モスクワ市民が戦争を容認するワケ、プーチン政権が作り出した「命の格差」の残酷さ(ダイヤモンド・オンライン)
ウクライナの戦場ではすでに120万人を超える死傷者が出ている。それでもロシアでは、契約軍人に志願する人々が後を絶たない。なぜ彼らは命の危険を承知で戦場に向かうのか。その背景には、愛国心や強制だけでは説明しきれない、別の現実がある。※本稿は、東京大学先端科学技術研究センター准教授の小泉 悠『現代戦争論――ロシア・ウクライナから考える世界の行方』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 首都と旧都が空襲されても ロシアに反戦の声はわずか 「戦時下」という言葉は、現代の日本語としてはほぼ死語に近いものであろう。80年以上にわたって戦争を経験していないのだから、当然ではある。 この点は、ロシアもそう変わらない。1990年代のチェチェン戦争以降、ロシアは常に何らかの戦争を経験してはきたのだが、それはあくまでもどこか遠くで行われている戦争であった。 モスクワに爆弾が落ちてきて市民が防空壕に避難するとか、軍需工場が24時間稼働して労働者が昼夜となく武器弾薬を生産するといった意味での、誰の目にもそうとわかる「戦時下」を、多くのロシア人は経験してこなかった。 だが、今回の戦争はそうではない。戦争はロシアのすぐ隣で行われており、膨大な数の人々がロシア全土から戦場に送り込まれている。 2024年頃からはモスクワやサンクトペテルブルグがウクライナの自爆ドローンによる空襲を受けることも珍しくなくなっており、新聞を開けば「昨夜はウクライナのドローン××機を撃墜」という見出しを毎日のように目にすることになった。
だが、それでもロシア国民一般の中から、この戦争を止めようという動きは生まれてこない。 それはなぜなのか、という問いはこの戦争が始まってから幾度となく繰り返されてきた。筆者自身もテレビの番組などで度々そのような問いに遭遇してきた。 真っ先に思い浮かぶ答えは、政権による弾圧を恐れているから、とか、人々が政権のプロパガンダに毒されているからといったあたりであろう。 実際、開戦後にロシア国内で起きた反戦デモに対して、プーチン政権は治安部隊による暴力的な鎮圧で応じた。 根拠も定かでないままに拘束されたり、職を追われたりした人々はかなりの数に上る。 また、開戦前から徐々に強まっていたテレビやインターネットに対する統制は開戦後にさらに厳しさを増した。「ドーシチ」(編集部注/ロシアの独立系テレビ局)のような反体制派メディアが次々と閉鎖に追い込まれたことはその好例だ。 戦争に反対の声を挙げる人々はいないわけではないが、彼らの多くは「外国のエージェント」などのレッテルを貼られ、社会の中でますます肩身の狭い思いを強いられている。 一方、メディアでは連日のようにロシア軍の敢闘や戦果が強調され、ウクライナの背後にいる欧米諸国の悪辣さが強調されているというのが現在のロシアの状況であるから、「弾圧とプロパガンダ」という見方は全く正しい。 ● 都市部の人々は平時と同じ 恵まれた暮らしをしている 同時に、それらは人々に戦争を受け入れさせる手段の全部ではない。これと並行して、戦争が人々にとって許容可能な範囲に収まるよう、巧妙な調整が加えられているというのが筆者の考えである。 つまり、プーチン政権の対内政治戦線は強圧的な手段だけでなく、よりソフトな手段を組み合わせて展開されているのではないだろうか、ということだ。 そうしたソフトな政治戦線運営術の最たるものが、戦死をめぐる格差である。ロシア国民の1割弱が住むモスクワ市は、この戦争において10万人あたり12人ほどの戦死者しか出していない。