高2死亡シンドラー社エレベーター事故19年 碑に再発防止誓い、母「命の大切さ考えて」
平成18年6月、東京都港区のマンションで住人の都立高校2年、市川大輔(ひろすけ)さん=当時(16)=が、シンドラーエレベータ社製のエレベーターに挟まれ死亡した事故で、再発防止を誓う「安全の碑」が港区役所に設置され、23日に除幕式が行われた。事故は6月で19年を迎える。大輔さんの母、正子さん(73)は「1人の少年の生き方を感じて、命の大切さについて考えてほしい」と訴える。
港区役所に設置
《与えられた時間は、みな同じなのだから、その時間をいかに有意義に使うかだと思う》。区役所本庁舎正面玄関前に設置された安全の碑には、事故の約1週間前、大輔さんが打ち込んでいた野球の日記に書いた、この言葉とともに区の安全への誓いが刻まれた。
野球に打ち込んでいた高校時代の市川大輔さん(遺族提供)事故後、正子さんは大輔さんが通っていた都立小山台高校野球部の保護者らで「赤とんぼの会」を結成。代表として、原因究明への署名活動の実施やエレベーターの安全対策の強化を講演会などで訴え続けている。「エレベーターを使うときにメーカーを選ぶことはないと思う。だから事故は息子だけの問題ではない」と語る。
正子さんは事故以降、エレベーターに乗ることができなくなった。買い物の後でも、重い荷物を持って12階にある自宅まで階段を使う。上る途中に「もっとやれたことはないのかと考える」と、気づけば13階まで上っていることもあるという。
二度と起こさない
港区役所に建立された安全の碑=23日午前、東京都港区役所(梶原龍撮影)碑の設置は、令和元年から区と正子さんらで協議が進められていた。区と話し合い、事故のことや安全への誓いを発信するために設置が決まった。新型コロナウイルスの影響で一時中断した際には、正子さんは碑の設置場所の草むしりを行っていたという。
この日行われた除幕式で港区の清家愛区長は「二度とこういう事故を起こしてはいけないという痛切な戒めだ」と話した。
6月で事故から19年。正子さんは「助けられた命、防げた事故だった」と振り返る。「奪われた命は二度と返らない。でも、今生きる私たちが二度と起きないようにすることはできる」と前を向く。正子さんは12日で73歳を迎えた。「つえをついてでも安全について訴え続けたい」。力をこめた。(梶原龍、写真も)
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事故を受け、国は平成21年9月28日以降に新設するエレベーターには扉が開いた状態でかごが動いた際に非常停止させる二重ブレーキの設置を義務付けた。
ただ、それ以前にすでに設置されているエレベーターについて、国は規制の「網」をかけず、国土交通省によると、令和5年度に定期検査報告が行われた全国のエレベーター約76万台のうち、義務化された二重ブレーキの設置は37%にあたる約28万台にとどまる。国交省は補助金の支援なども行い普及に努めているが、いまだに多くのエレベーターに二重ブレーキは設置されていない。
こうした中、事故も後を絶たない。
昨年1月には仙台市のマンションで扉が開いたまま、かごが上昇し、乗っていた2人が負傷。国交省によると、義務化前のエレベーターで、二重ブレーキは設置されていなかった。今年2月には神戸市の商業ビルで男性がエレベーターが昇降する空間の底で倒れているのが見つかり死亡が確認された。かごがなく、4階から転落した可能性があるとみられている。
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エレベーター死亡事故 平成18年6月3日、東京都港区のマンションで住人の都立高校2年、市川大輔(ひろすけ)さん=当時(16)=が帰宅中、1階からシンドラーエレベータ社製エレベーターに乗車し、自宅のある12階で降りようとしたところ、扉が開いたまま上昇。かごの床と12階の天井に体が挟まれ死亡した。遺族は区やシンドラー社に損害賠償を求めて提訴し、29年に和解が成立した。