“渋谷の北朝鮮”と呼ばれたマンションが直面した現実「相場の30~40%に設定しても買い手がつかない」渋谷の一等地なのにマンションが売れない事情とは(文春オンライン)

 2020年2月の総会を終えて、有志の会の一部メンバーは手応えを感じていた。次回の役員改選で、勝負をかけられるのではないか。そんな感触をつかみつつあった。最大の理由は平時の総会の参加者が増えてきていたこと。加えて、委任状の集まりが80に届いていたことだった。  しかし、新型コロナウイルスの蔓延により、集会や活動に大きな制限がかけられることになる。以前より、活動資金を得ることも重要課題であった。19年に会則を作り、自治会で口座を開設した。これを最後に、集会所の閉鎖に伴い、月に2度開いていた集会は自粛を余儀なくされる。 「最もツラい時期を挙げるなら、20年3月からの半年間ですかね。そもそも満足な活動がほとんどできなかったので。これまで苦労して積み上げてきたものが手から崩れ落ちていくような感覚でした」

 手島は、後にこう振り返っている。  世間の風潮に鑑みても、とても開催に踏み切ることはできなかった。住民の中には仕事を失う可能性がある人、生活に不安を抱える人もいた。賛同者に高齢者が多いことから、集会によるクラスターの発生を恐れた面もある。  有志の会や自治会と日常生活を天秤にかけた時、大半の住民が自分の生活を優先した。手島にはそのことを咎めることなどできなかった。そんな中でも月に1度のメルマガ配信だけは継続した。  ようやく有志の会の活動が再開したのは、4カ月後、7月24日の昼下がりであった。通常であれば固定メンバーが10名ほどは参加していたが、この日は手島、今井、桜井の古参の3名の参加に留まった。 「前年のことが噓のように、委任状の数(の増加)も止まってしまった。それどころか、賛同者から抜けていく人もどんどん出てきたのです。集会すらままならないのですから、仕方ないですが、ゴールが見えない絶望感があった。ただ、私が折れると本当に終わってしまうかもしれない。病の身でも何とか顔に出さないように振る舞っていました」


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 プロローグで記したように、そんな折に私は佐藤と出会った。後に聞いた話だが、マスコミの取材が入ることに対して慎重な意見も少なくなかったという。 「取材により秀和幡ヶ谷が荒らされるのではないか」 「自分たちの生活に弊害が生まれるのではないか」  こんな声が上がった。おそらく私が区分所有者でも同じように感じただろう。これまで配慮に欠けたマスコミ取材が原因で活動が崩壊してきた現場を数々見てきた。マスコミを警戒する彼らの感覚は概ね正しい。むしろ、その慎重さゆえにここまで活動が成り立ってきたのだろうと想像がついた。

 行政や警察、司法も議員も動けない。そんな中で、藁にも縋るような気持ちでイチ記者である私に、人を介して佐藤からのコンタクトが届いた。 「正直に言うと、今後どうしていいのかもう分からなかった。理事会に委任状を預けている人たちは、有志の会の言動を『妄想だ』と捉えているような節すらあった。理事会がそう吹聴していたから、そのまま信じていたんだと思います。加えて、理事会のルールなど管理状況を一切知らなかった、知ろうとしなかった人たちも一定数いた。その見解を崩すには、我々の活動だけでは限界が来つつあった。もしかしたら1つの報道が流れを変えるかもしれない。そう信じるしか他に選択肢がなかったんです」  佐藤と何度かやり取りしたあと、私は「できるだけ多くの角度から証言を集めたい」と求めた。記事の構成としては、有志の会と管理組合の互いの意見を掲載する“紛争”報道にするしかないと考えていた。そんな中でも、区分所有者たちの切なる声はとくに細かく拾っておくべきだ、と判断した。  ここからの佐藤の行動は迅速だった。新宿の事務所で会ったあと、すぐに有志の会を集める段取りを組んだ。コロナ禍のため、せいぜい2〜3人の参加だろうと高をくくっていたが、10名ほどが区の集会所に集まった。ニット帽を被り、頭部を隠した手島の姿もあった。  有志の会の主張は、これまで記してきた管理体制の是非を問うものが大半だった。その上で、 (1)大幅な管理費値上げの見直し (2)国が推奨する総会運営の実現 (3)マンションのお金の流れの明確化(第三者機関などへの調査依頼) (4)避難経路の常時確保、外階段の常時施錠の撤廃 (5)デイケアなど、介護・医療機関の出入り制限の撤廃 (6)希望者には「バランス釜」から「ユニットバス」への変更を許可すること (7)現管理組合の固定理事による執行部長期体制の見直し  の7点を管理組合に求めていくという趣旨だった。さらに、一部の不動産業者への売買の解禁やタッチキーの付与についても言及した。  当時の私の取材メモを見返してみると、印象深い言葉に二重の赤線を引いていた。 「生活に自由がない」 「私たちは普通の暮らしを求めているだけ」  強烈な内容の管理ルールよりも、住民たちの口から次々とこぼれ出る率直な言葉に対して、心が動かされていた。

文春オンライン
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