても新たな洞察をもたらすものだと、英ヨーク大学の考古学者で、初期人類の相互扶助のあり方を研究しているペニー・スパイキンズ氏は評価している。
治療された臼歯は、ネアンデルタール人が痛みの原因を特定し、協力してそれを治療できたことの証拠になるとスパイキンズ氏は指摘する。氏はまた、この研究はネアンデルタール人が「長期的に問題を解決するために、一時的に痛みを悪化させるような処置をするという、かなり難しいことをする意志」を持っていたことを示していると言う。
臼歯はシベリア南西部のアルタイ山脈にあるチャギルスカヤ洞窟で見つかった。この洞窟はネアンデルタール人の生息域の東端に近く、中央アジアでネアンデルタール人の化石が発見された数少ない場所の1つだ。
6万年前はホラアナハイエナ、ケブカサイ、オオカミなどの生息地で、石製の手おのを使う旧石器時代のネアンデルタール人たちが、親族と共に集団で暮らしていた。2022年の研究では、チャギルスカヤ洞窟の古代の住人に1組の父娘が含まれていたことが明らかにされている。
2007年以来、科学者たちはこの洞窟の埃っぽい地面の下に埋もれたヒト族の化石を70点以上発掘してきた。化石の中には、下顎の一部や数点の骨格断片のほか、数十本の歯が含まれており、虫歯も数本あった。
科学者たちはネアンデルタール人の歯を調べ、生活様式について膨大な知見を得てきた。例えば、歯石に含まれるデンプンの痕跡から、彼らが植物も食べていたことが明らかになった。ネアンデルタール人は歯のケアもしていた。2013年の論文では、スペインのネアンデルタール人がようじを使って歯の間にはさまった食べかすを取り除き、歯茎の痛みを和らげていた可能性があることが明らかにされている。
クリボシャプキン氏によれば、チャギルスカヤ洞窟の遺物で真の大発見がもたらされる瞬間は、化石を研究室に持ち帰って顕微鏡下で詳しく調べたときに訪れることが多いという。「チャギルスカヤ64臼歯」と呼ばれる歯の標本もそうだった。かつて大人のネアンデルタール人の口の中にあったこの左下の奥歯には、歯冠から歯髄腔まで達する深い穴があいていた。
研究チームは当初、この穴は自然な摩耗や風化によってできたのだろうと考えていた。しかし、ロシア科学アカデミーの人類学者で、論文の筆頭著者であるアリサ・ズボワ氏が顕微鏡で標本を調べてみると、奇妙な点に気がついた。
穴は1つのくぼみではなく、部分的に重なり合った3つのくぼみから構成されていた。この構造は通常の歯髄腔の構造とは異なるだけでなく、外傷によって歯が折れたときにできる縁のギザギザも見られなかった。
さらに詳しく調べるため、研究チームはマイクロCTスキャン装置を用いて、くぼみを分析した。その結果、それぞれのくぼみの内壁に小さな引っかき傷が確認された。これらの溝は同じ向きに並んでいて、「硬く尖った石器を回転させて穴をあける動きから生じる溝とぴったり一致します」とクリボシャプキン氏は言う。
自分たちの仮説を検証するため、研究チームは3つのくぼみの再現を試みた。
彼らは古代の石器製作技術を使って、チャギルスカヤ洞窟周辺で採集した碧玉(ジャスパー、不純物を含む不透明な石英)を加工し、長さわずか数センチメートルの尖った道具を作製した。そして、現代人の歯を3本使って、この道具の性能を検証した。研究者の1人であるリディア・ゾトキナ氏は最近抜いた親知らずを提供した。
口の中の湿った状態を再現するため、研究チームは歯を台座に固定して少量の水に浸し、手で道具を回して穴をあけた。碧玉は歯よりも硬く、数分で歯に穴があいた。力をかけすぎると歯のが砕けるおそれがあったため、科学者たちは慎重に作業を進めた。
彼らは続いて、自分たちがあけた穴を、ネアンデルタール人の臼歯の奇妙なくぼみと比較してよく一致していることを確認した。自分たちがあけた穴のマイクロCTスキャンを実施した結果、「チャギルスカヤ64臼歯」で観察されたものとよく似た、ほぼ同じ大きさの溝が確認された。
彼らの実験は、旧石器時代の道具が臼歯に複雑な穴をあけた可能性を示す上できわめて重要だったと、スペイン、カタルーニャ人類古生態学・社会進化研究所の古人類学者であるマリーナ・ロサノ氏は評価する。氏は、ネアンデルタール人の臼歯は現生人類に比べてわずかに大きく、密度も高いが、虫歯になっていたせいで歯のエナメル質がもろくなっていた可能性が高いと指摘する。
「ネアンデルタール人がこの歯に穴をあけたときには、削りやすかったと思います」とロサノ氏は言う。
「チャギルスカヤ64臼歯」からは、この治療によって歯の悪いところをうまく除去できたことがわかる。治療を受けたネアンデルタール人がその直後に死亡していたなら、あけられた穴の壁面は粗かったはずだ。しかし実際には、溝のある内壁はおおむね滑らかで、この人物が治療後も生き続け、口にした食べ物や植物の繊維が溝を摩耗させたことを示しているとクリボシャプキン氏は言う。
ネアンデルタール人の歯の治療痕は、彼らが単にその場しのぎで痛みを止めるだけでなく、長期的な利益のために短期的な痛みに耐える覚悟があったことも示している。
「歯の治療は、痒いところを掻くのとは違います」とスパイキンズ氏は言う。「長期的に痛みを和らげる方法について、ある程度の理解があったことを示しています」
遺伝学の研究によれば、ネアンデルタール人は現代人よりも痛覚が鋭かった可能性が示唆されている。この点を踏まえると、彼らが痛みを伴う治療を受けていたことは非常に印象的だ。クリボシャプキン氏は、痛む歯を仲間に削ってもらうには、相当の覚悟が必要だったはずだと考えている。
「それは本能ではありません」と氏は言う。「意志の力です」
文=Jack Tamisiea/訳=三枝小夜子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2026年5月15日公開)