津波で父を亡くし孤児に 泳いで近所の家に避難、体験語り防災教育 香月昴飛さん(32) あの日からあの場所で 東日本大震災15年
段ボールを何層にも重ねてまちの地形を作ると、平面では見えてこなかった高低差や浸水などの危険な地域が見えてくる。一般社団法人「防災ジオラマ推進ネットワーク」が開催する災害時の危険を子供たちに体感してもらうワークショップ。香月昴飛(るいと)さん(32)はここで、高校2年生で経験した東日本大震災のことをありのまま伝えている。
言葉に詰まることもある。「それでもいい。言葉に詰まるほど、恐ろしいことが起こったと伝われば」。毎回必死で話をする。あの日起きたことを話して、自分ごととしてとらえてもらえない人にも災害に対する意識が変わってもらえるなら。
車の窓から脱出
平成23年3月11日。香月さんは熱を出して高校を休み、宮城県石巻市の自宅2階のベッドで寝ていた。母親は震災以前に病死しており、父の泰志さん=当時(48)=は仕事の休憩時間で1階にいた。
午後2時46分、最大震度7の大きな揺れが襲い、家具は倒れ、窓は枠から外れた。急いで泰志さんと車に乗った。大通りは信号の停電の影響で大渋滞を起こし、列は全く動かなかった。海の方から津波がやってくるのが見えた。「3メートルはあった」。このままでは溺れると思い、泰志さんとともに窓から脱出した。
「一瞬息をついても、またすぐにのまれての繰り返しだった」。どれだけ流されてもあきらめずに泳いだ。いつの間にか泰志さんの姿が見えなくなっていた。流れてきたがれきがぶつかり、脚から出血していたが、父のことを探し続けた。
日が暮れるにつれ気温は下がり、雪も降る中、内陸の方へ泳いだ。「このままいたら、自分も死んでしまう」。父を見つけるのは、あきらめるしかなかった。
戸建て住宅2階の窓に、高齢の女性の姿が見えた。泳いで近づいて助けを求め、家の中に入れてもらった。女性の夫は2階に上がる階段で息絶えていた。幸い2階は浸水しておらず、服を着替えさせてもらい、眠りにつくことができた。
翌日、家に残るという女性を説得し、近くの渡波(わたのは)小学校の体育館に避難したが、眠るスペースはなかった。近所の人とともに農協の倉庫で2週間ほど過ごした後、石巻市内の伯父の家に寄せてもらった。父の遺体は地震から約1カ月後、遺体安置所になっていた青果市場で発見した。
被災した周辺の避難所などを探し続け、再会はかなったものの、じっと見つめることしかできなかった。当時は火葬待ちの遺体があふれ、待つ間は仮埋葬となった。
泰志さんは香月さんの小学校の陸上や中高のバスケットボールの練習に付き合ってくれたり、大会に来てくれたりしたという。「しつけには厳しいけど自分の成長に興味関心を持って関わろうと思ってくれる父だった」
「衝撃残って」
高校卒業後は消防士になった。捜索活動を目の当たりにし、自分も人を助けられるようになりたいと願った。8年間、火災や救急の現場で従事した後、IT企業に転職。そして、震災の経験を伝える講話をこれまで50回以上行っている。
子供たちを前に震災講話をする香月昴飛さん(本人提供)「震災講話をするのは、自分のためでもある」。年々薄れていく記憶を、次の世代に伝承すると同時に、自分の中でも繫(つな)ぎとめたいと思っている。自分の記憶がなくなってしまえば、何も受け継ぐことができない。全ては次世代の命を震災から救うためだ。
「被災したらどれだけ残酷な事態になるか。体験する前に自分の話が衝撃的なものとして残り、防災の大切さが伝わったら」(堀川玲)