「プレリュードに乗っていなかったら、違う人生になっていた」 3代目ホンダ・プレリュードを新車で購入し、30余年後の今も愛用し続ける
デートカーというジャンルを生み出すきっかけとなったプレリュード。多くの若者がその恩恵に与り、幸せを手にすることができたに違いない。実はここにある3代目もその1台で、今もなお、オーナーに多くの幸せをもたらしている。 今年はデートカー誕生だいたい40周年。1980年代に隆盛をきわめたデートカーは、先日のプレリュードの復活で、大いに注目を集めている。デートカーとはいったい何だったのか。デートカー世代ど真ん中の私は、迷わず「2代目、3代目プレリュードみたいなクルマ」と答える。つまり、そこそこの速さを持つ、先っちょの尖ったカッコいいクーペ(できればリトラクタブル・ヘッドライト)である。スピードと男女交際が豊かさの象徴だった時代の青年たちにとって、完璧にニーズを満たす存在だった。時代の寵児だった2代目・3代目プレリュードは、現在、絶滅の危機にある。1980年代の国産スポーツカーが、不況下でも根強い需要を保ち続けたのに対して、デートカーはあくまで「走りはそこそこ」だったため、ブームの終焉後、順調に廃車が進み、執筆時点で確認できる流通台数は、全国にわずか2台ずつとなった。超レアものだけに、暴騰したハチロクや32GT-Rあたりより、はるかにお宝感は高い。今回登場していただいた松沼徳次さんは、3代目プレリュードのオーナーだ。25歳の時に新車で購入し、そのまま所有し続けている。「選んだ理由は、イチにカタチです。街を走っている姿を見て、これだと思いました」(松沼氏)それから38年。21万キロを走破した彼のプレリュードは、異様なまでのオーラを放っていた。信じられないくらい低いボンネットの先っちょは、ありえないほど尖っている。クルマは先が尖っているほどカッコよかった時代の、究極のスタイリッシュさである。「プレリュードはATでもいいっていう風潮がありましたけど、私は迷わず5段MTを選びました。そのほうがカッコいいですし」(松沼氏)確かにプレリュードは、あまりにもカッコいいがゆえに、「ATでも許せる」という感覚があった。逆に言うと、当時はまだ「男はマニュアルだろ!」という価値観が濃厚で、そのほうが格上だった。「デートカーとは言われてましたけど、最初の2年間は助手席が空いてましたから(笑)、ひたすらムダに走り回ってましたねぇ。ミッションをいたわって、いつもダブルクラッチを踏んでました。ヒール&トウは、今でも時々やってますが、最近は下手になってきました(笑)」(松沼氏)ドラテク重視もまた、80年代の価値観である。松沼氏のプレリュードはABS未装着だが、その理由は「徳大寺さんの本を読んで、そんな装備をつけたら堕落すると思ったので(笑)」。私もそう思っていた。ブレーキングでタイヤがロックしたら自力でペダルを緩めるべし! と。「ABSは要りませんけど、4WSは最高です。安定感と小回り性がすごく気持ちいいんです」(松沼氏)