フジ問題「性暴力許されない、共有を」中居氏側反論は「狭義で時代遅れ」角田由紀子弁護士
元タレントの中居正広氏のフジテレビ社員に対する「性暴力」を認定し、フジの対応や企業体質などの問題を指摘した第三者委員会の調査報告書が公表されてから1カ月半が過ぎた。フジは再発防止策を総務省に提出したが、一連の問題から社会は何を学ぶべきなのか。性暴力問題に長年取り組んできた角田由紀子弁護士に見解を聞いた。(聞き手 飯塚友子)
第三者委は、短期間でいい仕事をした。社員約1200人からの聞き取りのほか、フジ役職員のスマートフォンのやり取りを復元するなど、捜査機関ではない限界もあるが、最新技術を駆使し説得力がある。
今回の被害を「『業務の延長線上』における性暴力」と認めたのは、私からすると当たり前だが、社会がこの調査結果を承認するところまで成熟したことが大きい。
この報告書を、同じ(性暴力の)問題を抱える人は皆読んだと思う。「私も同じだった」と思い当たる人が多くいたはず。女性は黙って我慢し、受け流すのが正しいと思わされてきた、と気づいたはずだ。
30年前の感覚だ
私が日本で最初のセクハラ事件で勝訴したのは平成4年、33年前だ。当時は、今で言うセクハラ被害で辞職しても、「セクハラ」という言葉もないから認識もない。だから「人間関係がうまくいかない」という理由で辞めざるを得なかったケースが多かった。
珍しい裁判だったのでニュースで取り上げられたが、新橋駅前でサラリーマンが「会社で女の子のお尻を触るぐらい、人間関係の潤滑油」と感想を述べたのが忘れられない。それは当時、普通の感覚だった。触られる側がどう思うかは一切考えない、つまり女性社員の人権はなかった。中居氏と、女性社員を「喜び組」と称し接待要員にしていたフジは、30年前の感覚のままだったということだ。
女性の社会進出が進み、性暴力に対し発言できるようになってきたことも大きい。社会的理解との相乗効果で、性暴力は許されないと明確になったが、それでもまだ一部だ。上田清司参院議員の公設秘書の性暴力事件で国側は、被害女性について「最後まで十分、抵抗しなかったから同意があった」と主張した。男女の性的なことが関わると〝当事者間のプライベートな恋愛のこじれ〟とするのは、フジと同じ構造だ。
結局、世の中の変化と無関係だったのは「オールドボーイズクラブ」と指摘されたフジ幹部だけで、まともな若手社員ほど組織に疑問を抱いていただろう。同質性の高い人間が集まれば偏った見方になるはずで、複眼で物事を見た方が裏側も見えるのは当然だ。第三者委は、調査で若手のメッセージを真摯(しんし)に受け取り、彼らには希望があると訴えた。そこにフジ再生の道が開けると思う。
死屍累々の上に
フジのスポンサー離れはCMを出せば人権感覚のない会社と思われるリスクがあるからで健全な反応だ。人権感覚がようやく企業活動の判断基準に入った。
第三者委員会の報告書は読む側の姿勢も問われる。いい教材として社会が変われば、今回の問題も無駄ではなかったことになる。ただ、被害女性という犠牲者が必要だったのはおかしい。今までも名もなき犠牲者が多数いて、黙って辞めていったのだろう。それは主として女性で、死屍累々の上にこの報告書がある。
報告書に対し中居氏側が今月12日、「『性暴力』は確認されなかった」と反論したが、これは極めて狭義で時代遅れの解釈だ。令和5年7月の刑法改正で、従来の強制性交罪は不同意性交罪に名称変更され、被害者が同意を拒否できない状態に置かれた場合も、性暴力として処罰対象になった。しかし、中居氏側が言う「性暴力」は暴行や脅迫で、非常に狭い、肉体的暴力に限定されている。性暴力ではないと言うなら、なぜ被害者はPTSD(心的外傷後ストレス障害)で入院しなければならなかったのか。意思を抑圧したことが最大の問題だ。
現代は、性暴力にセクハラも含まれる。性暴力をなくすには、人権教育と制度整備が求められる。誰かを犠牲にする社会は、行き詰まる。日本では法律上、セクハラの定義がなく、罰則規定もない。性暴力は許されないと国民全体で理解を共有しなければいけない。
角田由紀子
角田由紀子弁護士=静岡県沼津市つのだ・ゆきこ 昭和17年生まれ。東京大卒。平成4年、原告代理人を務めたセクハラ裁判で日本で初めて勝訴。最近も上田清司参院議員の公設秘書から性暴力を受けた女性の代理人として、国家賠償請求訴訟で勝訴した。著書に「性と法律」(岩波新書)など。