北海道の昆布漁の船は朝一斉スタートするので近くの小島に住んだほうが有利 〜二十三夜待・最終夜〜
月齢二十三日目の夜にみんなで夜ふかしをして月の出を待つという江戸時代に流行したイベント、二十三夜待(にじゅうさんやまち)。
それを真似してみたい。みんなで JOYSOUND の VIPルームを借りて、二十三夜待と称して一人ずつ話をしようということになり、これまで2回の記事を書いた。
最後となる今回は、辻堂の話、北海道の離島の話、モンゴルの話だ。会場は引き続きJOYSOUND 品川港南口店のVIPルームである。
藤田さんの「辻堂」の話
まずは藤田哲史さんのお話だ。
藤田哲史さん藤田さんは道に詳しく、『日本の仰天道路』(実業之日本社)という本を共著で出したり、高速道路のサービスエリア等に置いてある雑誌に連載したりしている。
関連著書(藤田さんの当日の資料より)なのだが、今日の話は道とはあまり関係なく、「辻堂」についてだ。
辻堂といっても、JR東海道線の辻堂駅の話ではないという。
藤田:今日は「辻堂の習俗」ということでお話をするんですが、関東近辺の方にとっては、辻堂というと藤沢の辻堂のあたりの話なのかなと思うかもしれない。
会場:違うんですか?
藤田:違うんです。
きょうのお話の辻堂とはこんなやつだという。
藤田:こんなふうに、質素な仏堂があって仏様をお祀りしています。面白いのが、仏堂にとどまらずに公共の場になっているんですね。
会場:というと?
藤田:見ての通り開放的な空間で誰でも立ち寄れるので、昔の、徒歩で歩いていた旅人がここで休憩したりとか、四国だとお遍路さんがいるので、お遍路さんの休憩場所になったりとか。
あとは屋根があるので、雨露ぐらいはしのげます。なので、ほぼ野宿と同じなんですけど、ここで泊まったりしたそうです。
当誰でもぶらっと立ち寄れる場所なので、村の寄り合いとか、集会所になっていたりするんですけど、例えば野良仕事の合間におばあちゃんがちょっと来て休んだり、夏だと涼みに来たりとか、子供の遊び場になったりとか、そういう使われ方をしたりしています。
あとはバス停がこの前にあったりとか。要は村の中のランドマークになるので、道路に面しているということで、こういうことになっています。
会場から「辻堂」について質問が出る。
会場:辻堂って、辻にあるからってわけじゃないんですか。
藤田:辻にもあるんですけれど、辻って普通は十字路じゃないですか。どちらかというと、道路、街道に面しているぐらいの感じですね。
会場:すごい田舎で結構見るやつ、あれも辻堂だったんだ。おじいさん、おばあさんがいつもくつろいでいる。
辻堂の例
藤田:この辺りは昔の荘園だったんです。賀茂神社の荘園だった地域で、昔からの田園地帯なんですけれど、今はだいぶ宅地化が進んでいます。
会場3:でもやっぱり瓦なんでしょうかね。雪も降らないし。
藤田:これは4本柱なんですけど、一面だけ壁を作っているものです。
普通だと三方を囲んで、手前に扉を作ったりするんですけれど、ここは一面だけ壁にして、残りは開け放しちゃっている。
藤田:今回紹介するのは、大体この辺りのエリアです。
会場:福山が多いのか。
藤田:いくつかピックアップして行ってきたんですけれど、これは文化庁が昔にきちっと調べていて、『民俗資料選集』という記録集を残しているんです。
会場:そうなんだ! 文化庁偉い。
藤田:文化庁が偉いというか、文化庁が市町村の教育委員会を通じてやっているので、実際に調べたのは教育委員会の職員の方とか、地元の高校の先生とか、いわゆる郷土史家と言われる人たちです。
会場:なるほど地元の人なんですね
藤田:その教育委員会を通じてやっているところについては、しっかり調査していて、自分の町とか市の中を全部調べまくっている、悉皆調査(しっかいちょうさ)という感じです。
ただ、これがもうすでに半世紀経っちゃっているので、当時と現状がやっぱりだいぶ違ってきていて、資料集に載っているような行事がなくなっていたりする。
あと辻堂自体も、建物がだいぶ朽ちちゃっていたり、取り壊されてなくなっていたりもします。
藤田:で、辻堂は文化庁指定の無形民俗文化財になっています。
会場:(有形じゃなくて)無形なんですか。
藤田:そうなんです。推測なんですけれど、建物自体も、非常に簡素なものなので、例えば国宝の姫路城みたいに、建物自体に文化的な価値があるというよりは、こういう簡素なものを建てて仏様をお祀りして、そこに集まるという、その営み自体を文化財として捉えているんじゃないかなと。
会場:建物として残すのは大変ですもんね。
藤田:これは江戸時代からあるんですけれど、明治時代に建て替えられたりとか。棟札とかが残っているので分かるんですけれど、最近だとコンクリートに建て替えたりとかもあります。
会場:長く大事に使うという種類の建物じゃないんですね。
仏堂としての辻堂
藤田:まず、先ほど言ったように仏像をお祀りしているので、仏堂としての性質というところを見ていきます。
やっぱり屋根が立派なんですよ。左の3つが宝形造という、三角を組み合わせて四角錐の形に組む形で、仏堂のある意味定型的な形式になっています。
屋根の三角が集まる一番上のところは水が入るので、きちんと処理しないといけないんですが、そこに玉ねぎみたいなのが乗っていて、これが仏教の様式で決まっているもので、宝珠(ほうじゅ)という、縁起のいい玉とされているものです。
宝珠と露盤、宝相華(ほうそうげ)その宝珠の下に四角があって、これは露盤と言うんですけど、そこに花のような模様があって、これは宝相華(ほうそうげ)と言って、これも仏教の装飾です。
あと、(元の写真の)左下は茅葺きなんですけど、その上の2枚は瓦葺きで、丸瓦が縦に入っています。
こういうのは本瓦葺という、例えば奈良の東大寺なんかは全部こんな感じになっているんですけど、日本に最初に伝わった瓦葺きの古い形式を残しているものです。
仏堂の格式に照らし合わせると、格式の高い建築様式ということで用いられています。
これは三原市、今は合併しちゃっているんですけど、昔の久井町と呼ばれたところです。ここは宝形造(ほうぎょうづくり)ではなく一般の切妻屋根なんですけれど、それでも屋根の上に鯱が載っていて、やっぱりこういうところも、仏様がいらっしゃるところなので大切に、きちんと豪華にしようという意識が働いているのかな。
会場:広島の西の方って、屋根に鯱を乗っけている家がすごくいっぱいあるんですよ。東広島市とか、すごくいっぱいあります。
藤田:そうなんですか。もしかしたら地域的なものなのかもしれないですね。
会場1:名古屋城だけじゃないんですね。民家にもつけるんですね。 会場2:元々は火除けで、鯱は火事になったら水を吹いてくれるという設定なんです。
藤田:仏様のお祀りの仕方にもパターンがあって、左は仏像が1体しかないので箱に入っている。仏龕(ぶつがん)といいます。
真ん中のやつは数が増えていて、上に棚をかけている。右側のやつは一方を壁にして祭壇にしちゃっている。
会場:重さは大丈夫なんですかね。頭の上にあるのは怖い。
藤田:一般民家の神棚に近いなという感覚です。いわゆるお寺と違って、仏様の存在感って結構希薄なんですよ。
開けっ広げなのもあるんですけれど、仏様が上の方に位置しているので、直接目に入ってこないところがあって、そういうところが神棚に近い。
神棚って神様をお祀りしているんだけど、その下でみんな普通に生活している。辻堂も宗教空間ではあるんですけれど、いろんな行事に使ったり、人が集まったり休憩したりするのは、こういう空間配置にもよるのかなと思います。
会場:下に置かないでわざわざ上に置いているということは、仏像を大切にしているんでしょうね。
藤田:粗末には置けないという意識も働いているんだろうなと思います。
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藤田:やっぱり多いのがお地蔵様と観音様で、地蔵堂とか観音堂みたいな感じです。
なので、先ほど荻窪さんが道端のいろんな仏様を見せていましたけど、大体それと似たような感じです。
※初回の記事で二十三夜待の石仏コレクションを紹介していた
藤田:左は愛媛県の山奥の鬼北町で、四国八十八か所なので、やっぱり真言宗の影響ですね。
真ん中は馬頭観音で、よくある旅路の安全とか、牛馬が倒れたときの供養とか、そういう観音様なんですけど、右側にあるのが大日如来、左側がお大師様、弘法大師です。
四国八十八か所は弘法大師なんですけど、真言宗で一番尊い、一番大事な仏様は何かというと大日如来なんです。
会場:でも真ん中じゃないんだ。
藤田:右側は先ほどの久井町なんですけど、ここは真ん中が観音菩薩で、脇侍が不動明王と毘沙門天。これは天台宗の様式ですね。
これもやっぱり、地域の人の宗派というか、大事にするものが表れているという感じです。
辻堂だからというよりは、元々その地域が真言宗とか天台宗だからその仏様がいて、その地域の様式として、ああいう壁を作らない建物がある、ということなのかなと思います。
藤田:せっかくなので、お大師さんだけちょっとコレクションしてみました。
会場:すごい!
藤田:分かりやすいのは、手に三鈷杵(さんこしょ)を持っています。
※先端が3つに分かれた、密法の法具
合祀するパターン
いろんな仏様を一緒に祀る(合祀)するパターンもある。
藤田:例えば隣のお寺が廃寺になっちゃったから、そこの仏様を譲り受けて一緒にお祀りするとか。
辻堂は、四国だと茶堂という言い方をしますけれど、そこでは合祀というのがある程度当たり前のように行われています。
左のやつはもう棚が2段になってます。
会場:増えたんですね。
藤田:これは、先ほどの記録集によると茶堂と観音堂の2つがあるはずなんですが、行ったら1個しかない。どこだと探していたら石碑があって、実は合祀したことがわかった。
元々は、この茶堂の簡素な建物の方にはお大師さんをお祀りしていて、だから大師堂とも言われていた。それが道の拡幅で移設して、観音堂が廃止になったという経緯です。
会場:民間信仰的な、地蔵堂にいろんな仏様がだんだん集まってくるような感じですね。
藤田:だから多分これは住職さんが管理しているんじゃなくて、地域で管理しているんですね。
藤田:合祀しているものを見ていると、観音様とか色々あるんですけど、デザインコンセプトが似ているんです。
会場:同じ石工がやったんですかね。
藤田:馬頭観音が真ん中にいて、両脇に大日如来と弘法大師がいたので、おそらくこの3体が元々ここの茶堂のベースの組み合わせだった。
観音様は西国三十三か所で、左が1番那智山、右が33番谷汲山と書いてあります。
じゃあ2番から32番はどこかというと、昔の観音堂の跡のところに、石仏としてずっと並んでいるんです。
それも、本当にその観音堂に最初から33体あったのか、あるいは集落とか地域の33か所に散らばっていたのを集めたのか、その辺りは分かりません。いわゆる西国三十三か所の写しとして観音堂があって、その観音堂がなくなっちゃったので、ここの茶堂に一緒に合祀したと。
会場:鞆の浦でも、三十三か所の仏像がバラバラになっているのを、地元のおじいさんがちゃんと集めて番号をつけて整えた、というのがありました。
藤田:だんだん緩さ加減が分かってきていると思うので、今度は習合という話です。
会場:仏教と神道の要素が入り混じっている。
藤田:そうです。左はさっき言ったように仏様をお祀りしているんですけど、すごく神道の様式が入ってきちゃっている。
辻堂の前に茶色で囲ってあるのが、笹がもう枯れちゃっているんですけど、しめ飾りで、ここは辻堂の敷地自体が近くの神社の所有地になっていて、お祭りのときにはお神輿がここに立ち寄ります、というところです。
会場:神仏分離に引っかからなかったんだ。
藤田:そうですね。これぐらいはいいだろう、みたいな感じだと思うんですけど。
会場:お坊さんがいないからいいのか。
藤田:これは、お祀りしているのがお地蔵さんなんですけど、なぜか狛犬なんですよ。
会場1:これ何ですか。 会場2:狛犬が普及していく過程で、最初は狛犬のイメージがついていなくて、石工が聞いた話だけで作った、とかそういうものですよ。
会場1:めっちゃ可愛い。 会場2:想像で描いた象みたいな。
藤田:ここは道祖神、才の神のお堂と言われています。この場所が村の境だったので、(災いが入らないように)最初から注連縄が巡らしてあったりした。中を開けたら、御幣(ごへい)がこんなに。
※御幣:お祓いのときに使う神主さんが持っている白い紙
会場:こういう習合の形態を残しているんですね。
バス停としても使われる
藤田:街道に面しているので、ここでバスを待っている間に休むという使われ方もしています。
会場:バスはもう本数少ないですもんね。
藤田:その他の使われ方としては、左は念仏講です。
※念仏講:無病息災などを願って人々が組織した民間信仰の集まり
藤田:これは先ほどの記録集から持ってきたものなんですけれど、今はなくなっちゃったり、逆にたまにですけれど、地蔵盆とか念仏講とかを復活させたという話もあります。
会場:復活させるのは偉い。
藤田:杭茶堂にちょうど田植えの時期に行ったので、空の苗箱が置かれていました。
会場:マジか。
藤田:なんと50年前の写真でも置いてあるんです。多分肥料の袋か何かだと思うんですけど。
会場:そういう場所だったんだ。
藤田:ここの辻堂はずっと以前から農作業の物置きのような使われ方をしてきたんですね。
会場1:置き方がまた面白いですね。屋根の下に置きたいんですかね? 会場2:肥料は濡れちゃうと困るのかも。
藤田:あとは例えば、取りに来てくださいと言ったときも、茶堂のところにあるからね、と言うと分かりやすいですよね。
藤田:で、これは「旅人の休憩の場です」という札です。
「土足で上らないで下さい」と書いてあって、こういう意識が2011年の時点でもまだありました。右側は別の辻堂ですけど、こちらに付いてるのはゴミの収集日程が書いてあるプレートなんですよ。
会場:なるほど。
藤田:ゴミの集積場になっていたこともあった、ということですかね。
藤田:左は記録集の写真で、おばあさんが腰掛けていて、子供は元気に中で飛び跳ねている。ちょっと泣いちゃうようなノスタルジーの世界です。
右は、小学校高学年の女の子2人なんですけれど、放課後に宿題を持ち寄って辻堂に集合しているんですよ(※後述する取材のために撮影をお願いした)。
だから、この地域の子供たちの間では、辻堂で集まろう、みたいな感覚があるし、あそこに行ってダベっていてもいいんだ、という感覚もある。
会場:自由に使っていい空間なんですね。
藤田:左が50年前で、右が今です。また50年後はどうなっているのかなと。こういうのがまだ続いているといいなと思っています。
会場1:今の子だったら、絶対ここでみんなで集まってゲームをやってますよ。 会場2:すでにポケストップになってそう。
辻堂の発生形態について
藤田:あとは簡単に歴史です。これは土佐、高知県の方で、戦国時代の長宗我部氏の検地帳に記録が残っていた、というもの。ある程度自然発生的なものなのかなと思います。
藤田:旧福山藩領では、藩主がこういうもの(辻堂)を作りなさいと言っています。
会場:みんなが自由に使えて、日陰で雨風をしのげるところという役割なんですかね。
藤田:それと関係していると思うんですけど、左の写真は、仏様が建物の外にいますよね。右も、仏様を祀っている祠が別にあって、その前に建物を建てています。
文献資料とかがないので分からないんですけど、多分仏様が最初にあって、後からこの建物を建てたんじゃないかな、という匂いがプンプンしています。
会場:街道沿いとか村の入り口とかだから、こういうものを置くのにふさわしい場所なんでしょうね。
最後は宣伝。「路傍の建築」(実業之日本社)という共著の本が11月に出るとのこと。
今日のお話も、この本のための取材を元にしているとのこと。ありがたい。
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月齢二十三日目の夜にみんなで夜ふかしをして月の出を待つという江戸時代に流行したイベント、二十三夜待(にじゅうさんやまち)。
それを真似してみたい。みんなで JOYSOUND の VIPルームを借りて、二十三夜待と称して一人ずつ話をしようということになり、これまで2回の記事を書いた。
最後となる今回は、辻堂の話、北海道の離島の話、モンゴルの話だ。会場は引き続きJOYSOUND 品川港南口店のVIPルームである。
藤田さんの「辻堂」の話
まずは藤田哲史さんのお話だ。
藤田哲史さん藤田さんは道に詳しく、『日本の仰天道路』(実業之日本社)という本を共著で出したり、高速道路のサービスエリア等に置いてある雑誌に連載したりしている。
関連著書(藤田さんの当日の資料より)なのだが、今日の話は道とはあまり関係なく、「辻堂」についてだ。
辻堂といっても、JR東海道線の辻堂駅の話ではないという。
藤田:今日は「辻堂の習俗」ということでお話をするんですが、関東近辺の方にとっては、辻堂というと藤沢の辻堂のあたりの話なのかなと思うかもしれない。
会場:違うんですか?
藤田:違うんです。
きょうのお話の辻堂とはこんなやつだという。
藤田:こんなふうに、質素な仏堂があって仏様をお祀りしています。面白いのが、仏堂にとどまらずに公共の場になっているんですね。
会場:というと?
藤田:見ての通り開放的な空間で誰でも立ち寄れるので、昔の、徒歩で歩いていた旅人がここで休憩したりとか、四国だとお遍路さんがいるので、お遍路さんの休憩場所になったりとか。
あとは屋根があるので、雨露ぐらいはしのげます。なので、ほぼ野宿と同じなんですけど、ここで泊まったりしたそうです。
当誰でもぶらっと立ち寄れる場所なので、村の寄り合いとか、集会所になっていたりするんですけど、例えば野良仕事の合間におばあちゃんがちょっと来て休んだり、夏だと涼みに来たりとか、子供の遊び場になったりとか、そういう使われ方をしたりしています。
あとはバス停がこの前にあったりとか。要は村の中のランドマークになるので、道路に面しているということで、こういうことになっています。
会場から「辻堂」について質問が出る。
会場:辻堂って、辻にあるからってわけじゃないんですか。
藤田:辻にもあるんですけれど、辻って普通は十字路じゃないですか。どちらかというと、道路、街道に面しているぐらいの感じですね。
会場:すごい田舎で結構見るやつ、あれも辻堂だったんだ。おじいさん、おばあさんがいつもくつろいでいる。
辻堂の例
藤田:この辺りは昔の荘園だったんです。賀茂神社の荘園だった地域で、昔からの田園地帯なんですけれど、今はだいぶ宅地化が進んでいます。
会場3:でもやっぱり瓦なんでしょうかね。雪も降らないし。
藤田:これは4本柱なんですけど、一面だけ壁を作っているものです。
普通だと三方を囲んで、手前に扉を作ったりするんですけれど、ここは一面だけ壁にして、残りは開け放しちゃっている。
藤田:今回紹介するのは、大体この辺りのエリアです。
会場:福山が多いのか。
藤田:いくつかピックアップして行ってきたんですけれど、これは文化庁が昔にきちっと調べていて、『民俗資料選集』という記録集を残しているんです。
会場:そうなんだ! 文化庁偉い。
藤田:文化庁が偉いというか、文化庁が市町村の教育委員会を通じてやっているので、実際に調べたのは教育委員会の職員の方とか、地元の高校の先生とか、いわゆる郷土史家と言われる人たちです。
会場:なるほど地元の人なんですね
藤田:その教育委員会を通じてやっているところについては、しっかり調査していて、自分の町とか市の中を全部調べまくっている、悉皆調査(しっかいちょうさ)という感じです。
ただ、これがもうすでに半世紀経っちゃっているので、当時と現状がやっぱりだいぶ違ってきていて、資料集に載っているような行事がなくなっていたりする。
あと辻堂自体も、建物がだいぶ朽ちちゃっていたり、取り壊されてなくなっていたりもします。
藤田:で、辻堂は文化庁指定の無形民俗文化財になっています。
会場:(有形じゃなくて)無形なんですか。
藤田:そうなんです。推測なんですけれど、建物自体も、非常に簡素なものなので、例えば国宝の姫路城みたいに、建物自体に文化的な価値があるというよりは、こういう簡素なものを建てて仏様をお祀りして、そこに集まるという、その営み自体を文化財として捉えているんじゃないかなと。
会場:建物として残すのは大変ですもんね。
藤田:これは江戸時代からあるんですけれど、明治時代に建て替えられたりとか。棟札とかが残っているので分かるんですけれど、最近だとコンクリートに建て替えたりとかもあります。
会場:長く大事に使うという種類の建物じゃないんですね。
仏堂としての辻堂
藤田:まず、先ほど言ったように仏像をお祀りしているので、仏堂としての性質というところを見ていきます。
やっぱり屋根が立派なんですよ。左の3つが宝形造という、三角を組み合わせて四角錐の形に組む形で、仏堂のある意味定型的な形式になっています。
屋根の三角が集まる一番上のところは水が入るので、きちんと処理しないといけないんですが、そこに玉ねぎみたいなのが乗っていて、これが仏教の様式で決まっているもので、宝珠(ほうじゅ)という、縁起のいい玉とされているものです。
宝珠と露盤、宝相華(ほうそうげ)その宝珠の下に四角があって、これは露盤と言うんですけど、そこに花のような模様があって、これは宝相華(ほうそうげ)と言って、これも仏教の装飾です。
あと、(元の写真の)左下は茅葺きなんですけど、その上の2枚は瓦葺きで、丸瓦が縦に入っています。
こういうのは本瓦葺という、例えば奈良の東大寺なんかは全部こんな感じになっているんですけど、日本に最初に伝わった瓦葺きの古い形式を残しているものです。
仏堂の格式に照らし合わせると、格式の高い建築様式ということで用いられています。
これは三原市、今は合併しちゃっているんですけど、昔の久井町と呼ばれたところです。ここは宝形造(ほうぎょうづくり)ではなく一般の切妻屋根なんですけれど、それでも屋根の上に鯱が載っていて、やっぱりこういうところも、仏様がいらっしゃるところなので大切に、きちんと豪華にしようという意識が働いているのかな。
会場:広島の西の方って、屋根に鯱を乗っけている家がすごくいっぱいあるんですよ。東広島市とか、すごくいっぱいあります。
藤田:そうなんですか。もしかしたら地域的なものなのかもしれないですね。
会場1:名古屋城だけじゃないんですね。民家にもつけるんですね。 会場2:元々は火除けで、鯱は火事になったら水を吹いてくれるという設定なんです。
藤田:仏様のお祀りの仕方にもパターンがあって、左は仏像が1体しかないので箱に入っている。仏龕(ぶつがん)といいます。
真ん中のやつは数が増えていて、上に棚をかけている。右側のやつは一方を壁にして祭壇にしちゃっている。
会場:重さは大丈夫なんですかね。頭の上にあるのは怖い。
藤田:一般民家の神棚に近いなという感覚です。いわゆるお寺と違って、仏様の存在感って結構希薄なんですよ。
開けっ広げなのもあるんですけれど、仏様が上の方に位置しているので、直接目に入ってこないところがあって、そういうところが神棚に近い。
神棚って神様をお祀りしているんだけど、その下でみんな普通に生活している。辻堂も宗教空間ではあるんですけれど、いろんな行事に使ったり、人が集まったり休憩したりするのは、こういう空間配置にもよるのかなと思います。
会場:下に置かないでわざわざ上に置いているということは、仏像を大切にしているんでしょうね。
藤田:粗末には置けないという意識も働いているんだろうなと思います。