NYタイムズ「スパイの巣窟」報道が突き付けたもの~問われる国家の能力と信頼性(筑波大学教授・東野篤子):時事ドットコム

 7月12日付の米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)の調査報道「プーチンはいかにして日本をスパイの巣窟にしたのか」は、そのセンセーショナルなタイトルもあいまって、日本に大きな衝撃をもたらした。

 同紙の報道が日本に突き付けた問題は、主に四つに分類できる。第一に、ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)が日本国内で活動し、先端技術と物流網に接近しているという防諜上の問題。第二に、日本製の民生・デュアルユース部品が第三国経由でロシアに流れ、ミサイルや無人機に組み込まれているという輸出管理上の問題である。

 第三に、警察、外務省、経済産業省、税関などがそれぞれ保有する情報を、迅速な捜査、輸出停止、企業への警告、制裁対象の指定に結び付けられていたのかという、省庁間連携の問題。第四に、ウクライナをはじめとする各国政府から繰り返し警告を受けながら、日本政府が個別案件について何を調査し、どのような是正措置を講じたのかが、外部からほとんど見えないという説明責任の問題である。

 NYTは、西側5カ国の現・元情報当局者への取材などを基に、GRUの「第20局」が日本で軍事転用可能な技術を調達し、その活動を、アエロフロート東京支店に勤務するマクシム・フィルチェンコフが指揮していると報じた。日本の物流会社との関係や、スリランカ、ウズベキスタン、ベトナムなどを経由する商流も指摘している。

 ただし、記事中で名指しされた物流会社の経営者は、フィルチェンコフが情報機関員であることを知らず、禁止品の輸送にも関与していないと否定している。同社は違法行為で訴追されていない。日本の製造企業が、ロシア軍への転用を認識しながら販売したことを示す証拠も提示されていない。この点は明確にしておく必要がある。

 さらに、西側諸国から追放されたロシア情報機関員のうち「数十人」が日本に移ったとの情報は、現時点ではNYTの情報源に依存している。欧州で大規模な追放が行われたこと自体は確認されているが、その後の具体的な日本への移動人数は公的資料では確認できない。

情報・輸出管理の甘さで損なわれる国益

 「ロシアのミサイル・無人機の90%に日本製部品が含まれる」との表現にも注意が必要である。6月28日の共同通信報道でウクライナ大統領顧問が述べたのは、確認対象となった巡航・弾道ミサイルと無人機の「機種のうち約9割」に、少なくとも一つの日本企業製部品が含まれていたという趣旨であり、全構成部品の90%が日本製だという意味ではない。調査対象となった機種、標本数、製造年代、真正品か模倣品かなど、推計方法の詳細も公表されていない。

 ウクライナ国防省情報総局の公開データベースには、2026年5月25日現在、202の兵器・機材から確認された5816件の外国製部品が登録されているが、このデータベースだけから「90%」を再現することはできない。しかしそうではあっても、NYT報道の意義は、日本をロシア兵器の調達網の一例として、具体的に描き出した点にあるといえるだろう。

 今回の件が日本の国益に及ぼしうるダメージは決して小さくない。日本が機密情報や機微技術、輸出の管理に甘く、同盟国・同志国からの警告にも十分に対応しない国とみなされ、その疑念を払拭できなければ、日本に共有される情報の範囲、即時性、具体性が制限され、共同分析や作戦調整から事実上遠ざけられる可能性がある。

 防衛装備・先端技術の分野でも、共同研究や輸出許可に追加的な条件や監査が課され、日本企業が重要な国際共同開発やサプライチェーンから外されることにもつながりかねない。安全保障における信頼とは、情報、技術、装備、政策協調へのアクセスを左右する実務上の資産である。

 しかも、日本由来の製品がロシア兵器に組み込まれ、ウクライナ人の殺害に利用されている可能性があるとすれば、損なわれるのは、同盟国・同志国との協力を通じて自国の安全を確保するという、日本の国益そのものである。

スパイ行為の処罰対象拡大だけでは不十分

 しかし、この報道後の日本の議論の多くは、「スパイ防止法が必要か否か」という二択に収斂(しゅうれん)しがちであった。防諜法制の整備は重要である。だが、スパイ行為の処罰対象を拡大するだけでは、第三国の仲介企業、販売代理店、物流会社を経由する部品の流れは止まらない。逆に、輸出管理だけを強化しても、情報機関が把握した諸問題について、企業や税関に利用可能な形で情報が渡らなければ実効性は乏しい。本件は防諜と経済安全保障が交差する問題であり、いずれか一方の法律だけで解決できる性質のものではない。

 日本政府が何もしてこなかったわけでもない。経産省は、ロシア兵器から確認された集積回路、通信機器、ダイオード、工作機械関連品目など50品目を「共通最優先品目(Common High Priority Items)」に指定し、全てをロシア向け輸出禁止の対象としている。第三国向け取引についても▽侵略開始後に注文量が急増した▽需要者の事業規模に比して数量が過大である▽輸送ルートが不明瞭である―など、11の警戒事例を示している。

 2025年10月には通常兵器に関するキャッチオール規制も改められ、リスト規制外の集積回路、工作機械、無人航空機部品などについて、軍事転用の懸念が高い場合には輸出者による許可申請が必要となった。2025年9月時点では、制裁迂回(うかい)への関与が疑われる中国、トルコ、アラブ首長国連邦、中央アジア諸国などの計56団体も輸出禁止対象とされている。したがって、「日本には迂回輸出対策が存在しない」というわけではない。

 しかしNYT記事からは、具体的な警告を受けた後に日本政府がいかなる対応を取ったのかが不明である。同紙によれば、ウクライナ政府は2025年4月だけで少なくとも8通、その後も同程度の外交文書を日本外務省に送り、日本製部品が確認された兵器や企業名を伝えていた。西側政府も、日本側にGRU関連の調達網について情報提供していたという。

 それらを受けてどのような調査が行われたのか。どの情報が警察、経産省、税関、製造企業に共有され、どの取引が停止され、どの仲介業者が監視対象となったのか。政府は、その成果を明らかにしていない。

日本は警告を適切に受け止めたか

 5月に成立した国家情報会議設置法は、首相を議長とする国家情報会議と、その事務局となる国家情報局を設け、関係省庁に適時の情報提供を求めている。これは縦割りの是正に向けた一歩である。しかし、現状で改めて必要なのは、ウクライナの戦場で部品が発見された時点から、日本国内の製造・販売記録を確認し、第三国への輸出動向を分析し、新たな流出を遮断するまでの「戦場―情報機関―輸出管理当局―企業―税関」のフィードバック・ループである。

 具体的には、第一に、ウクライナ側から型番、シリアル番号、製造時期などの情報を受けた場合、政府と企業が期限を区切って商流を追跡する仕組みを設ける必要がある。第二に、特定品目の輸出が侵略前と比べて不自然に増加した国、企業、物流経路を抽出し、高リスク取引に検査を集中させる。

 第三に、販売代理店を含む定期監査、ロシアへの再輸出禁止条項、最終販売時点のデータ保存を、リスクに応じて強化する。第四に、情報源や捜査手法を秘匿しながらも、調査件数、輸出停止件数、第三国企業の追加指定などを集計して公表し、制度が実際に作動していることを示すことなどが考えられる。

 NYT報道への反発として、「秋葉原で販売される全ての電子部品を規制しろとでもいうのか」や、「日本製品の輸出を全面的に停止しろというのか」などの極論が散見された。

 しかし、実際に求められるのは危険度の高い取引を重点的に管理するという、リスクベースの対応である。たしかに本件は「出来ない」「やらない」理由を探すほうが簡単なのであろうが、「完全に防げないから制度を改善しても無意味だ」という議論は、政策論としては非建設的である。

 「ロシア兵器からは米国製部品の方が多く確認されている」との反論もある。実際、米上院の常設調査小委員会は、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)が分析した450種類の外国製部品のうち318種類が米国企業由来だったとの調査を紹介し、米半導体企業の対応を不十分と批判した。 同委員会は、輸出管理制度の定期監査、販売代理店に対する可視性の向上、外部から照会を受けた際の迅速な追跡を勧告している。ここから導かれる結論は「米国の方が多いから日本は問題ではない」ではなく、米国も日本も、それぞれ自国企業の製品について改善責任を負うということであろう。

 NYT報道が日本に突き付けた最も本質的な問いは、日本政府が警告を情報に変え、情報を措置に変え、その結果をロシアの侵略に4年間苦しみ続けているウクライナや、同志諸国に説明できるかという、国家能力と信頼性の問題なのである。(2026年7月27日掲載)

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