吉沢亮×横浜流星が全身全霊で体現した、芸に「身を捧げる」ことの真意【「国宝」インタビュー】 : 映画ニュース
吉沢「尊敬しかないです。やったからこそ分かる部分はたくさんありますが、我々はこの1年半、必死に稽古をして、撮影では『この一瞬さえ良ければ、もう何でも良い』という覚悟で取り組んでいることを、歌舞伎役者の皆さんは毎日舞台に立ち、凄まじいものを見せているわけですから。人間としてその動き、出来なくない? みたいなことを平気でやる世界。それだけの時間を費やしてこその現在が、皆さんそれぞれにあると思うから、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったという思いがあります」
横浜「尊敬の念が強まりました。女形に関して言うと、舞台でしか見られない儚さ、幻のような存在。男性が女性を演じることで化学反応が起きて、得も言われぬ美しさに繋がるのかなと思ったり……。伝統芸能の歌舞伎に触れられたというのは、今後の芝居にもきっと生きてくると思いますし、本当に財産になったと感じています」
(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会原作の吉田氏が、今作の歌舞伎指導を務めた中村鴈治郎の元で3年間にわたり黒衣を纏(まと)い、楽屋に入った経験を血肉にして書き上げた渾身の一作であるだけに、「悪人」「怒り」と自著の世界観を壊すことなく映画化を成功させた李相日監督に「国宝」を託そうとした心中は、容易に察することができるはずだ。そして今作が第78回カンヌ国際映画祭の「監督週間」に選出され、公式上映では約6分間に及ぶ熱狂的なスタンディングオベーションを浴びたというニュースは、各メディアでこぞって報じられた。
■「やればやるほど間に合わないことに気づいていく」(吉沢)
吉沢と横浜は「歌舞伎を知らないからこそ…」と口をそろえる。舞踊や所作も含めた稽古に1年以上、撮影に3カ月をかけてきたなかで、ふたりが辿り着いた境地はいかほどであっただろうか。
吉沢「稽古を1年半やって、やればやるほど間に合わないことに気づいていくんです。子どもの頃から舞台に立つ皆さんと比べたら、もちろん1年半でどうにかなる話ではないのですが、それを理解しながらそれでも食らいついていく精神力というか、歌舞伎にしがみつく意地がこの映画には必要だったんだという気がしました」
横浜「自分もあまり歌舞伎の世界について知りませんでした。知っていると必要のないことまで頭に入ってきてしまうでしょうし、知らないからこそ知ろうと追い求めた部分はあったかもしれません。しきたりにも敬意を払いつつ歌舞伎役者を生きたことも含め、無我夢中でやり切れたかなと思っています」
本編中に「見るもの全てが楽しく、美しく……」というセリフがあるが、ふたりを筆頭とするキャスト陣が「楽しく、美しく」見せるために血のにじむ努力で撮影に臨んだことは、想像に難くない。そのなかで俳優の大先輩であり、李相日監督とは「怒り」「許されざる者」でタッグを組んでいる渡辺謙の存在は、ふたりにとって精神的支柱として大きなものであったという。
(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会吉沢「謙さんは、極めている方の誠実さと申しましょうか、すごく芝居に対してピュアな愛情で向かっていらっしゃる方だと感じさせてもらいました。本編では少し短くなっていますが、口上のシーンの前にふたりで話すくだりがあって、『おまえは芸で勝負するんや』って。謙さんの人間性というか、大きな背中だなあって芝居をしながら感じて、そんなつもり全然なかったのに泣きそうになったんです。そうしたら、すかさず監督が近寄ってきて『喜久雄、ここは泣かないでね』って(笑)。お芝居が素晴らしいのはもちろんなのですが、そこに謙さんのお芝居に対するこれまでの向き合い方がしっかり乗っかっている感じがとても魅力的でした」
横浜「映画では父親なのですが、実はあまり共演シーンがないんです。ただ、その距離感があったからこそ、父に認めてもらいたいという気持ちがすごく大きくなりました。謙さんは遊び心のある方で、ご自身の人生がそのまま芝居に出ているような感覚がありました。だから自分も、心をまっすぐに芝居と向き合っていきたいし、憧れの背中であり、目指すべき背中。共演シーンがあまりないなかでも、一緒に芝居をしていてそう感じました」
キャメラの前に立つ役者としての精神的支柱が渡辺ならば、スタッフを含む作品全体の“道しるべ”となったのは李監督だ。これまで手掛けてきたどの作品においても、粘り強い演出が大きな話題になる李監督と過ごした日々に思いを馳せてもらった。
吉沢「李監督とは今回初めてでしたが、これくらいはできる、という部分で満足させてくれないというか、その先にある、全力を出しても届かない一歩先みたいなところを常に一緒に模索してくれる感じでした。すごくしんどかったし、苦しい時間もありましたが、監督が信頼してくれているのを感じられたし、芝居だけに没頭できるすごく贅沢な時間でした」
横浜「監督とは『流浪の月』でご一緒して、そのときは監督が求めているものが分からなくて、ずっと暗闇の中で光を探し続け、分からないまま終わった感じでした。監督は常に先を見ていて、僕らを信じてくれているからもっと求めてくださる。こんなにも魂を込める方と作品を一緒に作れるって幸せなこと。確かに辛かったけれど、それよりも幸せな気持ちの方が大きかったです」
吉沢「撮影前は何10テイクも撮られるって色々な方から聞いていたので覚悟していましたが、そういう感じはありませんでした。何回もやるというよりも、常に疑問を投げかけてくるんです。自分のやっていることに満足しないように、常に上を目指すよう悩ませてくれる感じ。僕らを信じてくれているからこそだと思いますが、『もっといけるだろう? まだまだそんなもんじゃないだろう?』って投げかけてくるんです(笑)」
横浜「愛があるんですよね。芝居をしていても、カメラマンのすぐ後ろで見てくれていて本当に心強い。監督の頭の中には撮りたい画はもちろんあるのですが、それ以上の高みを目指して悩んでおられる。だから『もっと!』と求めてくださる。それは嬉しいことだし、自分たちにも予期せぬ感情が生まれてくるんです」
吉沢「監督自身が役に入り込んでしまうこともあったんですよ。僕らが追い込まれるシーンのときに、監督の呻き声が聞こえてくるんです。きっと僕らと一緒に役に入り込みながら見ているんだろうなと伝わる瞬間でした」
■最大の見どころは、どこまで芝居に「身を捧げた」のか
李監督の妥協なき作品への思いが伝わるからこそ、李組には日本を代表するキャスト陣が集うのだろう。実力派たちの“競演”、確かにそれは大きな見どころのひとつと言えるかもしれない。ただ、今作に至っては喜久雄と俊介として作品世界を生きた吉沢と横浜が、どこまで高みを目指して芝居に「身を捧げた」のかが、最大の見どころだ。
吉沢「喜久雄の中にあるのは、ただただ純粋な歌舞伎への愛情だと思うんです。彼が歌舞伎と真摯に向き合えば向き合うほど、周囲を不幸せにしてしまうし、阻害されたりもする。そういった複雑な人間関係をもってしても、歌舞伎以外のことには目が入らない。その部分は大事にしました」
横浜「自分とは正反対の人間だから、横浜流星に戻ったときに違和感を覚えることを大切にしていました。自分の中で『今のシーン、うまくいったかな』と手応えを感じることがあるのですが、それが俊介としているときは感じないというか。彼は重心が高いのですが、自分は低くいようとしている。考え方がそもそも違うので、自分に戻ったときに『今のって何だろう? 大丈夫かな?』という違和感を覚えたときこそが、ちゃんと俊介として生きられているのかなと考え、その違和感を常に大切にしていました」
(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会「二人道成寺」や「曽根崎心中」など、演目にもそれぞれ意味を見出すことができる。撮影中は、体力の限界を感じるほどに消耗が激しかったそうだが、それでもテイクを重ねても音をあげなかったのは、心から湧き上がる「手応え」に他ならない。
吉沢「1日中テイクを繰り返したので、体力的にも精神的にも追い込まれる日々でしたが、撮ったものをモニターで見たときの感動、『凄いものが撮れている!』というモチベーションで乗り切れました。絶対に凄い作品にするんだ!と言い聞かせながら、必死でやっていました」
(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会横浜「きつかったですが、隣に喜久雄がいるので心強かったです。公演のシーンでは、エキストラの方々のご協力をいただいて、僕らは歌舞伎役者として幸せな景色を見られて、本当に感謝しています。『二人道成寺』は若い頃と成熟してからと2回ありますが、2回目のときはエモーショナルな気持ちになりました」
完璧を求め、壮絶な稽古を経て臨んだ本番では、李監督から耳を疑うような演出を受けたこともあったと、吉沢は苦笑いを浮かべる。
吉沢「稽古の段階では歌舞伎役者として成立するということを一番の目標としてやってきたし、本番ももちろんそのつもりだったんですが、監督が僕のところへやってきて『上手にやれるのはわかったから、もうちょっと喜久雄でやって』って(笑)。しかも急に言われるので、今まで積み上げてきたものを全て捨てるわけではないけれど、『これが美しいんだ!』と研究してきたものとは全く異なる角度から入っていくというのが、最初は理解できない。でもだんだんその気になって感情的に汗や涙を流しながらやり切って、監督も『OK!』と言うのですが、終わったら終わったで『本当にそれで良かったの?』と不安になるんです(笑)。ただ、そこにこそ歌舞伎役者ではない我々が『国宝』を作る意味が詰まっているのかなと、完成した作品を見てようやく理解ができました」
横浜「僕も同じで、積み上げてきたものを壊すわけではないけれど、その世界観は保ちながらいなくちゃいけないので難題でした。芝居の部分でいうと、『曽根崎心中』は俊介としても、お初(役名)としても、悔いなく出し切れたという思いに至ったので、型とか気にしていませんでした。俊介の状況もあるからこそ成立したものでもあるし、歌舞伎の演目を理解したうえで観ていただけると、彼らの人生にリンクしているのでより深く楽しめるように思います」
本編中に登場する「ほんもんの役者になりたい」「ほんまもんの芸は刀や鉄砲より強いねん」というセリフが印象的であり、今作を象徴してもいる。ふたりにとって、自らの口から発したセリフで胸を打ったものはあるのだろうか。
横浜「俊介が自分で発した『ほんもんの役者になりたい』というセリフは胸を打つというか……。俊介と自分は正反対の人間ですが、唯一その思いだけは共鳴できたというか、共感できた言葉でした」
吉沢「胸を打つというのとは違うかもしれませんが、ビルの屋上で狂ったように踊るシーン。3テイクくらい撮ったなかで、やっていることもバラバラでほぼアドリブだったんです。使われたのは最後のテイクで、監督に森七菜ちゃんの顔を見ていてって言われたんです。それでバッと見ていたら『どこ見ているの?』って七菜ちゃんに言われて。『どこ見てたんやろな』って自然と出てきたセリフだったんです。僕自身のフィルターを通しながら、確かに喜久雄ってどこ見ているんだろう? と分からなくなる瞬間で、すごく素直にあの言葉が出てきたこともあり、あのシーンの撮影風景も含めて何もかもが印象に残っています」
言うは易く行うは難し。実際に芸に「身を捧げた」ふたりだけが目にすることができる光景があるに違いない。吉沢は完成報告会見で「役者人生の集大成」と口にしたが、ふたりにとって「国宝」以前、「国宝」以後、という考え方が脳裏に浮かぶ瞬間は、これから長い俳優生活で幾度となくあるはずだ。吉沢と横浜の「ほんもんの役者」への俳優道が険しければ険しいほど、ふたりにしか見えない光景が広がっていくに違いない。