「おまえのせいだ」なぜ宮内庁幹部は激怒したのか⋯? 皇太子に“天皇一家の不和”へ切り込んだ『皇室記者の危険な質問』
〈 「適応障害と診断」「公務復帰もままならない」宮内庁長官が苦言を呈したことも⋯皇太子ご夫妻への批判が“日常化した”平成の特殊事情 〉から続く
「宮内庁長官の発言は、本当に“そのまま”受け取っていいのか」。
異例の苦言の裏側を探るべく、記者は宮内庁幹部に直撃する。だがそこで浮かび上がったのは、皇室の「家族」と「公」をめぐる深い溝と、内部から噴き出した強烈な反発だった。
天皇家を覆っていた平成という時代特有の“空気”を、ジャーナリスト・大木賢一氏の著書『 「平成の天皇家」と「令和の天皇家」 』(講談社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初から読む )
皇太子時代の徳仁天皇 ©getty◆◆◆
宮内庁長官の真意
定例会見が終わった直後、私はアポを取って一人で長官室に戻り、羽毛田氏に念を押した。
「いま記者室で記事を書き始めて思ったのですが、さきほどの発言は、どう考えても『宮内庁長官が皇太子に苦言』という見出しになってしまいますよ。それ以外の表現はどうしても考えられない。長官はそれでもいいんですか」
羽毛田氏は「まあ、仕方ないですね」と言って、静かに笑うだけだった。
その様子を見て私は、ああ、この人はもとから覚悟しているんだな、と思った。ということは、この発言はあらかじめ天皇、皇后の了解を取ってのことであり、長官が自分の一存で「拝察」の内容を話したかのような見せかけは真実ではないのだろう、と確信した。
「両陛下も心配しておられる」というのも、何を心配しているのかよく分からない不思議な表現で、むしろ「両陛下も不満である」と言った方が、よほどすっきりする。
わざわざ不自然な言い回しをしたところにも、天皇夫妻の本心を穏便な言葉で包もうとする意図が感じられ、かえって発言の真の発案者が誰なのかを物語っているように感じられた。どちらにせよ、この「苦言」の中に明仁天皇夫妻の意思も含まれていることに疑いはなさそうだった。
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皇太子への質問を志願
こうした私の理解と推測は、あながち的外れなものだったとは言えない。「週刊文春」2008(平成20)年2月28日号の関連記事の見出しは「『愛子さまに会えない』天皇が長官に託した皇太子への怒り」だった。長官が天皇と話して了解を得た上で発言したのだろう、というのは、当時の宮内記者会でも多くの記者が感じていたことだったと言える。
長官発言の約1週間後、徳仁皇太子の誕生日の記者会見が行われた。その日程はずっと前から決まっており、羽毛田氏の「苦言」が、皇太子のこの日の「回答」を求めてのことであることは明らかだった。
記者会から皇太子への質問事項は、宮内庁との調整を重ねて協議され、あらかじめ5問程度が提出されている。会見当日のわずか1週間前にわき起こった羽毛田氏の「苦言」に対する回答を聞くのなら、事前提出された質問の後の「関連質問」で聞くしかない。
志願して質問に立った私は、長官発言に対する皇太子の感想を尋ね、さらにこのように質問した。
「長官がご自分の一存だけであの発言をされたとは、私には到底思えないんですが、皇室のご家族の、ご家庭内のことをああした公式の場所で発言せざるを得ない、こういう状況が今の皇室のご家庭の中にあるというこの現状をどのように受け止めていらっしゃるのかお聞かせください」