古代マヤ天文学者の名前を初解読、その名も「白い胸の狐」

中米グアテマラのシュルトゥンにあるマヤ遺跡を調査していた考古学者たちが、史上初めて、古代マヤ文明の天文学者であり数学者でもあった人物の名前の解読に成功した。その名前は「白い胸の狐」を意味する「サク・ターン・ワーシュ(Sak Tahn Waax)」だった。論文は、2026年7月14日付で学術誌「Antiquity」に発表された。

マヤの天文学者たちは長い間、その科学的功績が認められることなく、歴史の陰に埋もれた存在だった、とナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)でもあるデイビッド・スチュアート氏は説明する。論文の著者の一人である氏は、米テキサス大学オースティン校の考古学者で碑文研究者でもある。

「ついに、その名前が分かったのです」と、スチュアート氏は言う。

名前が見つかったのは、シュルトゥン遺跡内の「建造物10K-2」と呼ばれる小さな長方形の部屋だ。部屋の壁には、数学に関する50点以上の小さな書き込み「マイクロテキスト」が、うっすらと描かれたり刻まれたりしていた。

そのうちの一点、11個の象形文字からなる書き込みに名前が含まれていた。それだけでなく、この人物が関与したとみられる金星と火星の惑星運動に関する数式も見つかった。

今までに知られている限りでは、マヤの天文学者や数学者の功績が認められた最初で唯一の事例だ。今回の発見から、古代メソアメリカで天文学や数学に携わった学者の一人が、どのような研究をしていたかについて、かつてない知見を得ることができた。

「まさに、誰かが使っていた研究室の古い『ホワイトボード』を見ているようなものです」と、スチュアート氏は語る。「しかも、それを書いた人物の名前まで残っていたんですよ。おかげで、マヤの科学がこれまでよりずっと人間味のあるものに感じられます」

今や、サク・ターン・ワーシュはピタゴラス、ガリレオ、ニュートンといった影響力のある天文学者や数学者たちと並んで、歴史に名を刻む人物となった。そう話すのは、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーであり、米スキッドモア・カレッジの考古学者でもあり、この遺跡を調査する「サンバルトロ=シュルトゥン・プロジェクト」の責任者を務めるヘザー・ハースト氏だ。

「たった一人の人物によって、この伝統全体が生き生きと蘇るのです」と、ハースト氏は言う。

サク・ターン・ワーシュ自身が数式を記したのか、それとも別の誰かが壁に式を記し、それをサク・ターン・ワーシュの業績としたのか、あるいは単に部下の成果を自分のものとしたのかは依然として不明だ。それでも、この名前の背後には、星々の謎を解き明かしてきたマヤの熟練した天文学者や数学者の長い系譜が連なっている。

「私は生涯をかけて天文考古学に取り組んできましたが、これはマヤの科学を理解するうえで最も素晴らしい発見と言っていいでしょう」と、米コルゲート大学の天文考古学者、アンソニー・アベニ氏は語る。氏は2012年、シュルトゥン遺跡で見つかった天文表の分析にスチュアート氏と共に携わったが、今回の研究には関与していない。「同じ天文学者として、喜ばしい限りです」

2010年、米ボストン大学の好奇心旺盛な学部生だったマクスウェル・チェンバレン氏は、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーであるウィリアム・サトゥルノ氏と共に、シュルトゥン遺跡の調査を行っていた。そのとき、目立たない塚に略奪者が掘ったトンネルをのぞいてみようと思い立った。

チェンバレン氏はすぐに、そのトンネルが小さな長方形の部屋をまっすぐ貫いていて、部屋には精巧な壁画の痕跡が残っていることに気づいた。部屋の広さは約1.8メートル四方。マヤの人々がその周囲に新たな建造物を築く前に、意図的に泥や岩で埋め戻されていた。

その後の発掘調査によって、保存状態の極めて良好な壁画には、王室の書記官たちが熱心に仕事に取り組む様子が描かれていることが明らかになった。

シュルトゥン遺跡は、有名な古代都市国家ティカルの北東約40キロに位置する古代マヤの都市であり、マヤ古典期(西暦250〜900年)に繁栄した。遺跡の存在が初めて報じられたのは1915年だが、2008年に調査が始まるまで、考古学的な発掘はほとんど行われてこなかった。

遺跡の総面積は約16平方キロに及ぶ。数多くの記念碑や神殿が立ち並び、そのなかには高さ35メートルに達するものもある。

「ここは大規模ながら、誰も聞いたことのなかったような遺跡です」と、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の考古学者であり、本論文の筆頭著者であるフランコ・ロッシ氏は語る。

これまでの研究によって、建造物10K-2にある遺物の年代は8世紀後半だと推定されている。つまり、この部屋で人々が働いていた時期は、マヤ世界の広い範囲で人口が激減し移住が行われた、いわゆる「マヤ文明の崩壊」より前だったと考えられる。

ある日、ロッシ氏はその部屋の東側の壁に書かれた、かすれた走り書きについて考えを巡らせていた。その文字は、まだ解読されていない大きなマヤ象形文字の並びの下にあった。陰影や色を調整できるさまざまなソフトウェアを使って、その文字を何度も調べているうちに、突然にひらめいたという。これは名前ではないかと。

「こうした文字列は、いくら見続けても、ピンとこないことがあります」とロッシ氏は言う。「ところが、ある日ふと目にした瞬間に、パッと理解できるのです」

鍵となったのは、11個の象形文字のうち、最後の2文字だった。1文字目は「チェ・ヘ・ナ(che-he-na)」あるいは「チェヘーン(cheheen)」と読む。「かく語りき」というような意味だ。その後に、明らかに個人の署名を表す文字が続いていた。

慎重に検討を重ねた末、研究チームはその名前を「サク・ターン・ワーシュ」と読むことで意見が一致した。おおまかに翻訳すれば「白い胸の狐」という意味になる。

「この名前自体はごく単純なもので、マヤの王や上位の王族によく見られるような、仰々しい響きの名前ではありません」と、スチュアート氏は話す。例えば、6世紀にマヤを統治したある王は、「蛇の神の頭は炎のごとし」を意味する、「カック・ウホル・キニチ(K'ahk'ujol K'inich)」という名前だった。

サク・ターン・ワーシュという名前は、古代マヤで専門職に就いていた人々がどのような名前を与えられていたかを知る貴重な手がかりとなる、とスチュアート氏は付け加えた。

しかし、書かれているのは名前だけではない。「かく語りき」とある通り、サク・ターン・ワーシュは残りの文字列の内容に関わっているのだ。「みんなの研究心に火が付き、本格的な研究に乗り出しました」とロッシ氏は話す。

名前を突き止めたロッシ氏らは、その署名に連なる謎の象形文字列が重要であることは承知していたものの、正確な意味までは分からなかった。ここから、残りの文字を解読するという、さらに難しい作業が始まった。

かすかな点や棒、記号を解読すべく、何時間にも及ぶ解読作業を何度も繰り返した結果、研究チームはこれらの文字が、火星と金星の周期を独自に組み合わせた、緻密な構成の数式であることを突き止めた。こうした天文計算は、マヤの天文学者たちがとりわけ好んだものの一つだ。

この数式は、2920日という周期を導き出すことを目的としている。2920日は、金星の会合周期(太陽から見て、地球と金星が同じ方向にくる平均的周期)の5倍に相当する。さらに研究チームは、数式に含まれる日付から逆算し、この数式が西暦781年のものだと特定した。

「名詞も動詞もなく、何かの出来事を記したものでもありませんでした」と、ハースト氏は言う。「純粋な数学だったのです」

こうした天体観測は、マヤの人々の生活や宗教と切り離せないものだった。古代マヤ人は、肉眼で見える太陽系の惑星の周期的な動きを追跡し、春分や秋分といった重要な出来事に合わせて、神殿をはじめとする巨大建造物の配置を決めることさえあった。また石碑には、天体周期の観測に基づいて数千年先まで算出した「長期暦」がたびたび刻まれている。

「望遠鏡の助けも、コンピュータの助けも、科学技術の助けも借りずに成し遂げたのです」とアベニ氏は言う。

サク・ターン・ワーシュの業績は、樹皮から作られた紙に描かれた『ドレスデン絵文書』のような、古代マヤの有名な書物につながるものだったようだ。こうした書物は、薬の知識から月食の正確な日付に至るまで、科学や数学に関するあらゆる事柄を記した長大な集成書だ。そのなかにはサク・ターン・ワーシュの時代から数百年後に編まれたものもあった。

数式が描かれた部屋は、おそらくマヤの天文学者たちが星々の運行を記録していた作業場だったのだろう。この部屋で下書きを作り、協力して細部を詰めてから、手の込んだ絵文書を清書していたと考えられる。

ハースト氏によると、サク・ターン・ワーシュの署名入り象形文字列がシュルトゥン遺跡の壁に描かれる何百年も前から、マヤ人が春分や秋分を観測し、天体の動きを記録していたことは、考古学の研究で以前から分かっていたという。

「しかし、それが一人の名前と結びついた途端に、古代の人々も私たちと同じ人間だったと身近に感じられるようになったのです」と、ハースト氏は語った。

文=Taylor Mitchell Brown/訳=片神貴子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2026年7月17日公開)

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