第2次大戦中に墜落した撃墜王の搭乗機、翼端が故郷に帰還 米ウィスコンシン州

(CNN) 第2次世界大戦中の80年以上前に墜落した戦闘機の一部がこのほど発見され、パイロットの故郷の米ウィスコンシン州に帰ってきた。パイロットは同国最高のエース(撃墜王)として知られた人物だった。 【画像】赤い塗装の痕跡が残るボング少佐搭乗機の翼端、他3枚 当該の機体はロッキード社製の「P38ライトニング」で、米陸軍航空軍に所属するリチャード・ボング少佐の愛機だった。ボング氏は空中戦で最多記録となる40機を撃墜したことが確認されている。ウィスコンシン州兵によると、同機は後にボング氏の妻となるマージョリー・バッテンダールさんにちなんで「マージ」と呼ばれていた。 ボング氏は同機で数十回の任務に出撃した。しかし1944年3月、別のパイロットが同機を操縦中に脱出を余儀なくされ、機体はパプアニューギニアの熱帯雨林に墜落していた。 それから80年後、「ミッション・マージ」と名付けられた機体の捜索が始まった。 「リチャード・I・ボング退役軍人歴史センター」は、非営利団体「パシフィック・レックス」と協力し、人里離れた丘に散乱していた機体の残骸を発見した。 「これは第2次大戦史の極めて貴重な一ページであり、リチャード・ボングは非常に著名な人物でもあるため、少なくとも機体の一部だけでも保存することが重要だと考えた」と、リチャード・I・ボング退役軍人歴史センターで収蔵品・展示の学芸員を務めるブリアナ・フィアント氏は語った。 米国最高のエース・パイロットとして、ボング氏は類いまれな経歴を誇る。

フィアント氏によれば、ボング氏はウィスコンシン州ポプラー出身。「ごく普通の農家の少年」だったが、空を飛ぶことに関心があったという。 戦争が始まる前に陸軍航空軍に加入し、飛行技術を学んだ。その後、第5空軍の一員として太平洋戦域に派遣された。 ボング氏は第2次大戦中に40機を撃墜。この戦争だけでなく、米国史上でも最多となる空中戦での確認撃墜記録を樹立した。この記録は現在も破られていない。 自分専用の機体を与えられる前、ボング氏はその時使用できる機体なら何でも操縦していた。 第2次大戦の航空機について記録しているパシフィック・レックスによると、ボング氏は故郷に宛てた手紙の中で、「機体に何か描けるほど長く乗れたためしがない。弾痕だらけになるから」と冗談を言っていた。 愛機の「マージ」については、妻に「太平洋で最も弾丸を撃ち込まれた娘」だと語ったこともある。 議会名誉勲章協会によると、ボング氏は「義務として求められる範囲を超えて行動し、際立った勇敢さと不屈の精神を示した」功績に対して名誉勲章を授与された。本来は砲撃教官に任命され、戦闘任務に就くことは想定されていなかったボング氏だったが、繰り返し戦闘任務に志願。ボルネオ島バリクパパン上空やフィリピンのレイテ地域での危険な作戦にも加わった。 やがて自身の安全を理由に、米国への帰還を命じられた。 リチャード・I・ボング退役軍人歴史センターによると、帰国したボング氏はウィスコンシン州スペリオルの大聖堂でバッテンダールさんと「すぐに結婚した」。 しかしその後、戦場での作戦よりも米国内での任務に従事する方が危険だったことが明らかになる。 結婚から6カ月後、ボング氏はカリフォルニア州でロッキード初のジェット戦闘機、P80シューティングスターのテストパイロットを務めていた際、24歳で死亡した。歴史センターによると、ボング氏は民家への墜落を避けるように機体を操縦した後で脱出を試みたが、間に合わなかったという。 バッテンダールさんはその後再婚し、2003年にウィスコンシン州で79歳で亡くなった。

CNN.co.jp
*******
****************************************************************************
*******
****************************************************************************

関連記事: