へその緒がついた赤ちゃんを抱いて現われた…「予期せぬ妊娠」の女性に赤ちゃんポスト生みの母がかけた言葉 責められるのも、産むのも「女性」…そんな社会をなくしたい
2025年3月31日、ついに全国二つ目の「赤ちゃんポスト」が開始され、注目が集まっている。慈恵病院で日本初の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を立ち上げた田尻由貴子さんは「子どもはみんな、実の親のことを知りたいもの。なんで、育てられなかったのかを知りたい。出自を知ることは、自分の人生の土台にかかわること。命を守るのと同じくらい、この権利が守られるのは重要なことだ」という――。
「先日も、ゆりかごに預けられたお子さんが関東から、私を訪ねてくれました。高校に合格した今のタイミングに、生んでくれたお母さんのことを知りたいと、育てのご両親と一緒に来られたのです」
撮影=プレジデントオンライン編集部
民泊「由来House」 田尻由貴子さん
熊本市郊外の静かな住宅地の一角、お会いして、あたたかい陽だまりのような笑顔に優しく包み込まれるのを感じた。田尻由貴子さん、75歳。熊本市にある慈恵病院で、2015年まで看護部長を務め、現在も相談業務や女性のためのシェアハウス運営など、女性たちに寄り添う活動を精力的に行っている。
慈恵病院と言えば、母親が育てることができない赤ちゃんを匿名で預けることができる、いわゆる「赤ちゃんポスト」を設置・運用している病院だ。その名も、「こうのとりのゆりかご」。
2007年に運用を開始し、全国にはなかなか広がらなかったものの、2025年3月31日、ついに全国二つ目の「赤ちゃんポスト」が、東京・墨田区、錦糸町駅近くの賛育会病院で午後1時に開始され、注目が集まっている。
田尻さんは看護部長として、当時の院長である蓮田太二医師と共に、「こうのとりのゆりかご」創設に関わった人物だ。スタートから8年間、退職するまで「ゆりかご」に関わってきた。
「なぜ、育てられなかったのか」
「今回、訪ねてきた子の場合、預けられた時の母子手帳がありました。母子手帳を見れば、お母さんが愛情を持って産んだことが、子供にもわかります。ちゃんと、健診に行っていた履歴が残っていますから。ゆりかごに預けられた子は、母子手帳がない例も多いんです」
だから田尻さんは、彼にこう話した。ゆったりと穏やかな、あたたかな声で。
「臨月は、1週間ごとに健診に行っているね。お母さん、産まれる時まで、あなたのことを大事に守ってくれたんだよ」
その後、慈恵病院にある教会へと移動して、そこでも話をしたという。
「赤ちゃんを育てられないとゆりかごに訪れたお母さんと、ここで祈るの。産んだ赤ちゃんが、幸せになることを。そして、お母さん自身も、これから、どうか前向きに生きていけるようにって……」
彼は「ゆりかご」に預けられた後、子どもを望む夫婦と特別養子縁組が行われ、実子として愛情深く育てられている。その両親は彼に、自分たちの実の子どもではないという「真実告知」を行い、一緒にルーツをめぐる旅をしているのだと伝えてくれた。
「彼は慈恵病院に保存してあった、ゆりかごに預けられた時の写真を受け取ると、何か、スーッと吹っ切れた様子で、お母さんと笑いあっていました。いい親子関係だと思いました」
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「ベビークラッペ」とは、匿名で赤ちゃんを預けるドイツのシステムだ。
保育園や病院などの壁に扉が備え付けられていて、その扉をあけると、中に温められたベッドが置かれている。ベッドには運営から母親宛の手紙が置かれており、母親はそれを受け取って、ベッドに赤ちゃんを寝かせて扉を閉めると、再び開けることはできない。赤ちゃんが預けられると、警備会社のブザーが鳴り、警備員が駆け付けて赤ちゃんを確認するという流れだ。
その後赤ちゃんは、施設スタッフの手によって病院の小児科で診察を受け、異常がなければ里親のもとで8週間育てられる。この8週間の間に、新聞で赤ちゃんを預けた母親へのメッセージが届けられ、それを読み「やっぱり自分で育てたい」と引き取りにくる母親が少なくないという。
8週間以内に親が名乗りでなければ、日本のように児童施設に預けられるわけではなく、すべて実子として養子縁組が行われる。重症の障害がある場合を除き、障害のある赤ちゃんは、普通の赤ちゃんの数倍の養子希望があるという。障害のある赤ちゃんを育てる場合には、専門家によるサポートも充実しているという。
このような「国全体で小さな命を守り、愛情をもって家族のもとで育てていく」仕組みが、ドイツにはあるのだ。
写真=iStock.com/digicomphoto
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1週間に1人の赤ちゃんが遺棄されていた
「その国全体を巻き込んだ『すべての子供が家庭で育つ』仕組みに、蓮田先生も私も感銘を受けたものの、視察した当初は、日本にすぐに必要だとは思っていませんでした。でも帰国後、熊本県で立て続けに3件、赤ちゃん遺棄事件が起きたんです」
それは18歳の少女が産み落としてすぐの赤ちゃんを殺して庭に埋める、21歳の学生が赤ちゃんを汲み取り式トイレに産み落として窒息死させ6年の実刑判決を受けるなど、「なぜ社会で未然に防げなかったのか」「相談できる人が身近に一人もいなかったのか」と当事者への支援の薄さに疑問を投げかけたくなる、どれも痛ましいものだった。
「さらに、1週間に1人の赤ちゃんが遺棄されているというデータが出たこともあって、私と蓮田先生で、『日本にも、ドイツのベビークラッペを作ろう』という話になりました。そんな2人でした診察室での会話で私は覚悟を決めました」
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たとえ育ての親のことが大好きでも、子どもは自分のルーツを知りたいと希求する。これは、子どもにとって重要な「出自を知る権利」なのだ。
「子どもはみんな、実の親のことを知りたいもの。なんで、育てられなかったのかを知りたいんですね。だから私は、私のもとを訪ねてきてくれた子には、当時の記憶や手元にあるものから『どうしても育てられないから、お母さんがあなたへの最後の愛情で、ゆりかごに預けに来たんだよ』ということを、しっかりと伝えるようにしています。出自を知ることは、自分の人生の土台にかかわること。命を守るのと同じくらい、この権利が守られるのは重要なことなんです」
「産後うつ」の予防の「妊娠葛藤相談」が始まりに
「ゆりかご」は、命を繋ぐシンボル――、それは、今も変わらぬ、田尻さんの強い思いだ。
「ゆりかご」に関わることとなったきっかけは、慈恵病院の前理事長・蓮田太二医師から「産後うつ」に取り組んでほしいと、慈恵病院に誘われたことに始まる。熊本県北部の町で3人の子を育てながら保健師をしていた田尻さんは、50歳の時に、看護部長として慈恵病院に赴任した。
「予防するには、妊娠中からきっちり関わっていかないとと思い、まずは妊婦さんから病院への相談体制を確立しました。そのときに『生命尊重センター』が行っている妊娠葛藤相談も、引き受けるようになったんです」
「生命尊重センター」とは、1982年にマザーテレサが来日した際に「日本は美しい国だが、中絶が多く、心の貧しい国だ」と呼びかけたことを契機に発足された団体。“いのちは授かりもの”“お腹の赤ちゃんも社会の大切なメンバー”を訴え、啓発活動を全国で展開している。そのセンターの活動のひとつに、出産を困難に感じる女性たちからの相談を受ける「妊娠葛藤相談」があった。
2004年、その「生命尊重センター」からの声かけで、田尻さんは慈恵病院 理事長の蓮田医師と共に、ドイツの「ベビークラッペ」(赤ちゃんポスト)を視察することになる。