あの世界的バンドもこうして衝突を乗り越えた…専門家がパワハラ社員にカウンセリングを勧める深いワケ 会社からカウンセリングを勧められるのは期待されている証拠

このようにカウンセリングは、「問題のある特定の人物」が対象となるケースだけでなく、チームメンバーによる仲たがいでも利用されることがあります。

活動を続ければ、今後の成功も約束されているのに解散してしまうアイドルグループや漫才コンビ、活動を休止しているロックバンドなど、いくつも思い当たる例はあるのではないでしょうか。

メンバーにはそれぞれ実力があり、ソロ活動をしても、ある程度の活躍は期待できますが、やはり彼らは「一緒にやるからいい」のであって、ファンはそれを望んでおり、桁違いの稼ぎ方ができるのも一緒に活動したときなのです。

彼らにしても、会社員や公務員にしても、人間関係の問題を解決する手段として、カウンセリングを試すという選択をせず、バリアを張るように拒否してしまうのが、好ましいことなのでしょうか。

私もメタリカのベーシストと同じように、当時はカウンセラーの力を借りるなんて「ダサくて女々しい」と思っていた方ですが、その後のメタリカの復帰と規格外の成功を見ると、それを拒絶するほうがむしろ怯者きょうしゃなのかもしれないと思えたのです。

カウンセリングを拒否したい人の気持ちはわかるのですが、軟弱なこととは決めつけずに活用を検討できるとよいでしょう。

なぜなら、彼らは皆、「そんなところでつまずいている場合ではない」からです。仕事はできる人が人間関係でつまずき活躍できない――これは普通に起こり得ることで、何としても乗り越えるべきことなのです。

もともと費用のかかるカウンセリングを勧められる人は、(所属組織が仕方なくそうしている場合であっても)改善を期待されていることに間違いはないのです。

写真=iStock.com/Moment Makers Group

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自分自身と向かい合うのが辛い

カウンセリングを受けたがらない人が、それを嫌がる理由には、もう一つ別のものがあります。

カウンセリングを受けると、「自分自身(の思考や行為)と向かい合う」ことになるのですが、彼らにはそれが辛くて耐えがたいことなのです。

カウンセリングで自らの行為を振り返ると、自分自身の思考や言動と向かい合い、それについて考えることになります。

多くの人が、そうした「自分の思考や言動」や「それがどのような事態を招いたか」については、深く考えずに済ませたいと思っています。


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もっとも私がカウンセリングをする会社員や公務員は、必ずしも特別に仕事のできる人ばかりではなく、配置換えをしようにも(パワハラをするという評判のために)受け入れ先がなかったり、本当はいなくなってほしいのですが、退職を促しにくい相手であるようなケースが多いのですが。

私がカウンセリングをする相手は、かなり症状が進んでいて、組織も手に負えなくなっています。

たとえば、その人のパワハラが原因で精神を病む人が出てきている。派遣社員の退職が相次いでいる。そういった人がほとんどです。

私は、パワハラ行為者がカウンセリングを(嫌がっておらず)希望される場合のみ業務を請け負っているため、(相談者の方がご心配されているように)「行為者がカウンセリングを受けたがらない」ことについて、相談を持ち掛けられることはありません。

しかしながら、私の耳に入らないだけで、端から「カウンセリングなど受けたくない」という行為者がいることは承知しています。

カウンセリングは、自らの振る舞い方を改善するつもりで受ければ、効果を見出せるものですが、自ら改善するつもりがなければ、効果を見込めるものではありません。

ましてや、カウンセリングを受けたくない人に対しては、支援のしようがないため、私から(行為者本人にも、関係者にも)無理に勧めることはありません。

写真=iStock.com/MTStock Studio

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カウンセリングを受けることは軟弱なことではない

それでも、私から見て、非常にもったいないと感じるケースがあります。

それは、パワハラ行為者たちが、自らのパワハラ行為(およびパワハラをしてしまう癖)は問題と認識しつつも、カウンセラーとのカウンセリングによってそれを克服しようとするのは、「女々しい」「弱い人間のすること」と考え、そのためにカウンセリングを拒否するケースです。

彼らは、人間関係の問題をカウンセリングに頼って解決しようとするのは、軟弱なことと考えているのです。


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パワハラ行為者へのカウンセリングでは、たとえば、その人の振る舞いが原因で退職した人がいれば、その退職者との間にあったことを詳細に話してもらいます。

その人の言動が原因で退職した人が5人いれば、5人とのことについて、関連することをすべて話してもらうのです。

それを思い出して話すのは、自分自身と向き合い、また自分自身をさらけ出すことにもなりますから、それが苦痛でカウンセリングを避けたがるのです。

パワハラ行為者としてカウンセリングを受けるときに限らず、自分自身と向き合うのは辛いことが多く、それを嫌がる人は多いものです。

自分自身と向き合いたくない人は、「自分の強みと弱みについて考える」という手合いのことすら、やりたがらないものです。

自分が期待するほどの強みが思い当たらないことや、自分の弱みをあらためて認識するのは、気持ちのよいことではないからです。

写真=iStock.com/marchmeena29

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見違えるように変わった人も多くいる

私のカウンセリングを長く受け続ける人は、勤務先の多くの人に、それを知られることになりがちです。できるだけ他の従業員に知られないよう配慮する職場も多く、私も十分に注意するのですが、噂で広まってしまうのでしょう。

小さな事業所だと、皆が知っている状態になることもあります。

しかし、「あの人、パワハラのカウンセリングを受けてるんだって」「やってもムダなんじゃない」と陰口を叩かれながらも、カウンセリングに挑み、言動に改善を見せるようになった人たちが確実に存在することは、ここで強調しておきたいと思います。

私は、関係者から「この人のパワハラは収まらないと思う」と聞かされていた人たちが、カウンセリングを通じて、見違えるように変わった例をいくつも見てきました。

サポートを受け入れず、到達できるかもしれない成功への道を自ら閉ざす人たちに比べて、カウンセリングを利用して、あらたに活躍している人たちは、軟弱などころか、むしろ強かったのだと思います。

彼らは(それまでのパワハラ行為には十分な反省が必要でしたが)、成功するために乗っている飛行機から降りることもなかったのです。

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