朝鮮半島の各地に残る「本土決戦」拠点 変わり始めた人々の思い
建物の入り口からしばらく歩くと、進路が枝分かれしていた。その先には、小部屋がいくつもある。部屋には水槽が置かれ、小さな淡水魚がゆらゆらと泳いでいる。展示物のない空間もあり、まるで迷路のよう。また、少し離れた場所には愛らしいペンギンもいる。
ここは韓国中部の中心都市、大田(テジョン)にある「大田アクアリウム」という水族館だ。ソウルと南東部・釜山を結ぶ鉄道「京釜(キョンブ)線」の大田駅から南西へ車で20分ほど行くと、宝文(ポムン)山(標高458メートル)のふもとに着く。一帯は「宝文山公園」と呼ばれ、豊富な湧き水で知られる。大田アクアリウムはその登山道の入り口にある。
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私(福岡)を案内してくれたのは、地元紙「中都(チュンド)日報」の林秉安(イム・ビョンアン)記者(44)。水族館の広さは約6000平方メートルに及び、天井は最も高いところで6メートルもあるという。そしてこう教えてくれた。
「この水族館は、地下壕(ごう)の跡に建てられたのです」
林記者は大田に残る壕の調査・取材を続け、韓国政府が把握していない壕を10カ所以上も発見している。いずれも小規模なものだが、「壕の専門家」だ。
林記者はかつてこの水族館の壕について取材し、地元住民から「旧日本軍に動員されて壕建設に従事した」という証言を得て報道したことがある。韓国軍がつくったとの記録も見当たらないため、旧日本軍が設けたとみられる。水族館などによると、1970年代に韓国軍が訓練などに使用。その後、一帯が民間に売却され、2010年に水族館となった。
軍司令部を大田へ
太平洋戦争末期。本土決戦を覚悟した旧日本軍は、米軍が韓国・済州島(チェジュド)に上陸する可能性があるとみて、準備を急いでいた。米軍は実際には45年11月の九州上陸作戦を計画していたとされるが、日本側は九州や済州島を含む7カ所を予想地点としたからだ。
さらに旧日本軍は済州島の陥落後も想定し、朝鮮半島で徹底抗戦をしようと考えた。45年5月、半島を統括する17方面軍の司令部を決戦時には大田に移すと決め、通信網建設のため連隊を派遣した。旧日本軍の史料をたどると、水族館となった壕が「本土決戦」計画の拠点だった可能性が浮かび上がってきた。
17方面軍の井原潤次郎参謀長は戦後、こう証言している。
「南朝鮮が戦場となる時に軍司令部は(ソウルから)大田に前進するが、その際の用意に大田公園に大きな防空壕を掘り、終戦時はしっくいを塗るばかりになっていた」
井原参謀長は「大田公園に大きな防空壕」としているが、水族館一帯を調査したことがある東国(トングク)大(ソウル市)の曺建(チョ・ゴン)教授(49)によると、戦前に「大田公園」という名の公園は無かったという。ただ、大田で比較的大きな壕が見つかっているのはこの宝文山公園だけだ。曺教授は「この壕は物資の輸送が便利な大田駅の近くに位置し、さらには山の北側の渓谷に囲まれて防御に適している。建築方式が旧日本軍の地下施設と似ており、ここに司令部を置く計画だった可能性が高い」と指摘する。
ただ、未発見の大規模な壕がどこか他に存在する可能性も「完全に排除はできない」とし、断言を避けた。
ブドウ畑が広がる一帯に100の軍用壕
実は大田とは別に、本土決戦の拠点だった可能性を指摘される場所がもう1カ所ある。これも旧日本軍の史料に記述がある。
水族館から南東へ約35キロ進んだ忠清北道(チュンチョンプクド)永同(ヨンドン)郡。標高1000メートル級の山々が連…